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余白は大事だというけれど【背景、あの時のわたしへシリーズ】

背景、あの時のわたしへ

と言いつつ、まだわたしの中でもチャレンジで明確な答えには行きついていないことを書き出していこうと思う。

ただ、このチャレンジはあの頃のわたしにとっては驚くような内容だ。

それは「余白があるスケジュールを満喫する」というものである。

過去の自分のびっくりした顔が思い浮かぶようだ。
それぐらい、わたしたちにとって縁がない言葉だった。

わたしは、長時間の移動時間の過ごし方を考えるのが好きだ。
唐突感が否めないが、とても関わりのあるトピックなので少しだけ付き合っていただきたい。

電車、新幹線、特に長時間の飛行機
なんでそんなに移動時間が好きなのか

それは「無駄のない自由時間だ」と心から納得して過ごせるから

ダラダラしようと、映画を見ようと、食べてねてを繰り返しようと「目的地に辿り着くまでのプロセスで訪れた自由時間(体は勝手に目的地へ移動させられている状態)」がたまらなく幸せと感じていた。

それってつまり、そういう状況でないと
心から「自由」を楽しめないタイプだとも言える。

本当の「なんでもしていいよ」という状態が、なんとしてでもそこから結果や意義や目的を見出さないとリラックスしない。

制限ある中で見出す希望や自由の方がリラックスする

書き出していて思ったけど、なかなかのマニアック趣向なのではとも思えてきている。今まで、そんなわたしだった。

そんなわたしが今、活動的なことやがむしゃらに働くことを日常的に制限して、自由時間を増やす生活に切り替えている。

思考で納得していない状態で、「なんとなく」そうした方がいい気がして。そこに少しだけホッとする感覚を見出している気がして。という心もとない動機。

ポイントは全て、自分の内側がすべて

最近は本当にそれを感じていて、自分に興味があるのも、向き合うのも、自分の内側・エネルギーの影響が外に現れていることがじわじわと輪郭を持ってきている。

だから、やっと「余白」を意識して生活に取り入れてみている。

いつだって全力で力尽きるように休日を休んでいたわたしからすると、ねえ、びっくりでしょう。笑。

さて、実際にゆとりある生活を過ごしていると
こんな考えや状態が生まれている。

困っている面はこちら

▶︎経済的なちょっとした不安がチラチラ顔を出す
▶︎こんな時間の過ごし方でいいのかなと考え出す
▶︎とりあえずゆっくり過ごすのが怖い(自分をダメにしそうで)

良い面はこちら

▶︎すこぶる体調がいい
▶︎よく眠れている
▶︎計画的に有酸素運動と筋トレができている
▶︎それまで興味のない料理とかしちゃうお菓子も作る
▶︎精神的な健康を感じる(平穏で幸せを感じている)
▶︎仕事や活動に不満がほぼない


ということが起きていることを、過去のわたしや同じようなタイプの皆さんに報告しておきたい。

こうやって書き出してみると、良い面って本当にいいことだし
困っていることはただただわたしの内面の問題ということがわかるのが興味深い。

今のわたしにとって余白をもつということを実践することは
とてもとても怖くて、興味深いテーマには変わりない。

余白は大事だと言うけれど、きっとそれは本当。
ただ、そこに誰かの正解や確信を求めるのは違うこと。
わたしの余白の具体性は、わたしが体感しながら見つけていくことだろうから。(そしてこれはいろんなことにも言えること)

欲を言えば、これから、もっと構えずに余白を体感したい。

自分の内側に広がる世界を満喫して、知って、揺らぎを多感に感じていきたいんだ。

その先にある、探究の結果(外側の変化)を経験したい。

今のわたしにとって余白は、自分の内側の世界に、良いエネルギーや種をまく、そんな大事な取り組みだよ。


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