ゴスペラーズメンバー分析vol.4「北山陽一」〜底なし沼へ誘う低音〜
「へぇ〜ここが噂の、秘湯ゴスペラーズかぁ」
「じゃあさっそく、入っt」
「!!?」
・
・
・
・
〜FIN〜
…はい。
というわけで皆さんこんにちは、考える犬です。
え? 今のですか?
今ご覧頂いたのは、
「新規女性がまんまと北山沼にハマるシーン」になります。
毎年ツアーの時期になると必ず見られる、言ってみれば風物詩ですね。
春のウグイスみたいなもんです。
…ということで、今回はゴスペラーズメンバー分析第4弾。
「低音底なし沼」こと、北山陽一さんを見ていきましょう!!
はいビジュが良い!
これまでの分析記事は以下よりどうぞ。
これらの記事のとおり、ゴスペラーズがいかに魅力溢れているかはこれまで語ってきた所ですが、彼らが恐ろしいのはメンバーの数だけ沼があり、さながら沼の健康ランドのような様相を呈しているところ。
そんな秘湯・ゴスペラーズですが、その入り口付近、一見気付かないような場所に、広くて深い、初見殺しの落とし穴のような沼があるのをご存知でしょうか。
それがゴスの初心者キラー、北山陽一氏です。
工学部の妖精たちのような上記動画のサムネからはにわかに信じがたいかもしれないけど、本当のことです。受け入れてください。
実際、ゴスに興味を持った新規女性が、一歩足を踏み入れたその瞬間落とし穴を踏み抜き、気づいたら北山沼に肩まで浸かっていた、なんてのは、この界隈ではよく見られる光景である。
今回はそんな陽ちゃんの魅力について、じっくり掘り下げます。
ではいきましょう!
1.ギャップの宝庫、北山陽一
彼がこれほど多くの婦女子を虜にする理由は色々あるのだけど、一言で言えば「ギャップ多すぎる」ことが挙げられる。
「多い」のではない。「多すぎる」のである。
ちょっと、1つずつ詳細に語らせてほしい。
ギャップ1:ベースマンなのに線が細い
まずはビジュアル面である。
あくまでクラシカルなコーラスグループを考えた時に、ベースボーカルというのはこんなイメージがあった。
・年長
・背が高い
・体格が良い
1つずつ見ていこう。
まず年長という点だが、これはベースボーカルがそれだけアンサンブル上重要であり、なおかつ技術が必要なパートという事が関係している。
ベースとはルート音を鳴らすパートであり、これは和音を決定づける上で非常に重要である。したがって、若い者を前に出しておき、自分は全体を見渡しつつも演奏の根幹を支えられる者、すなわち年長者が担う傾向が強い。
また体の大きさについてだが、これは何もイメージだけの話というわけではなく、単純に身体が大きい人、声低くなりがちという人体の身体構造が関係している。
楽器でも低音を担当するコントラバスと高音担当のバイオリンでは大きさが全く異なるように、人体もでかい方が声が低くなる傾向がある。
これは厳密にいうと体の大きさそのものよりも声帯の長さが関係していると思うけれど、そういった難しい話は今回は省く。
大きな体でどっしり支えるサウンドの大黒柱。それがベースマンだ。
一方の北山さんだが、どちらかというと線が細い。さらに安岡さんと並び、5人の中では最年少である。
これは学生時代、北山さんの地の話し声が低いことに目をつけた村上リーダーが「ベースやってみろよ」と呼びかけ、ベースボーカルのノウハウを伝授したというエピソードが関係している。
この辺がこのコンビが「師弟」と呼ばれる所以で、さりげなく萌えポイントでもあるのだが、それは一旦置いておいて。そんなわけで、実は彼がベースボーカルというのは、一般的なベースマン像からすると意外性がある。
また、パッと見線が細く、繊細そうな彼から予想外の低音イケボが発せられるのは初見の方からすると「!!?」となるポイントであり、結果それ以降彼に目を奪われるという罪深い状況を生み出している。
その証拠に、これを見て欲しい。
ファンにはおなじみTHE FIRST TAKEの「VOXers」演奏動画だが、視聴者が北山パートをリプレイしまくった結果、「リプレイ回数が最も多い部分」の注釈がついてしまっている。
どうですか??これ。
身に覚えのある方は反省してくださいね。
どうもすみませんでした。
いや、これはしょうがない…格好良すぎるもの。
もっかい見よ。
ギャップ2:ベースマンなのに歌う(低音)
うわ、サムネのビジュが良い…
失礼しました。思わず本音が出ました。
さて、↑の動画のように、彼はベースマンでありながら歌う。ここでいう「歌う」とは、「リードボーカルをとる」ことである。
「どういうこと??」という方は、動画の3:27~にてご確認ください。
…こうして生まれるのか。あの注釈は。
話を戻します。もちろん昨今では増えてきたけれど、ゴスペラーズが活動を始めた1990年代当時、「歌うベースボーカル」というのは中々に革新的な存在だった。
グループによって飛び道具的に曲中のワンフレーズを歌うということは見受けられたが、メロディを通しで歌わせるということは、中々無いことだった。
理由は単純で、「ベースが歌うとベース音がなくなってしまうから」である。特にアカペラバンドの場合、ベースというのはリズムと低音を一挙に担い、ともすればリードボーカルよりも重要な働きをしている。
「音が1つ減っただけ」と思われそうだが、話はそんな単純ではない。実はベースは常に「ルート音」という音を踏んでおり、これは和音全体を決定づける非常に重要な音なのだ。
少し理論の話になってしまうが、全てのコードには最低音で一番鳴っていて欲しい音というのが存在する。Cでいうド、Emでいうミ。これが無いと途端に和音が曖昧になり、曲の持つ流れが破綻する。
では、そうならないために、どうすれば良いのか??
