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cakes炎上と、消滅した連載

2020年10月と11月、cakesが立て続けに2度、炎上しました。

その炎上の影で、開始直前だった私の連載は、突然、運営サイドから「掲載できない」と言われてしまいました。「自死というセンシティブな内容を扱っているから」。それが、編集部が主張する理由でした。

一体どうすれば、この結末を回避できたのか。答えは、未だに見つけられないままです。今私は、協力して下さったご遺族になんて説明したらいいのだろうと、毎日そのことばかりを考えて暮らしています。

お母さまと、お姉さま

友人が、自ら逝ってしまった。そう連絡を受けたのは、2019年1月でした。親しい人と、こういう形で別れたのは、私にとってはじめてのことでした。

そこから始まった、苦しく、出口の見えない日々。濁流に流されるような毎日の中、それでもどうにか呼吸ができるようになったころ、私は、友人のことをnoteに書きました。ずっと口にできなかった気持ちを、形にして共有したかったのです。「逝ってしまった君へ」と名づけたその文章は、cakesクリエイターコンテストという賞をいただきました。

そのとき、受賞を誰よりも喜んで下さったのは、友人のご遺族である、お母さまとお姉さまでした。

「あの子のことをずっと忘れずに、書いてくれてありがとう」

お二人とは、友人が逝ってしまってから、たくさんの時間を一緒にすごしました。告別式、3度に渡る遺品整理、お墓参り、一周忌、友人の誕生日――80代のお母さまは、顔立ちも、たたずまいも、逝ってしまった友人によく似ていました。

「ますみさんには、あの子の分も、幸せにすごしてほしい」

そうおっしゃって、私が吹き替えで参加した海外ドラマや、ナレーションした番組を、こまめに見て下さっているようでした。

「もうクレジットを見なくても、ますみさんの声が分かりますよ」

そういうときの穏やかなまなざしは、ハッとするほど友人に似ていて、胸が詰まることが何度もありました。友人もそんなふうに、私の仕事を応援してくれていたのです。ああどうかお母さまに、もうこれ以上、傷つく出来事が起こりませんように。残りの人生を心穏やかに暮らしていけますように。そう祈らずにはいられませんでした。

すぐにおりた連載許可

cakesクリエイターコンテストの副賞は、「cakesで連載ができる権利」でした。書きたいものはありますか、と聞かれたとき私は、「逝ってしまった友人について、もう一度文章にしたい」と思いました。そのころ、友人と別れて、1年半が経とうとしていました。

遺された者として日々変わっていく気持ち、それまでとはまったく違う自死に対する思い。経験した自分だからこそ書けるものを形にしたい。取り扱いが難しい内容かも、と懸念しつつ、全体の内容を詳細な企画書にして提出すると、編集部からはすぐに、連載の許可がおりました。

とはいえもちろん、大切なのはご遺族の意思です。noteに書く前にそうしたように、お二人の気持ちを再度確認すると、

「ますみさんを信頼していますから、どうかなんでも、好きなように書いて下さい」

そんな言葉をもらいました。遺書も、友人が遺したメモも、すべていただきました。この信頼に応えたい。拙くても、私は持てる力をすべて注いで友人のことを形にしよう。そう思ったのです。

遺品を借りる、ということ

2020年6月から、執筆に入りました。

登場する人全員に許可を取り、時系列を間違えないよう、会って話を聞くこともありました。1回分を書き上げて提出すると、担当編集からはリライトの相談や、細部の指摘が戻ってきます。それを参考に、OKが出るまで書き直しました。場合によっては全面的な書き直しを求められることもありましたが、いつも受け入れ、OKが出たら次の回を書く、という方法をとっていました。

ご友人に繋がるものの写真を撮影して、提出して下さい――原稿とは別に、担当編集からこう連絡をもらったことがありました。連載時のアイキャッチに使う写真とのことでした。私は、友人の遺品をひとつしか持っておらず、結局お姉さまに相談しました。実はそのころ、お母さま、お姉さまは、身近なご親族を失ったばかりでした。それでもお二人はすぐに、遺品を貸して下さいました。

それは、不揃いのドラえもんのフィギュアでした。遺品整理のとき、大事なものなのか、そうじゃないのか分からず、結局お母さまが引き取ったのでした。

自宅に届いたドラえもんたちを見て、ああ、と声が洩れました。どれもとても丁寧に梱包されていて、お母さまがこの遺品をどう思っているか、一目で伝わってくるような包み方だったのです。こんなに大切なものを貸して下さったんだ。私も下手なりに、試行錯誤しながら写真を撮り、担当編集に提出しました。

「いつか落ち着いたら、お姉さまのタイミングで、お話を聞かせて下さい」

そう伝えたときも、お姉さまは「協力したい」と、すぐに時間を作って下さいました。そして、友人が亡くなったときのことを、一生懸命話して下さるのです。その必死さは、鬼気迫るものがありました。友人の出来事を形にするということに、なにか意義のようなものを感じているのだ、と思いました。

こうして、「逝ってしまった君へ」は、少しずつ形になっていきました。友人とのことを一つひとつ思い出しながら書いていくのは、私にとっても、心をとても消耗する作業でした。涙が止まらなくて書き進められず、気持ちをなかなか浮上させられないこともありました。でもきっと、形にする意味がある。そう思って書き続けました。

担当編集からは、11月上旬から連載スタートと連絡がきました。私がやっているラジオ番組のオンエアに合わせてスタートさせましょう、という話になっていました。連載開始を前に、改めて、それまで書いた12回分の原稿を読み返し、細部まで手を入れて再提出。その原稿もすべて、OKをもらっていました。

