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ミュシャ展プラハで観ることができなかったスラブ叙事詩を東京で鑑賞!

ふらっと札幌の自宅をでて、新千歳空港へ向かい飛行機に乗って東京へ来た。
東京駅でミュシャ展に行くことを決めた。

東京駅につくと、さっそく地下鉄丸ノ内線、千代田線で新国立美術館へ向かう。
11時頃到着したが、すでにチケット販売所は長者の列。
辺り一帯の木は、赤い水玉の装飾がなされていて、草間彌生展と重なっていることを知った。

だから混んでいるのか。


赤い水玉の木、一瞬、可愛いと思うけど、リアルでこんな木があったら気持ち悪いな。オレンジ色に黒玉の模様が入ったかぼちゃのオブジェもあったけど、う〜ん、こんなかぼちゃがリアルにあったら食べないな。毒かぼちゃみたいだものね。

チケット売り場で並んでいる人達の列を眺めながら、インターネットで、eチケットを購入して2階の展示場へ向う。

エスカレーターで2階に上がると、びっくりした。遥か彼方の入口まで、6列でたくさんの人が並んでる。30分待ちだそうだ。あそこでeチケットを購入していなければ、何時間並ぶことになったのだろうか。
やっぱり開館30分前くらいに来るべきだったと、ふらっと来たことをはげしく後悔した。

それにしても、こんなにたくさんの人を見るのは久しぶりだ。
人酔いしたのか、どっと疲れてしまう。
こんな激混みの中でミュシャの絵を見て、はたして感動するのだろうか?
「もう帰りたいなあ」と来たことじたい後悔しながらも、人の大河にゆっくりゆっくり流されて、ミュシャ展へと入場。

入った瞬間に圧倒された。

高く広い空間に、大きな絵画が展示されている。
およそ縦6メートル×横8メートルの巨大な絵画。
ミュシャ晩年の傑作、スラブ叙事詩だ。
全20点。

僕は、しばらく雑踏を忘れた。
絵画のそれはすさまじいこと。
ここにはミュシャのエネルギーがすみずみまで充満していて、
僕とミュシャだけの静寂な空間へと変わった。

涙が出そうになる。
僕は何に感動しているのだろう。

これがミュシャの晩年の心境なのだろうか?

20枚の巨大な絵画のなかにチェコという国とは何か?
スラブ民族とは何か?
そのすべてが封じ込まれていた。

心のなかでスメタナの「わが祖国」モルダウのメロディがながれだし、僕の頭の中でスラブ民族の歴史が動き出した。
侵略と支配、祖国のために流された多くの血、そして自由と独立、
ミュシャの祖国・チェコに対する深い愛情と未来に対する期待が、

僕の心の中に流れ込んできた。

今回どうしても見たかった8作目にあたる「ベトレーム礼拝堂で説教するヤン・フス―真実は勝利する」の前に立った。宗教改革者として後々の時代まで大きな影響を残した、ヤン・フスが異端と宣告され火刑で処刑される前の、最後の説教を描いている作品だ。
その絵画から発せられるエネルギーに圧倒され、しばらく動けなくなってしまった。
まるで実際にベトレーム礼拝堂にいて説教するヤン・フスの声を聞いている感覚になった。

プラハにいったとき観れなかった(この展覧会のため日本に貸出中だったから)絵画を東京で鑑賞して、僕の中のプラハの旅はこれでようやく完結した。

ミュシャ展は6月5日まで開催している。もう一回観に行ければなと思っている。
東京近郊の方はぜひ!

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