解決策は2つあって、それが
というもの。ご存知のとおり、ゴスペラーズは状況に応じてこの2つを使い分けることができる稀有なグループである。
また、当たり前すぎて見落としてしまいそうになるが、ベースに歌わせるためにはベースに歌わせるための編曲および作曲が必要になる。
極端な話、北山さんが「俺も歌いたいな」と思い立っただけでは、まだ実現には程遠い。彼が歌うためには、
といった問題を一つ一つクリアする必要がある。
そう、非常に骨が折れる。
北山さん自身というか、むしろ第三者の献身無しには不可能な道のりだ。
ここで一つ疑問が生まれる。
活動初期、一体誰が北山さんに歌わせようとしたのか?
影の存在であるベースボーカルを、そこまでしてフロントに引っ張り出そうとした張本人とは、一体誰だったのか??
はい!この人ですね!!
というのも、彼らの活動の中ではじめて北山さんが本格的にリードをとったのが、2ndアルバム「2枚目」のこと。
中でも、今や定番となった自己紹介曲「2.侍ゴスペラーズ」の北山パート、さらに全編通して北山さんが低音ボイスでリードをとる「7.虹」は、「ベースがリードを取る」という衝撃と、しかもそれが死ぬほど格好良いという事実をリスナーに見せつけ、同時にゴスペラーズにおけるコーラス陣やベースがただのバックではなく、まぎれもなく5人が5人とも主役であるという姿勢を改めて示した。
注目すべきは、この2曲とも村上リーダーによる作曲ということである。ここにはリーダーの「もっと北山を前面に出そう!」という意図が見てとれる。
というやりとりがあったかどうかは知らないけど、ともかく、今や日本のアカペラシーンでは珍しくない「曲の一部でベースがソロをとる」というこの手法がここまで広まったのは間違いなく実演した北山陽一が格好良すぎた事によるものであり、またその考案者であり仕掛け人は村上リーダーだったと見ている。少なくとも自分はそう信じている。
…といった願望を語ったところで、次行きましょう。
ギャップ3:ベースマンなのに歌う(高音)
さて、ここまで話してきたのは、あくまでベースボーカルとして低音リードをとってきた頃の話。
ご存知のとおり、この後まもなく彼は高音でも歌い始めます。
(0:35~北山リード)
(0:20~北山リード)
ずるいよこんなの。
低音がフェロモン全開の激イケボなのに、高音は繊細さを感じさせるクリアボイス。ずるいよ、こんなの。(2回目)
天は彼に何物与えるのか…
ちなみに上の演奏のどちらも、北山さんがリードをとっている間リーダーがベースのフォローにまわっている点は、師弟関係の萌えポイントである。謹んで摂取したい。
…さて、彼のテナーボイスだが、どこか儚い響きがあり、バラードとの親和性が非常に良い。その辺りを堪能したい方は、「月光」、「北極星」、「東京スヰート」あたりの楽曲をお勧めします。
また、せっかくなので彼の作曲について触れますと、彼の楽曲は「青い鳥」、「ハーモニオン」、「カーテンコール」など、メロディと和音の美しさが際立つものが多い。
ここからはあくまで推測だが、北山さんは殆どの楽曲をピアノで制作していると思う。作曲方法というのは人それぞれで、たとえば酒井さんはまずビートの打ち込みから決めている感じがするし、村上さんはまず自分の中のコンセプトから着手したような楽曲が多い。
対して北山さんは、まずピアノの前に腰掛けて、和音を弾きながら美しいメロディを探すタイプ。そう思う理由はいくつかあるが、その一つにグルーヴありきの曲が少ない事が挙げられる。ピアノはギターなどに比べてグルーヴに強い楽器ではないため、ノリノリの楽曲を作るというよりは、寧ろメロディや和音の美しさの探求に向いた楽器である。
ちなみにゴスの中では北山さんの他に黒沢さん、安岡さんもこのタイプと思われる。だからだろうか、北山さんは自身作曲の作詞を安岡さんに委ねることが多い。おそらく二人とも「曲の美しさ」や「詞の美しさ」に関心が高いという点で相性が良いんじゃないかな。
