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ただ「いられる」人への憧れ。ADDress生活【DAY4】

10時すぎに起床。昨日手洗いした洗濯物が乾き切っていない。外に干してみるがタンクトップがハンガーから地面に落っこちてあーあ、となる。ドライヤーを当てるとかなりすぐ乾くことがわかった。こんな小さいこともやってみて初めて気づく。

おもてなしとお返しできない心苦しさ

松本A邸のシェアハウス住人の人たちは料理上手が多くて互いがつくったものをシェアしあっていた。私も図々しくもいろんな料理やお菓子をいただいた。車を持っている住人の人がスーパーに相乗りさせてくれたりもした。

そういうとき感じるのが「お返しできない心苦しさ」だ。
私はこれと言って作れる料理もなく、車がなく、マッサージができるでもなく……本当に交換できるようなことが何もないのだ。だから欲しがっておいて(相手はたいして何も思っていないだろうけど)肩身がせまい思いをする。で、せめてもの免罪符として既製品の菓子を買ってみたりする。

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住人の方がつくってくれたかぼちゃでつくったファラフェル。天才。

私のできることはわかりづらくて、お返しできるようなことがないと吐露すると、住人の女性が「わかりづらいからこそいいんじゃないですか?」と言ってくれた。
我が人生はわかりやすさとの闘いで、タグをつけられてわかったような気になられるのを嫌悪しているのに、人と接するときにはわかりづらさに悩まされる。
そして、なにもわかりやすい仕事じゃないことが菓子作りができない理由にはならないわけで。私にはどんなお返しができるのか、はひとつこの旅のテーマになりそう。というかお返しできなくても「いていい」と思えるようになることかも。

私には理由なく「いていい」と思える場所がない。いるためにはそれなりの貢献や相手へのメリット、お返しが必要。現金化できる価値があるとされている返礼が必要だと感じていつも焦っているし、最後はなんだかんだその居心地の悪さに耐えられなくてわかりやすく金や菓子、すでに価値があるとされているもの、自分と距離があるところにある何かを手渡す。そんな自分がいやだ。

ただ「いてもいい」ただ「いさせてくれる」人を私は求めているが、そのためには私がただいられる人になる必要がある。人の親切をそのまま受け取ること。自分の望んでいない親切には結構ですと伝えること。

自立ってなんだろう

ADDress先住民の青年に「さきさんはいろんなことをやってあげたくなる」と言われた。全部整えてあげたくなる、と。それが私のよさであり問題なのだろう。自分で決められなさそうに見えるところ。チャンスさえあればいつでも人に寄り掛かろうとしているところ。

やっぱり、お返しできなくてもいていいのだという自信を持つことと自分のことは自分で面倒をみる自立とのバランスがどこまでも難しい。
このテーマで人と話してみたい。「自立と交換」。

甲府の拠点にうつってから同じ宿の男性にこの話をしたら「そんなに気負いしなくても、まずは皿洗い全部します!」でもいいんじゃないかと言ってくれて、たしかにと思った。

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甲府のADDress民の方が一口くださった宇宙ビール。おいしかった〜

さらに言うと、私は自分がつくったものを人に出すことへの怯えがあるので小さくても微妙でも自分の手からうまれ出た何かを人に受け取ってもらうこわいことを重ねる中で自分の中に積もっていく「受け入れてもらった体験」が大切な気がする。まずは皿洗いつつ、ちょっとずつ私が滲んだなにかを共有していけるようになりたい。こわいけど。

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甲府の名店「くさ笛」のもつ煮。美味しい

夜は久しぶりの一人飲み。飲み屋に行くと誰に求められたわけでもないのに見ず知らずの客のご機嫌をとるセルフホステス状態になるのでこの旅では積極的に行くのは避けたい。

ちなみに、この数日で新しく見つけた喜び&いやなことリスト

<喜び、楽しさ>
・風に吹かれること
・誰もいない道で歌いながら歩くこと
・人の手料理
・道具がある状態での掃除

<いやなこと>
・重い荷物の運搬(=荷物が多いこと)
 →最小限で暮らしたい。もしものときに備えたくない
・ゴミ箱がないこと

▼Instagram & Twitter

リアルタイムで更新してます。一番更新頻度が高いのはインスタのストーリー。

https://mobile.twitter.com/masudasakism

私が起業している会社「セカミー」の掲載事例もよかったら。

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