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創作小説「現世旅行への俥夫の案内」


「お客さん、今度こそ。これが最後の別れになるといいっすね。」

腹掛に股引き法被を着た、いかにも体力があり自信に満ちあふれた俥夫(しゃふ)はしみじみとそう言った。

「そうですね。今度は行けるといいなあ。」

最初は珍しくて興味を惹かれた川も行交う人々も、川を渡る前にくつろぐ憩いの宿も全てが新鮮で興味深かった。

この俥夫が曳く人力車に乗りながら眺めるこの景色も、そりゃあちらでも良い思い出になるだろう。

しかしこう何度も見ると辛くなってしまう。

本来この景色を見るのは、一度だけでいいはずだ。

そんな事を考え落ち込んでいる俺を元気づけようと俥夫は、

「いってらっしゃい。あっちでも良い旅を!」

陽気な俥夫は俺にそう明るく言うと、人力車の柄を持ち上げ曳き始めた。

俺は目的地の船着き場に一瞬視線を向けすぐに視線を戻したが、陽気な俥夫は跡形もなく姿を消していた。


×  ×  ×


陽気な俥夫に言われた「あっちでも良い旅を!」と。

しかし、そう世の中は簡単にはいかない。それが現世だって、もちろん死後の世界でもだ。

「あんたねえ、注意書きを見ずに川を渡っちゃうなんて何を慌ててたんだい?」

あの世への入国の審査をする老婆が、重箱の隅をつつくように俺の粗を探す。

背丈が俺の3倍ちかくある老婆は大変迫力があり、俺は思わず冷や汗を流した。

「いや、何か居たたまれなくて。」

俺は泊まらない冷や汗を抑えながら、頭上にいる人物へ顔を上げた。

「その、なんで俺の顔をじっと見ているんですか。」

するとニヤッと老婆が笑ってこう言った。

「あんたの顔が怪しくてね。つい見ちまうんだよ。」

「あ、あやしいですか?」

「すっごく、すっごく怪しい。何かやましいことでもした覚えがあるのかい?」

「ないですよ、そんなやましいこと。」

ないはずだ。やましいことって一体何だ?

俺は何かあったかな、いや、ないはずだと結論づけるが老婆は、

「駄目なもんはいくら言っても駄目さ。はい、やり直し。ちゃんと審査書類を集めてから来るんだね。」

老婆はそう言うと、俺の首根っこを捕まえて扉を開けるとポイッと外へ放りだした。俺が時間をかけて渡った三途の川をいとも簡単に飛び越えて吹っ飛ばされる。

ああ、もうすぐ地面に着きそうだ。いつもなら地面に激突すると慌てもするが、このやりとりももう何回もこなしたのだ。心配はない。

ポスッ

重力など感じさせない軽い衝撃を感じた。こういう所が死後の世界だなと実感する。

「はああああああっ。なんで先に進めないんだよ!」

地面に大の字になって愚痴をこぼしていると、急に俺の顔をのぞき込むやつがいた。

「お客さん?」

三途の川を飛び越えた先には、先ほど別れを告げた人力車の俥夫(しゃふ)が驚いた顔をしてこちらを見ていた。


×  ×  ×


「あれっ、お客さんまた通してもらえなかったんですか?」

まさか「これが最後の別れですね」と言って、数刻後に顔を合わせるなんて思わなかった。なんて気恥ずかしい。俥夫は俺に手を貸して、立つのを手伝ってくれる。

「そうなんですよ。」

俥夫の手を取りながら、俺はそうとしか言えなかった。俺の落ち込んだ顔を見て、俥夫は思わず苦笑して困ったように言う。

「そりゃ、困りましたね。」

しかしすぐにいつもの陽気な雰囲気に戻り、

「まあ人生うまくいかない事なんて、いくらでもありますよ!」

慰めてくれているらしい。しかし逆に傷口に塩を塗られたような気分だ。

「俺もう死んでますよ。」

はあっと俺は深い深いため息をついた。

「ああ、人生ハードすぎだろ、死後までうまくいかないなんて。」

そんな俺の愚痴を聞いた俥夫は黙って、ポンポンと俺の背中を優しく叩いた。


×  ×  ×


俺は気づいたら俥夫のお兄さんに愚痴を延々と喋っていた。俥夫は律儀な性格なのだろう。相づちをしながら、しっかり話を聞いてくれる。

恥ずかしい。成人して十数年も経ってもおり、部下だっていた立場だったというのに。

自分より若そうな俥夫、実際は人よりずっと長生きしているだろうが、そんな存在にこうも愚痴を零してしまうとは。

愚痴を言い終え、ちらりと俥夫の顔を窺う。

悲しいことに、また頼まないといけないのだ。

「すみません、お兄さん。また現世まで運んで頂けませんか。また審査資料が足りないって言われて。」

すると気の良い俥夫にしては、珍しく困った顔をしている。

「運びたいのは山々なんですがね。最近お客が多くて、人力車も俥夫も足りないんですよ。」

「そんなにお客が多いんですか?」

最近の現世では、戦争も大きな天災もなかったはずだ。

「あの世の拡張工事をやっているそうで。」

「あの世は死者の魂で満杯になっていて、工事しなくちゃいけなくなったんですよ。だから審査も厳しくなってるんですわ。昔ならお客さんみたいな人は、すぐにあっちへ行けたんですけどね。」

あの世の拡張工事?

