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こんな時だから、ふと…エゴン・シーレのこと

家で過ごす時間が増え、久しぶりに画集を手にとってみたり、記憶が曖昧になってきていた美術史(とはいえ近・現代ものだけだけど)の復習をしてみたりしていてふと思い出したこと。
「シーレってパンデミックで亡くなってるじゃん…。」

そこで今日はちょっとだけエゴン・シーレについてご紹介。

エゴン・シーレ(1890-1918)はウィーン世紀末美術を代表する作家。

100年前のスペインかぜによるパンデミックで妊娠中の妻を亡くし、自身も犠牲者となってしまい若くして生涯を終えました。

エゴン・シーレは20世紀初頭のポートレイト絵画で最も影響力のある人物です。強烈な個性と生々しい(生々しすぎる)エロティシズム表現が特徴的で、またナルシスティックなヌード、セルフ・ポートレイト作品等で知られています。また、同時代を代表する作家グスタフ・クリムトにも師事していました。

どうなってるの?というぐらい極端にねじれた身体造形(ジョジョ的な、荒木先生も影響を受けているとか…)や、表現主義的な線がシーレのシーレ絵画たる特徴で、美術史では初期表現主義の美術家として位置づけられています。

有名なのはこの「死と乙女」
(ちなみにこの作品をモチーフにしたシーレに関する映画「エゴン・シーレ 死と乙女」も公開されました)
セオリーを超越した色・構図全てが独特で画の奥にある情念までが際立ってこちら側に迫ってくるような存在感があります。

シーレの人間性等は書き出すとただのヤバイ奴なので割愛しますが、いろいろな画集が出版されていたり、世界中の美術館のアーカイブでそのほかの作品もみられますので、気になった方は是非みてみてください。
私は、キャンバスに絵具をのせて描いた作品ももちろん素晴らしいと思うのですが、ドローイング作品の方がよりリアルで艶かしく、美しいと感じました。

さて、彼が生きた19世紀末〜20世紀初頭のウィーンでは、ジークムント・フロイトが精神分析を誕生させたり、グスタフ・マーラーが交響曲を作曲して活躍していたり…また、政権樹立前のヒトラーもウィーンで鬱々と過ごしていたりと、メーター振り切って急に様々な価値観が交錯していた時代でもあります。ひとことでまとめてしまうと、いろいろヤバイ時代。

多様な価値観が交錯し、戦争に向かう不穏な時代においてシーレは作品に向き合い没頭する(要はどんどん狂っていく)ことで自己のアイデンティティをより鋭くキワキワに確立させようとしていたのかもしれません。
その挑戦的で退廃的でありながら人を惹きつける形容しがたい独特の作風は、多様な価値観があふれ生まれてきたウィーンでサヴァイブするには必要不可欠なものだったのかもとも。そうでもしないと時代の不穏な黒い渦に呑み込まれてしまうという強迫観念。

そして、繊細で危ういものに人は魅了されていくのは今も昔も変わらず。
容姿と才能に恵まれ、繊細が故にナルシスティックに振舞うダメ男、そこに付け入り手なづけ自分のものにしようとする狡猾な若い女とそれを分かりながらも支える女(妻)という昼メロか!のような展開もあったりなかったり。

才能がある人は往々にして狂ってるかダメ人間だと常々思ってるわけですが…(最大限の愛情込めてのこの表現です)、不幸なことに、こういう本物に憧れた残念な量産型エセダメ人間がそこら中にワラワラとしたり顔で芸術家ぶって正論振りかざしたりなんだりで玉石混交しているのが現世。本当に辟易(と、言い切ってみる)。
話飛んでしまいましたが…こういうのも100年経とうと変わらなく、人間てやっぱりベタな展開が好きで、業塗れの生き物なんだなぁとつくづく思ったり、思わなかったり。。

ちょっと脱線してしまいましたが、話をまとめにかかると…不穏な時代に何物にも代えがたい芸術が求められるというのは100年経っても変わらない、芸術(表現)に求められる超えられそうで超えられない永遠のテーマなのでしょうか。
アウトプットされる形が何にせよ、表現する・生み出す行為はとてもプリミティブでそれだけでも十分美しいけれど、そこに飽き足らず、もっともっと欲しい、知りたい、生み出したい、作りたいに向かってしまうのがアーティスト・表現者たちの逃れられないカルマなのかもしれません。

あと余談ですが、シーレの絵を見るとやまだないとさんの本を読みたくなります。。

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