藤井風の「ガーデン」は、音楽的に美しすぎるという話
藤井風の勢いが止まらない。
ちょっとこれを見てほしい。
藤井風公式HPのライブ情報だが、さっと見ただけでも、「ロサンゼルス」「ニューヨーク」「日産スタジアム」「One-man show」といった単語が並ぶ。
穏やかではない。
26歳の若者がこの短期間にこの規模、それも連続で…
どれだけの観客の前に立つのか、想像もつかない。
大丈夫なのか。何かが致死量じゃないのかこれは?
さらに、3/15に公開されたばかりの新曲「満ちてゆく」は、早くも再生回数500万回に到達…と思い先ほど確認したら、650万回に達していた。
公開から2週間くらいですけど??
やばいって。軽く時空が歪んでいる。
というかこのペース、おそらく一生ヘビロテしてる者が一定数いる。
今後もまだまだ伸びるだろう。そう、彼らが再生ボタンを押し続ける限り。
ごあいさつが遅れました。
こんにちは、考える犬です。
さて、かくいう僕も、先日「満ちてゆく」の記事を投稿しました。
この曲がすこぶる好みで、日々視聴を繰り返す今日この頃。もう病みつき。
はーいヘビロテ民です!(へらへら笑いながら)
いやー良いなぁこの曲。良いなぁ。
個人的には不動の推し曲、「帰ろう」に続くヒットである。
そんな私、もう一曲特別に好きな曲がある。
それがこの曲、「ガーデン」。
この曲も良いんですよ…
この曲の魅力を一言で語るなら、「美しさ」。
単なる美メロに止まらず、多方向からみたときの均衡のとれ方、バランスの良さというのかな。傑作とされる石膏像にも似たものを感じる。
今日はそんな「ガーデン」の魅力を語りたい。
1.曲が美しい
まず曲について。
構成はAメロ→サビの繰り返し。Bメロは無し。
シンプルですね。
基本的には均一なメロディとコードの循環。
その中で、オケだけが展開していく。
どちらかというと洋楽的な構成だ。
最近の邦楽ではジェットコースターのように移り変わるメロディラインに複雑なコード等、とにかく派手に展開しまくるのがトレンドだけど、この曲はそれとは対極。
脱力した心地良いループ感。そこに一貫して流れる「ソ#ファ#ミ」のリフレインが重なると、美しい音楽の流れ、揺らぎのようなものが生まれる。
これがこの曲の肝で、このループ感により、我々はトリップするように彼の音楽世界に没入することができる。
構成としては、こんな曲が近いかも。
ここで一つ問題が。
「繰り返す」とは、ともすれば単調になってしまうのである。
しかし、そこは藤井風。ここぞという所で、しっかりスパイスを効かせてくれる。ざっと思いつくだけでも以下のとおり。
ぜんぶ解説すると音楽オタクの早口演説になってしまうので省くが、中でも特筆したいのは②、「だから冬よおいで」の半音転調。
転調したと思ったら、次のサビですぐにしれっと戻るのが憎い。
本当に、「やりすぎない」重要性を熟知した人だと感じる。足すことも引くことも自由自在だからこそ、そのバランスが秀逸。ここに音楽的な色気がある。
…それにしても、基本脱力、たまにドキッとさせたと思ったら、すぐに戻ってまたのらりくらりなんて、まるで藤井風その人のような曲ですね。
2.歌詞が美しい
さて、続いて歌詞である。
この曲、なんと言っても歌詞が美しい。
描写の美しさはもちろん、実は詩としての体裁の美しさが尋常ではない。
ちょっと見てみましょう。
冒頭では日本の四季を強く感じますね。
1番:Aメロ(春)→Aメロ(夏)→サビ
2番:Aメロ(秋)→Aメロ(冬)→サビ
という、均等な配置が美しい。
さらにこの歌詞、全ての文末の母音が「e」で終わっている。
上に引用した一部だけではない。
曲全編通して、終始語尾を「e」に統一しているのである。
さらに注意深く見ると、極力「ae」に揃えている点に気づく。
そう、「ガーデン(a-en)」に収束するように。
いやちょっと…えぐいって。
しかし…どうりでこの統一感。発音してみると実感する、丁寧にヤスリがけされたような語感の良さ。それにあまりに自然。自然すぎて僕はしばらくこの事実に気づかなかった。
「統一感」とは表裏一体で「制約」ともなりうるが、正直そんなもの微塵も感じさせない。メロディから独立した詩としても十分秀逸だ。なんて綺麗な言葉の並びだろうと思う。
なんだこの男は。
藤井風、詩人としてもチート級である。
それと、あともう一つだけ良い?
