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① 自分は何者なんだろうかと悩んで迷走していたわたしへ

あの頃に遡る


1番古く、1番鮮明な記憶はなんだろうかと遡ると
いつだってたどりつくのが3歳の頃。

将来の夢はなんですか?
という先生からの質問に答えていく時間になにひとつ答えられなかったことだ。

お嫁さん!
お花屋さん
警察官
電車に乗る人

クラスの中で色々な職業がすらすらとみんなの口から出てくることにとってもびっくりした。わたしには思いつくものがなーんにもなかったから。

順番が来ても答えられず、持ち帰ってとうとう絞り出したのは

「銀行の人」

母が以前勤めていた話を思い出して、特に興味もなく言いたくもない言葉を吐いた。とてもとても苦い時間の記憶。

あの頃の言葉にできなかった苦い思いもびっくりするくらい良く覚えている。
当時はそれに「苦い」という感覚さえ当てはめれなかった。


「なんでわたしは夢が思いつかないんだろう」
「みんなは答えれていたり、決めれているのに」
「なんで?」



なんて、途方もない気持ちになったよね。

拝啓、あの頃の「なんで?に取り憑かれた私」へ


まず何よりも
将来なりたいことや夢が言えないことなんてよくあることで
こどもだろうが大人だろうが関係なく全然問題なんかないんだよ

((といっても、そこからずっと、20代になっても明確な「夢」を抱けないし興味もなくて多分人生の中で1番抱えた「もやもや」と強烈なコンプレックスになるのだけど。笑(笑えない!てあの頃の私たちに言われそう笑

夢は別に持たなくてはいけないものでもないし
思いつかない時間だってあるんだよ
だからどうか、「いまない」ことにあまりフォーカスしすぎないで。
悩みは消えはしないけれど、やり過ごす工夫はいくらだってできていく。

心が苦しくなることはあなたの心を蝕むけれど
主導権はいくらだってこちらが握れる。
わたしの全てを、苦しいことなんかに委ねなくってもいいことが、
フォーカス仕切らないことできっと見えてくる。


でもね、そこから30数年経った私は
あなたがその時に夢を描けない自分に疑問を抱いてくれたことを
とてもとても感謝してる。

自分に対して「なぜ?」を持ってくれたこと

大人になってたくさんの語彙を知って
あの頃の感覚に言葉を当てはめてみるとしたら

「自分は何者なんだろうか」

というとても大きな問いかけの種をあの頃の私は持って
そこからは観察と模倣と探究の日々が始まることになる。


あの疑問を抱いてくれたから
「答えを探す」テーマを私は逆に手に入れることができた。
ある意味それが「夢」になった。
あの時の「なぜ」が全てのスタートになった、と思ってる。

そうしてそこから20数年後に
「やりたいこと」「自分とは?」
のパズルがはまっていく体験ができる日がくる。

ある日突然遠いところで願いが叶うものじゃなくて
「問い」を持ち続けた期間に少しずつ集まっってきた材料が
カタチになる瞬間がその時だったということも
探究中のわたしが1番興味がありそうなことな気がするから伝えておくね。


そしてそこでゴールではなくて、いろんな段階を経て
この問いかけを追いかける冒険はいろんな場面を見せていくんだとも思っているんだけど、どうだろう。

わたしたちが知りたいこと、体験したいことはどうやら何層にもなっている奥行き深いものなんだと思うの。


まだ途中経過のわたしからの経過報告と予感をここに残しておこうと思う。


なぜ?にとりつかれた3、4歳の頃のわたしへ

●自分自身に「なぜ」を持ち始めてくれてありがとう!

●「なぜ?」→調べてみよう‘試してみようのプロセスを経ていくことで、自傷的な思考は少なくなる。そして、答えはいつか集約されるタイミングがある(ただし答えも何層にもなっていて奥行きがある)
●「今ない」ことにフォーカスしすぎないことは頑張ってみる価値がある
→答えらしきものが見つけやすくなるし、アクションに淀みがなくなるよ



あなたの傷つきやすいところや違和感を見つけるところ
考えすぎるぐらい考えるところは、自他共に認める面倒くささだけれど
それがもたらしてくれる実りや懐の深さの一部を
今はもう、ちゃんと実感して知っているよ

拝啓、あのころのわたしへ 30数年後のわたしより

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