私は差別的な発言をする人とは一切自分の人生において関わりたくない。
事実として、世の中には様々な差別がある。
身分差別、職業差別、人種差別、学歴差別、地域差別、性差別、年齢差別…
私の友達の中にはLGBTの子もいるし在日の家系の友達もいる。20歳か18歳になってやっと国籍を手に入れた友達もいるし、性風俗店で働いている友達もいる。
しかし私は、そういった友達を見下したりバカにしたり友達をやめようと思ったりなんてしたことは一度だってない。
だってその人は、その人なんだから。
その人の、生まれながらにして持ち合わせた特徴、性質なんだから。
それはその人の、ひとつの「個性」なんだから。
そんなしょうもないことでその人の持つ、他多くの魅力や才能が見えなくなってしまうのはとても悲しい。
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しかし事実として、世の中には多くの「差別」が存在する。
歴史的に見ても、世界的に見ても、必ず「差別」という概念が存在する以上
「差別」という概念は人間に潜在的に存在する欲求や深層心理的なものである可能性が高い。
「動物」は自分の種を存続させるために生きている。
同族の動物より、自分が優位に立たないと自分の種を存続できないし、生き延びることができなくなる。
'自分は、他同族の種のものより、優位でありたい'
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たしかにそのような事実や社会の原理に柔軟に則って
"賢く生きる"という力は
この厳しい社会を生き延びる上では必要な力であるかもしれない。
しかし、心の奥底でどんなに差別的な考えを持っていようと
この世を渡るためにどんなに卑怯で、冷淡な、戦略的な考えを持っていようと
それを口に出して人に伝えようとする人間は、色々疑う
この人は今までの人生で、どんなことを学んできたのだろうか。
この人は今までの人生で、どんなふうに人に対して思って、接してきたのだろうか。
私は差別的な発言を口にできる人とは
一切関わりたくはない。
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実は過去に、親からこんなことを言われたことがある。
ー 外国人とは結婚するな。
中学生か高校生か、確かそのくらいの時に
買い物か何かに行く車の助手席で、なんかの話の流れで、なんとなく発せられた言葉だった。
というのもうちの家系はちょっと特殊で、
親兄弟の1人が国際結婚をして海外に移住しており、
数年に一度の割合で故郷の日本に帰ってくるのだが
そのために毎回、少なくとも家族全員の飛行機代だけでも50万以上はかけて里帰りするような
ちょっと特殊な状況の家族を間近で見てきていた。
ー 言いたいこともわかる。
自分の子供にはそんな苦労を味わって欲しくなかったのだと思う。
しかし私は、その発言を聞いた時 幼いながらも
言葉ではなんとも説明のできない、
とてもとても不思議な「違和感」を覚えた。
ーなぜそんな発言を、人に対してできるのだろう。
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昨今では黒人差別の問題や人種差別の問題が深刻化してきているが
こういったニュースや人々の訴えかけを目の前にするたびに、私も微力ながらに何か自分にできることはないかと考える。
しかしまず私たちに出来ることというのは、
◆差別が存在するという事実に向き合うこと
◆自分自身、何かの差別の加担者であると自覚すること
これが必要なのではと思う。
世の中様々なかたちの差別が存在すると思うけど、
当人が、その差別そのものに気づいていないというケースも多く存在すると思う。
私は長年心に抱いてきたこの違和感を、何かの拍子で打ち明けることにした。
親は私の意見を聞いてどう思ったかは分からない。
しかし私は今後の人生において、
自分自身そういった差別的な考えを軽くでも口にはしたくないと思ったし、
そういった発言ができる人間とは絶対に付き合いたくないと思った。
世の中「普通」なんてものは無いし「当たり前」なんてものも存在しない。
みんなそれぞれに個性があって、特徴があって、
みんな違うから、みんなが美しいのだ。
私はそんな素晴らしい「多様性」という概念を
認め合えるような、尊重し合えるような、
そんな世の中にしていきたいなと心の底から願う一方
なかなかその具体的な解決策は見当たらない
ーそんな深夜3時のひと思いでした。
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なんか一発書きの乱雑な文章でごめんネー
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#ケロケロますみ #差別 #差別について考える