だからって、まさか現世に突っ返されるなんて思わなかった。

俺はてっきり何か大きな間違いでもしたのかと思ったが、あちらの事情だったようだ。

「まあ、お客さんとも長い付き合いだ!今他の休憩の奴らに予定を聞くんでえ、ちょっとここで待っててください。」

「えっ、ちょ、ちょっと待って!」

気づいたら俥夫は人力車と共に姿を消していた、やっぱりあの俥夫は人ならざるモノなのだろう。

生きていた頃ならとても恐ろしく感じるはずなのにそんな風に感じないのは、やっぱり自分は死んでいるんだなと思わず再認識させられる。


×  ×  ×


俥夫は人力車を曳きながら片手を振って笑顔で戻ってきた。

今回もこの俥夫のご好意によって、現世に運んでもらえることになった。

本当に申し訳ない、大層忙しいだろうに。

そんな俺の申し訳なさを感じているのかいないのか、俥夫は明るく声をかける。

「さあ気をつけて乗ってください。」

丁寧な対応で俺を人力車へ案内する。俺が台座に座るのを確認すると俥夫は、

「それじゃあ行きますよ!もう何度も言いましたが、俺が曳いている間絶対に降りちゃ駄目ですからね。お客さん、永遠に迷子になっちまうから。」

そう言って、柄を持ち上げて俥夫は進み始めた。


×  ×  ×


景色が変わる。

そこら中に靴や衣服が散らかっていて、まるで世の中の荒れている様子を映したかのようだ。

そして通常では考えられない枝の曲がり方をした樹々が連々と生えている。

俥夫はそんな奇妙に連なっている樹々を器用に避けながら、人力車を風のように曳いていく。

相変わらずすごい技術だなと感心していたところ、ふいに俥夫から声をかけられた。

「最近、お客さんみたいな方多いんですよ。」

「俺みたいな?」

俺は思わず聞き返してしまった。

「三途の川を渡ってもあの世の入国審査で追い返される人が。」

俥夫は一度言葉を止め、それは大きなため息を吐き言葉を続けた。

「いろいろ事情があると思います。世の中の流れもあるんでしょうが。」

もう4、5回も運んでもらい俥夫の人柄を知っているつもりだったが、この俥夫にしては珍しく沈んだ声をする。

「昔はね俺は人生を満喫した、悔いなく生きたっていう方が多かったのに、最近はそれこそ自動人形みたいに生きて死ぬ直前に後悔してこちらに来る方が、……多いんです。」

その言葉を聞いて、無性に寂しく感じる。

俺だって悔いなき人生みたいなの送りたかった。

でも死んだらこうも後悔が溢れている。気づくと俺はボロボロと涙をこぼしていた。

俥夫は俺のすすり泣く声を聞こえているだろうに、こちらを振り返らない。

気を遣ってくれているのだろう。

その気遣いに感謝する、この俥夫には本当に迷惑を掛けっぱなしだ。

おかしいなあ、さっきもあんなに愚痴を聞いて貰ったのに。

人力車の外の景色が涙でぼやけるくらい俺の目から涙が溢れ、しばらくの間その景色は変わらなかった。


×  ×  ×


ひとしきり泣いた後、俥夫は俺が落ち着いたのを見計らってか再び声をかけてきた。

「お客さん、あの審査を通るにはねえ。心持ちというか、要は覚悟みたいなもんが必要だと思ってるんです。」

ぽつ、ぽつと俥夫は俺に穏やかに語りかける。

「お客さんは後悔が溢れてて、通してくれないんだと思うんです。」

「後悔って、死んだ後に後悔しちゃいけないんですか。」

俺は思わずムキに聞き返した。

「う~ん、難しいんですけど。後悔を持ったまんまだと、次が苦しくなっちまいますよね。どこかで吹っ切らないといけないんですよ。」

「後悔を吹っ切る、ですか。」

「お客さん真面目そうだから、いろいろ考えちまうんですね、きっと。」

俥夫は困った顔で俺を見た。そして人に好かれる良い笑顔でこちらを振り返る。

「いい機会じゃないですか、現世旅行なんてなかなかできない。この旅で面白いモノやきれいなモノをたくさん見て、気分転換でもすればいい。休憩は大事っすよ。」


「さあ、着きました。ここからは私も行けないんで徒歩になりますが、歩くのもいいと思いますよ。」

「もう死んでいるのに?」

「比喩ですよ比喩。心の健康のためにもいいでしょう?」

そう言って人力車の柄を下ろした。

ここから歩きか。この短い人力車の旅がなんだかすごく名残惜しい。

そう思いながら俺は人力車から降りると、俥夫はさっと手を差し出した。

俺は無言で俥夫の手を握り返す。

もう死んでいるはずなのに、とっても温かく感じるのは何故だろう。

無言の握手を終えると、俥夫は人力車の柄を持ち上げて再びこう言った。

「お客さん、現世でいい旅を!人生も死後もうんと長いんだ。後悔を残さないよう、進んでください!」

俥夫はそう言って、私が気がついたときには煙に巻けるように消えていた。


今度は現世で何を見るのだろうか。

死んでしまった俺は、誰にも気づいてもらえない。

それでも不思議と”今回”は前回より幾分気が楽だったのは、きっと気のせいではないはずだ。


×  ×  ×


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