もう十分語りすぎている気もするが…
この曲を構築する文字数に注目したい。
よく見てみると、このAメロのフレーズ、文字数(音節)を、
全て「9、9、9、5、5」の枠に収めていることに気づく。
「九、九、九、五、五」。
決められた奇数の枠に綺麗に納め、四季を描写するって…
それってもはや俳句や短歌の文脈ではないか。
藤井風、あれだけ洋楽色の強い極上サウンドを作っておいて、乗せる歌詞では平安貴族のような言葉遊びをしている…?
その事実に気づいたとき、僕は震えた。
怖い。なんかもう泣きそうである。
もちろん、本人の真意は定かではないが…
ともかくそういった様々な要素で、この歌詞は詩として美しい。
それは間違いない。
3.テーマが美しい
最後に、テーマについて。
ガーデンとはなんだろう?という話。
ガーデン…すなわち「庭」。
それは主(あるじ)次第で、いかようにも姿を変える。
手入れをすれば美しく、怠れば荒廃する。
きれいな庭には鳥が訪れ、タネを撒けば春には芽吹く。
花を植えるもゴミを埋めるも、その人次第。
僕らは誰しもその領域を持っているから、ちゃんと整えておきたいよね。
いつしか果てるその時まで。
…うん。
なんだろうな…こちらへの委ね方と、余白の残し方が絶妙すぎるんだよな。
だって、↑の内容を見て、「いや全然違うだろ」って思う人います??中々いないと思う。ある種抽象的とも言えるのに、おそらくこのテーマ、受け手により大きく解釈がずれることが少ない。性別、年齢、おそらく国境さえ越えて伝わる。
これってすごいことでは…?「四季」と「庭」というワード、それに美しい音楽。これにより、否応なしにこの人生観は、伝わるのである。
もちろん、「庭とは人の心の隠喩だよ」と名言することもできる。しかし、敢えて語りすぎない奥ゆかしさ…あと、リスナーへの信頼とでもいうのかな。「ちゃんと伝わるよ」っていう。それが感じられて、なんかすげー良いなと思うのである。
まるで、
「全部言わんでも、ちゃんとわかるじゃろ?」
とでも言われているようだ。
いたずらっぽいあの笑みで。
4.総括
さて、この辺りで総括。
いかがだったろうか。冒頭で「この曲は美しい」と言ったその意味が、少しでも伝わってくれたら幸いです。本当にこの曲、見れば見るほど、惚れ惚れしてしまうような造形美を感じさせる。
ちなみに藤井風の場合、こうした曲が特にシングル曲ですらなく、アルバムにいくらでもゴロゴロしているから気が抜けない。
あの曲も、それにあの曲も、きちんと分析したらいくらでも新たな発見があるのだろう。そして打ちのめされるんだろうな…命がいくつあっても足りない。
でも、この先何度でも、僕は驚かされたい。
彼のクリエイティビティとイマジネーションに、ボコボコにされたいのだ。
願わくば末長く。
そしてその時はまた記事にするので、気持ちを共有してもらえたら幸いです。一緒に打ちのめされようぜ!!
藤井風、「ガーデン」。
遊び心と日本語の様式美に溢れたこの曲は、聞くものに鮮やかな色彩を連想させる。
まるで、彼の庭がどこまでも豊かな草花で溢れていると示すようだ。
今日はそんなお話でした。
それでは!
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