あるがままを認める
”心理学における投影(とうえい、英: Psychological projection)とは、自己のとある衝動や資質を認めたくないとき(否認)、自分自身を守るためそれを認める代わりに、他の人間にその悪い面を押し付けてしまう(帰属させる)ような心の働きを言う[1][2]。たとえば「私は彼を憎んでいる」は「彼は私を憎んでいる」に置き換わる[2]。これには責任転嫁(Blame shifting)が含まれ、たとえば習慣的に失礼なふるまいをしている人は、いつも他者を失礼な人だと言って回っているケースがある。一般的には悪い面を強調することが多いが、良い投影も存在する。”
以上、Wikipediaより引用
この「投影」という現象は、日常的にとても身近にあるものだ。
子どもに対して不満に思ったり怒ったりすることは、たいてい自分の欠点だったりする。
自分が自分で気になっているからこそ(無自覚の場合もよくある)、他人の同じ行動が気になるのだ。
上記のWikipediaの説明では書かれていないけれど、「こんな風に感じてはいけない」という抑圧する感情が他人に投影されるという形で現れることもある。
例えば、「あの人は私を嫌っている」という思い込みの裏には、じつは「私はあの人を嫌っている」という本心があるけれど、人を嫌ってはいけないという信念のために、本心が捻じ曲げられて相手に投影されていることになる。
人間の心は複雑だね。
どんな心理も、基本的に自分を守ろうとする防衛本能から来るもので、人は自分を傷つけないためにはあらゆる手段を使うし、それに気付かないようにする。
自分を守るための心理だということに無自覚でいるのがきっと、複雑になっている理由。
だから、私たちは自分のことをいっぱい知った方がいいと思う。
自分の強み、弱み、かっこつけないあるがままの自分の気持ち。
誤魔化して良く見せようとするから、批判や非難から守らなきゃいけなくなる。
自分をあるがままに認めて、批判も非難もそうなんですよって受け止められたらいいな。
認めるからこそ、より良くなるための努力も前向きにできるんだと思う。
他者から責められる以上に、自分自身で自分の悪いところを受け止めて認めることって、本当にきつい。自分は良い人間だって思いたいもん、誰でも。
いやなところがある。ずるい。無責任。素直じゃない。反抗的。攻撃的。優柔不断。そんなの自分じゃないって言いたくなる。
いつも自分は最高の理想の自分の姿でありたいと思う。だからそれが打ちのめされるのは怖くてたまらない。
いちばん嫌われたくないのは自分だから。いやな自分を見て、自分を嫌いになるのがいちばんいやだから。汚いところは認めたくないよ。
だけどね。
どうしたって人は完璧ではない。あっちが出ればこっちが引っ込むような。誰かに好かれる理由は、誰かに嫌われる理由になるような。どうしたってそうなの。
どうしたってそうなら、自分がいちばん楽でいられるままでいたいじゃない。
それが、自分が自分で在ることを認めるということなんだ。
嫌われたくないからって握りしめてたプライドを、手放すことなんだ。
ふわって手放して、ほっとする。
きっとこれから、ますますそれを実感することが増えると思う。
やってみよ。
最後に、『まんがでわかるD・カーネギーの「人を動かす」「道は開ける」③』より、監修者 藤屋伸二氏の「おわりに」より抜粋。
人が心を乱すもう1つの大きな原因は、「自分が周りから大切にされていない」という感覚です。(中略)しかし、自分の使命に精いっぱいの人なら、周りからどう扱われようが、何を言われようが気にならないはずだ、とカーネギーはいいます。人生で何を達成したいのかが曖昧だから、自分への評価や扱いが気になってしまう。自分の強みも弱みもすべて理解し、それを踏まえて、自分にできる何かを実現したいと熱心に思う人なら、周りの声など気にならなくなる、というのです。つまり、まずは「自分」という事実を正しく理解することが、いつも心を乱さないための第一歩でもある、というわけです。
すべては自分から。
今日もありがとうございました。