逃病記2022
それは、自由からの逃走か。はたまた。
この記事は 学園祭非公式 Advent Calendar 2022 の23日目の記事です。
さて、いつから始まった23日なのでしょう。リンクにアクセスするのはやめた方がいいと思うよ。「Calendar 2022」って書いてあるじゃないか。そんなバカな。
ごあいさつ
こんにちは。筑波大学というところで学園祭を実行する組織にいた、Masuらをぶりという者です。人文学類の3年ですが、これが投稿される頃には4年になっているかもしれません。もう1年経ってニートになっていたら、この記事はもう出ないでしょう。
時は2021年12月。2年生のこと。
執行代・局長としてそれなりに奔走した「オンライン雙峰祭」も無事終わり、
まあなんだ、もう終わりか
隠居先を見つけなきゃ
なんだか寂しいな
と心にも思っていない戯言を独りごちていたところ、
「じゃあ、来年もやってくれませんか」
と後輩からの一言。
普段なら、松美池よりも狭く浅く汚い私の心が、そのような申し出を受け入れることはまず無いだろう。
だが、弱り目に祟り目(*1)。縋るような目には耐えきれず、その申し出を不承不承受け入れ、通常2年生限りで引退する学実委で、現役3年生として居座る羽目に。しかも役職持ちとして。この時点で蝕む病に魅了されていたことは言うまでも無い。
当人の性格とかその他諸々からはかけ離れたところで(強調)、存在そのものが特級呪物と成り果てた私は、2022年も引き続き学園祭に携わることになり、冬を越え春を歩き(*2)、夏を北海道1ヶ月ステイ(*3)で乗り切った末、いよいよ10月の直前期に突入しました。
今回はその辺りから話を進めることにしましょう。心血を注ぎ込んだ学園祭直前に風邪を引き、天久保の地縛霊となった話を。
*1:まあ、色々あったんですわ
*2:東海道歩いた話もどっかで投げたいですね
*3:これだけつくばに居ない人間が、sokなんて務まるわけがない
ことのおこり
まず、事の前提として学園祭直前の私のスケジュールをご覧いただこう。
10月22日(土):横浜(地元)で用事
10月23日(日):資格試験受験
10月24日(月):通院、別団体の会議、つくばっく、学園祭OBOGの会議兼ご飯
10月25日(火)〜27日(木):授業やらバイトやら
10月27日(木)深夜〜11月2日(水)未明:歴史地理学実習
11月4日(金)〜11月7日(月):いわゆる「学園祭期間」
別にそこまで忙しくないじゃん、という人もいるかもしれない。
でも、私にとってはキツかったのだ。それは客観ではなく、主観の問題である。
でも、自分の身体の弱さを分かっていなかった、いや、分かっていたのに判ろうとしなかった私が一番悪い。
尚且つ恐ろしいところと言えば、ここに学園祭関連の業務が一切書かれていないということである。24日のご飯は「OBOGとしての会議」であり、現役の会議は全く別に進行している。というか当たり前に、会議が業務の本質ではない。
さらに実際のところ、上記のスケジュールを全てこなせたかというと必ずしもそうではない。試験は当然落ちたし、諸会議もオンライン参加にせざるを得なかった。時間は有限であり、体力も有限である。金はもっとない。
しかし、ここで異彩を放つのが、
10月27日(木)深夜〜11月2日(水)未明:歴史地理学実習
これである。
ここで???実習?????