ところが。

10月19日。cakesに掲載された他の方の人生相談の記事が、炎上してしまったのです。

フィクションってことにしませんか

担当編集から連絡が来たのは、数日経ってからでした。そこに書かれていた内容に、驚きました。

cakesが炎上したことで、あさのさんの原稿を改めて見直した。法的にはなんの問題もないが、自死を扱うことで、辛い記憶がフラッシュバックする人もいる。モラルが問われることもある。だから、刺激が強い部分はマイルドに書き直してほしい――要約すると、そう書かれていました。

それに対して私は「考え直してほしい」と伝え、代替案を提案しました。

「自死というのはどう書いてもショックな出来事です。モラルという意味では、友人の死について書くこと自体を否という人もいるでしょう。例えば連載前に、どういう思いでこれを書くのかという説明を、読者に向けて一本書かせていただけませんか。毎回、掲載される原稿の前にも、注意書きを載せて、読みたくない人の目には触れないよう配慮して――。」

炎上を恐れてのリライトは、伝えたいことまで伝わらない可能性がある。炎上の混乱の中で、OKを出した原稿まで遡ってメスを入れるのは、どうかやめていただきたいのです。そんな一連の提案に対する編集部からの返答は、私にとって、頭を殴られたような衝撃的なものでした。

「これ、フィクションってことにしませんか。そしたらほぼ書き直さずに載せられます」

フィクションってことにする……?

とっさに頭に浮かんだのは、棺の中で対面した、逝ってしまった友人の顔。そして、何度も手を止めながら遺品をより分ける、お母さま、お姉さまの姿でした。

友人の死がフィクションだったら、どんなによかっただろう。本当のことだから、絶対に取り戻せないから、遺された者はこんなに苦しむのに。ここまでノンフィクションで書いてきたものに、形だけ「フィクション」という札をつけて、それが一体なんになるって言うんだろう。

衝撃で、その日は眠れませんでした。そしてこの段階になっても、炎上を引き起こした記事の担当編集からも、cakesの編集長からも、たった一言の連絡さえないのでした。

そのことを担当編集に伝えると、ようやく編集長からメールが届きました。炎上を引き起こした記事を担当していたのが、他でもない編集長だったのです。そんな彼から届いたメールは、さらに私を混乱させるものでした。

炎上のせいじゃありません

要約すると、メールは次のような内容でした。

あさのさんはどうやら勘違いしてますが、掲載できないのは炎上のせいではありません。内容に問題があったのです。昨今のメディアが置かれる状況をご存じないようですが、自殺というのはとてもセンシティブに扱われています。この連載を掲載して生じるリスクについて、あさのさんはどうお考えですか。繰り返し強調しますが、炎上のせいではありませんので――。

何度も繰り返される、「勘違いしている」「炎上のせいではない」という言葉。どういうことだろう……だって今までずっと、担当編集とは密にやり取りして、原稿は書きあがるたびにリライトして、1本ずつOKをもらっていたのに。担当編集からOKが出るということは、編集部の、ひいては編集長のOKだとばかり思っていたのに。

「cakesでは、基本は各担当に任せており、ゴーを出した企画について、原稿を細かく精査することはありません」

つまり、6月から書いていた私の原稿を、11月の段になっても、編集長はチェックしていなかったんだ。そして今になって私は、マイルドに書き直すか、フィクションってことにするか、従わない場合リスクはどうするのかと、突き付けられている。リスクの責任は私にあるんだろうか。結局謝罪すらしてもらえないんだろうか――。

そんな混乱のさなか、cakesは再度、炎上しました。

今度は、また別の方が、ホームレスの人々について書いた記事が原因でした。

やっぱり掲載できません

2度目の炎上後、編集長に変わって連絡してきたのは、noteの執行役員と名乗る方でした。その人の言葉は、編集長のそれまでの主張とは、180度違うものでした。

「今回の件は、炎上をきっかけに編集部の問題点があぶり出されて起きた問題です。つまり炎上が原因で、あなたに非はありません」

また違う言葉。今度は謝罪。でも会って説明ではなく、メールで済ませたいと言う――。炎上後、書きかけの原稿に担当編集からストップがかかって、すでに1ヶ月半が過ぎていました。私はすっかり、消耗しきっていました。

二転三転する主張。フィクションにしようと言われたり、原稿に問題があると責められたり、炎上のせいだからあなたに非がないと説明されたり。

そんなことよりも、「逝ってしまった君へ」はどうなってしまうんだろう。半年間、形にしようと必死に書いてきた原稿。11月からはじまりますと連絡したとき、お母さまも、お姉さまも、とても楽しみですと言ってくれた――。

「cakesは未熟で、センシティブな内容を取り扱えるほど成熟しておりません。ですからやはり、この原稿は載せられません。が、原稿料はお支払いします。お支払いできるのは、原稿1本あたり7000円です」

もう、原稿料を交渉する気にすらなりませんでした。私は茫然としたまま、どうしたらこの結末が回避できたんだろうと、考えていました。

フィクションってことにしましょうという提案を、受け入れればよかったのか。12回までOKが出ていた原稿を遡って、マイルドで当たり障りのない内容に再度書き直せばよかったのか。担当編集からOKと言われたとき、編集部の総意ですかと確認すべきだったのか。そもそも自死について書こうとしたのが間違いだったのか――。

もうすぐ、友人が逝ってしまった日がやってきます。連載開始を心待ちにしてくれているお母さま、お姉さまに、形になりませんということを、私は謝罪しなければいけません。最悪のタイミング。でも本当のことを伝えないわけにはいかないのです。

どう説明し、どう謝ったらいいんだろう。

フィクションってことにしましょうと提案された日から、一度も通して朝まで寝ることができないまま、答えが見つからないモヤモヤを、私は今も、抱え続けています。

追記

その後、さまざまなことがあり、私の随想録は一冊の本になりました。

この記事のその後は下記の記事です。




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