…というわけで皆様におかれましては、今後北山先生の楽曲を聞く時は
「これは彼がピアノを弾きながら紡いだメロディなんだ」と想像して聞いてみてください。
繰り返しになるが、ここまでの内容には、常軌を逸したゴスファンによる妄想が多分に含まれていることを念を押しておきたい。
僕はこのように事実と妄想を織り交ぜてコンテンツを堪能する危ないファンなので、鵜呑みにすると妄想から戻ってこれなくなる恐れがあります。
注意してくれよな!(焦点の定まらない目で)
2.ベースボーカルの地位を向上させた
ここで少し、アカペラ奏者としての視点で言及したい点がある。
それは、昨今の日本のアカペラにおけるベースボーカルの地位やキャラクターを決定づけたのは彼なのではないか?という点である。
たとえば、今日のアカペラではリードより寧ろベースが熱狂的な人気を獲得するというのはよくある話だが、この傾向を確立したのが他ならぬ北山氏なのではないか??
遡れば彼ら以前に日本にドゥーワップを鳴らしたグループにラッツ&スターやチェッカーズなどが存在するが、それらのグループで佐藤善雄氏や高杢禎彦氏が決してマーチンやフミヤより前に出ることがなかったように、ベースボーカルというのは良くも悪くも縁の下の力持ちといった存在で、その重要さとは裏腹にリードの陰に隠れることが多かった。
(↑ゴスペラッツでもおなじみ佐藤善雄氏。ゴスペラーズをデビューさせた恩人でもある)
そこで出てきたのがゴスペラーズである。
前述のように村上てつやの戦略と北山陽一の実演により、彼らはベースボーカルが前に出るというスタイル、そしてそれがいかに格好良いかということを示し続けた。
これにより、ベーシストが今日の人気を獲得する礎を築いただけでなく、アカペラにおける表現の可能性をぐんと広げた。
…というのは少し言い過ぎかもしれないが、もし北山陽一氏がいなければ、アカペラにおけるベースの立ち位置というのは、今と随分違っていた気がする。
彼らがどれほど日本のアカペラーたちを魅了したかは、おおよそカバーには向かない自己紹介ソングである「侍ゴスペラーズ」がいかに多くカバーされているかという点からも明らかである。
「ベースボーカルは地味じゃない。寧ろカッコ良い。」
当時の彼らがそう信じ、実行し続けた結果、多くのフォロワーも生まれ、今やその認識は誰もが当然のこととして認知することとなった。
彼らの25年が、シーンの常識を塗り変えたのである。
…と、僕は信じています。
3.総括
といったところで総括。
北山陽一はベーシストとしての実力もさることながら、師匠である村上リーダーとの強力タッグでベーシストの可能性を広げた、間違いなく日本で一番影響力のあるベースボーカルである。
…いや本当は、こう見えて意外とあざとい所とか、
ダンスが優雅で異常にターンがきれいな所とか、
ファンサに熱く、拘りを感じさせることとか、
意外にもゲラでよく床に笑い転げている所とか、
年下らしく他の年長メンバーが盛り上がっているときが一番嬉しそうで、でも自分は入らず一歩退いてニコニコしている所とか、
ぜんぶ詳しく語りたいんですけど、それをやると1万字を超えかねないので、ここでは割愛。
…ほんと罪な人たちです。ゴスペラーズ。
北山さん。良い顔。
これからも最高に格好良い低音と、究極のファンサで、
我々を虜にしてください。
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軽い読み物としてどうぞ。
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音楽の話をしよう ~深読み、分析、そして考察。~
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