日程を聞いた時は魂が震えた。いや無理だろ、どう考えても。
でも、これに行けなかったら卒業ができない。
自身の卒業と学園祭を天秤にかけたらそりゃ卒業に傾くに決まってる。(*4)
とりあえず、行くしかない。
*4:実習と学園祭の日時が逆だったら…と考えると末恐ろしい。「…決まってる。」とか絶対決まってない。
病魔
上の日程で深夜〜未明と書かれているのには理由がある。
それは、同じ実習に参加する男Aの運転する自動車に乗り込み、実習場所へと向かったからであった。
気になる実習場所は、山口県の下関市ならびに福岡県北九州市。
関門海峡をフィールドに実習を行うこととなった我々は、一路西へと車を走らせた。つくば〜下関は、ノンストップ高速で13時間かかる(*5)わけで、夕方の現地集合に間に合うためには、少なくとも前日の晩には出発する必要があったのだ。
まあいくら辛いといっても、運転するのは車の持ち主であるAである。
「13時間ずっと寝てれば着くじゃない」と思われた御歴々、詰めが甘い。
私は車の中で寝られないのである。
これは本当に困ったことで、どんなに疲れていても床の上でないと寝られない。寝られたとしても眠りが浅い。もうどうしようもない。ド深夜Slackを飛ばすしかない。
また、寝不足に追い打ちをかける、決定的事実が発覚。
Aは3日前から風邪を引いていた。
*5:Googleマップ調べ。実際は18時間くらいかかった気がする。
さて、条件を整理しよう。
ただでさえ忙しい・寝不足
学園祭直前に5日間の実習
自家用車での約40時間(往復)移動
車の中では寝られない
運転手は病み上がり
導き出される答えは一つしかない。
風邪である。誰が何と言おうと風邪である。あり得ないほどに風邪である。
こう書いてみると、本当に自分が能無しならびに脳無しであったと言わざるを得ない。
このnote、実は懺悔の文章です。
突然、詰問タイム
Q. 疲れていたことは分かっていましたよね?
A. 分かっていましたが、故に判断力はありませんでした。
Q. なぜ車で向かったのですか?
A. もう覚えていませんが、金が無かったことは確かです。
Q. 業務に影響は及ぼさなかったのですか?
A. 先輩方に権限委譲を(半ば強制的に)行わされ、とりあえず倒れたところまで記憶があります。本当に申し訳なかったです。
Q. 結局、風邪は引いたんですか?
A. 黙って見とけって。11月4日(金)に倒れるから。
実習を経て、当日へ
疲れというのは恐ろしいもので、全ての思考と判断を鈍らせていく。
下関に辿り着き、実習が始まってからは夜に業務を行うしかなかったため、寝る間もなく業務に身を投じることとなっていった。しかし、身体は限界であり、正常な処理速度は到底出せず。余計に業務が溜まっていったのだった。
本来であれば、他の人員に業務を任せ、自分は実習に集中する、という分別をつけるべきであった。
が、「他に4年生以上の先輩しか頼れる人員がいなかったこと」「Slackなどリアルを伴わない、さらにテキスト・コミュニケーションによる齟齬」「自身が(他より経験を積んでいるはずの)3年生であったこと」「準備不足であったこと」「もちろん、すでに体調が悪く判断力を失っていたこと」などなど、数え切れない理由から完全に頼り切れないまま、学園祭当日へと向かうことになってしまった。後輩諸君には参考にしてもらいたい。ネジの外れた、裸の蛮勇は全く必要ないのだ。自分の苦労は、知らず知らずのうちに周りを巻き込み全てを沼に嵌める。わっっ…共依存ってこと……⁉︎
結局、倒れたのは学園祭準備日の朝である。
それまでは何とか耐えていたことが意外であるが、もちろん体調はずっと悪かった。
完全に熱が上がり、風邪症状が顕著になったのが準備日だったということである。
熱は40度まで上がり、咳も喉も鼻も全て火を噴いた。
学園祭最中にも関わらず、薬や食べ物など、様々な健康になりそ〜〜な物品を差し入れてくれた皆様には、本当に感謝をしたい。おかげさまでポカリスエットが7Lくらい余りました。
学園祭中にも病床から色々な業務をしていた気がしますが、これを読んだ実委人OBが3時間くらいフラッシュバックに苦しみそうなので、ここには書きません。
おわりに
最後に、関係各所の皆様に多大なるご迷惑をかけたこと、心よりお詫び申し上げます。
そして、この投稿が目に入らないことを切に祈ります。
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