旅行エッセイ「寝台列車に乗ってモラトリアムに別れを告げた」
夕食を終えて一息をつく時間。
サラリーマンが家に帰る時間。
人がごった返す駅の中、私はホームのベンチに座りじっと待っていた。
モラトリアムが終わろうとしている。
モラトリアムの間、私はがむしゃらに走り続けてきた。
良い結果を出そう。
いい人であろう。
頑張れば素晴らしい人間になれると、そう思っていた。
そんなとき、ある人に言われたのだ。
ー頑張れば報われるなんて、世の中そんな甘くないよー
私はふうっとため息をついた。
あそこまでストレートに言わなくてもいいだろうに。
でもあの言葉がなければ、今ここで列車を待っていない。
× × ×
私は今回初めて一人旅をすることを決めた。なんとなくあの言葉に引きづられたような気もするが、この際良い機会だと思うことにする。
旅といっても2泊3日の短い旅。
だが私にとってこの旅は大きな意味がある。
成人して卒業したら、社会人になる。
周りの大人は、「社会人になると旅行なんてなかなか行けないから、今のうちに行っておきなさい。」耳にたこができるくらい助言をくれる。
そしてなんとなく心に刺さる頭が痛くなる言葉だ。
私は旅行代理店の店頭で旅先を探し、ふと目に入ったの旅先が「出雲」だった。普段なら旅行は友達や家族と行くだろうに、今回は一人旅にする。
旅先が「出雲」
そうだよ、神在月に出雲へ行くって、すごく風情があっていい気がする。
・・・そう思ったのだ。
× × ×
目の前に列車が到着した。
寝台列車「サンライズ瀬戸・出雲」
今晩の寝床にして、私を旅先まで運んでくれる列車。
寝台列車なんて人生で初めて乗るためか、すごくわくわくする。
私は切符片手に荷物を持って、人生初の寝台列車に乗り込んだ。
寝台列車は2段ベッドのような形になっており、私は上段の指定席に乗り込むため簡易はしごで上段に上がった。カーテンを開けて中を覗くと、思いのほかスペースがあって充分に休めそうだと思った。
寝台横に大きな窓がついていて、きっとそこから外の景色を見るのは最高だろう。
すると発車アナウンスが流れ、ゆっくりと列車が動き出した。
速度は段々加速していき、人が住んでいる街からどんどん離れていく。少しずつ緑が多くなっていき人工の光は次第に減っていった。
普段ならとっくに就寝している時間だが、私はしばらく外を眺めることにした。
秋の夜空の月が寝台横の窓から差し込んでいる。
夜の世界を疾走する列車から見る景色は、まさしく【絶景】としか言い様がなかった。
そんな絶景を眺めていると、ふとこんな言葉が頭の中を過ぎ去った。
・・・モラトリアムを通過している。
・・・頑張れば報われる時期を通過しようとしている。
・・・これから先、自分は一体どう生きるつもりなの?
冷たい言葉、・・・そんなの私のほうが知りたいさ。
× × ×
私は閉じた目から眩しさを訴えられ、目を覚ました。
気づくと私は眠っていたらしい。
気がつくと、朝日が窓からキラキラした光が差し込んでいた。
湖の光が反射しているのだろう、私ははっと息をのむ。
ああ、これは宍道湖か。
こんなに大きな湖を見たのは、初めてかもしれない。
私はしばらく湖の水面を息をのんで見つめていた。
朝日に照らされてキラキラと輝いている宍道湖。
寝台列車に乗らなかったら、見ることのなかった景色。
普段大勢で行く旅行では、こんなに落ち着いて見られないだろう。
・・・一人旅って悪くないのかもしれない。
私はそんな感想をぽつりと頭の中にこぼして静かに笑った。
× × ×
時間が過ぎるのを忘れて外の景色を眺めていたら、目的地に着いた、着いてしまった。
もう少しゆっくりしたかったが、目的地に着いたのだから仕方がない。
私は一晩考える時間をくれた寝台列車にお礼をし、旅の目的地に足を踏み入れた。
モラトリアムを通過して、私の行く先に待っているのは一体なんだろうか。
その問いの答えは見つからないのかもしれない。
多分、一生探し続けるのだろう。
私はなんて長い旅なんだと思わず愚痴をこぼす。
ただこの寝台列車の旅がなかったら、きっとこんな愚痴もこぼすこともなかったはずだ。
忙しない日々の中、考えることを放棄して、なんとなくで生きていた私に考えるきっかけをくれた。
ありがとう。
そう言って私は寝台列車に心の中でもう一度お礼を言い、私のモラトリアムに別れを告げた。