手間を楽しむのも悪くないね
「手間を楽しむ」のも悪くないなと
思うようになった話
現代はコンピュータや色んな発明により何でもかんでも簡単に出来るようになってきた。
会社の同僚で
前まで自転車で通勤していた人が
今では電動キックボードで通勤している。
前まで30分くらいかけて自転車通勤していたのが15分くらいになったと喜んでいた。
私は乗り物が好きなので乗せてもらったりもした。
スムーズに加速して道が良ければ乗り心地も悪くない。
しかも乗ってみると結構面白い。
見た目もスマートでコンパクトなので街中での駐車などもしやすそうだ。
しかし本人いわく
電動化したことで失ったものがあるという。
それは運動時間と余裕だ。
失われた運動時間
その人が自転車通勤を始めたのは健康診断でメタボ判定をくらったときからだと言う。
往復で1日1時間の自転車通勤は
結構いい運動量だ。
電動化して1日30分を短縮できたはいいが
有益な時間として使うのが難しいと
言っていた。
運動量が減り早くも太り始めているらしい。
短縮できた時間を運動に当てていたら短縮した意味がないし…。
うーん…
実際働いていると自分で運動時間を作らないと運動するのは難しい。
特に有酸素運動系は時間がかかるので余計だ。
自転車通勤は通勤×運動が出来るので最高の組み合わせなように感じるがどうなんだろう。
運動時間と共に余裕もなくなったという。
失われた余裕
他に電動化して分かったこととして
景色を見ることが出来なくなったという。
スピードが上がりよそ見してられないとのこと(そもそもよそ見はしてはいけない)
スピードが上がると視野が狭くなる。
スピードが上がると周りを見る余裕がなくなり前方ばかりを見るようになる。
自転車とちがって電動キックボードだと
ボタン一つで最高速まで立ち上がる。
速度は20キロほどらしいが平坦でも登りでも同じスピードなので移動するだけならかなり早い。
4月に入り桜を楽しみにしていたらしいが運転に夢中で気付いたら葉桜になっていたと言う。
毎年同じ通勤ルートで見ていた桜を今年は見れなかったようだ。
今までは自転車を漕ぎながら桜を見たりして季節を感じていたのに、電動キックボードになったことで一瞬で過ぎ去ってしまっていたらしい。
毎年見ていた桜を見ずに過ぎてしまうくらい余裕がないのは寂しい。
電動化すれば確実に時間短縮はできる。
しかしその代償はでかいみたいだ。
コーヒーメーカー購入を見送る
わたしはモーニングルーティンの一環としてコーヒーを淹れている。
お湯を沸かし、豆を挽き、ドリッパーをセットしてコーヒーを淹れる。
準備等含めると飲むまでに10~15分ほどの工程だ。
最近では少しでも時間短縮出来たらいいなと思いコーヒーメーカーの購入を考えていた。
そのマシンは豆挽きから抽出まで全てを電動で行ってくれる。
しかし電動キックボードの話を聞いて購入を見送ることにした。
コーヒーメーカーを購入して毎日使うとコーヒーを飲む楽しみが減るように感じたからだ。
私はコーヒーを淹れるときの香りが大好きで、この香りを嗅ぐために淹れていると言っても過言ではない。
キャスターを開けたときの良い香り
ミルで挽いた後に少し熱を帯びた良い香り
ドリップし始めたときの良い香り
そして抽出されていくコーヒーを見ながら落ちるのを待つ時間
この工程が楽しくて毎朝コーヒーを淹れている。
なんでも電動になると便利なことは間違いない。
しかし電動でコーヒーを淹れると豆の香りを楽しむ時間や抽出を楽しむ時間は全て無くなる。
コーヒーの楽しみの一部が無くなるのは非常に寂しいように思う。
使ったことがないので実際のところは分からない。
だけど電動キックボードのように失うものがあるのでは?と何となく感じている。
こんな時代だからこそ手間をかける。
わたしはそんな生き方でもいいように感じる。
noteを手書きで書こうとは思わないけど…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?