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ぼくから見えるもの

現実という言葉は、基本的に夢や理想の対として用いられるから、暗いイメージを帯びる。

「もうすこしな、現実を見るというかな、」
ぼくは愕然する。現実は見るものではなくてただ在るものだと考えていたから。そこにはぼくがいる現実と両親の見る現実に差異があったのだ。それはとても悲しいこと。

ぼくが小説家を志していることが察されていることは、別にもうよかった。むしろ自分から言わなければいけないのよりはずっとよかった。
でも、矯正はされたくなかった。
「それ一本じゃ厳しいから」
そんなことはぼくだって知っている。だから苦しんでいる。

親の前で「ダメだったら死ぬ」とはさすがに言えなかった。だからぼくは言われることを飲み込むだけ。
きっとぼくがどれだけ本気で書いているのかを知らないからなのだ。とはいえ知らせるつもりもない。これは身勝手な夢だから。

自由がほしい
この言葉は文字通りの意味ではない。ただそこが窮屈で仕方がないから、「自由がほしい」と錯覚する。
ほんとうの自由なんて耐えられないのだから。ぼくたちは制限がないと上手く機能しないから。

ぼくは「他者の望むぼく」には絶対にならない。
それだけは譲ってはいけない気がする。いままで散々反故にしてきてしまったけれど。
ぼくはぼくだ。選択には責任が伴うのも承知の上で、自己追求を続ける。
この世に敵も味方もいないのだから。自分だって味方ではないのだから。

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鱒子 哉
今まで一度も頂いたことがありません。それほどのものではないということでしょう。それだけに、パイオニアというのは偉大です。