スガシカオがどれほど危険な存在か、多くの人は知らない
スガシカオ。
シンガーソングライター。
…というのが、ネットでさくっと調べた彼に関する要約である。
うん、間違ってない。
間違ってないんだけど…
なんというか、「それだけじゃないんだよ!!」
という思いがある。
申し遅れました、私、考える犬と申します。
15年以上スガシカオのファンやってます。
で、そんな自分から申し上げますとこんなのは綺麗すぎる。
スガシカオという人の最大の持ち味といえばそう、「ドロドロとした狂気」。彼の音楽について連想されるワードを挙げてみると…
「思春期」
「生々しい」
「性欲」
「閉塞感」
「鬱屈」
どうよ、これ。
どう見ても穏やかじゃない。押見修造の新作か?
そう、彼はそんな狂気を纏いながら作品を生み出し続けるワーカーホリック系ソングライター。ポケモンでいえば間違いなく毒タイプである。
で、そんな自分がまず訴えたいのは、
すなわち「彼は世間が思うより危険人物である」と。
何が危険かって、彼の音楽は本気でこちらのメンタルを抉りにくる。
大体アーティストって若いときギラギラしていても、歳を重ねるほどに丸くなり、やがては程々に落ち着いた楽曲を作るようになる…が、この男は違う。
ずっっっっと刃物を振り回し続けている。
それも淡々と。涼しい顔で。
その切れ味は増す一方だし、なんなら切先に毒が塗られている。それも遅効性のやつ。刺された者は「……?」と感じている間にじわじわと死に至る。それがスガシカオファンの日常である。
…というわけで、今日はその辺をじっくり掘り下げてみたい。
ちなみに彼の音楽、鬱々とした過去がある方ほど致命傷を喰らう恐れがあるので、心当たりのある方は注意してください。
それでは参りましょう!!
1.経歴について
まず、彼の経歴について。
彼がオフィスオーガスタと契約したのが1995年。その後「ヒットチャートをかけぬけろ」でデビューしたのが1997年。
当時30歳ということで、どちらかと言うと遅咲きのアーティストと言える。
これには理由があって、彼は大学受験において2年間の浪人時代を経験しており、さらに大学卒業後には4年間の社会人経験をしている。脱サラからのミュージシャン転向である。
概算すると仕事を辞めた時点ですでに28歳なので、「夜空ノムコウ」で一躍名が知れたのが1998年ということを考えると、むしろ最短でヒットメーカーとしての地位を確立したとも言える。
…で、この浪人時代には逸話があって。
というのもスガシカオさん、予備校では勉学に勤しむ…と思いきや、とある女性にどっぷりハマってしまう。その壮絶な恋愛模様は後にインタビューで「半分ノイローゼ状態になるほどメンタルをグチャグチャにされた」と語るほど。
…いや何してんの。
とはいえこの辺りの人生経験が彼の恋愛観に著しい屈折影響を与えたのは間違いなく、それは彼のソングライティングの随所に反映されている…と思う。
というのも、彼の曲中に登場する「僕」の人物像は多くが10代後半から20代前半の若者で、さらに大体においてモヤモヤした閉塞的な状況下にある。
彼自身その状況にはうんざりしており、色々なことを考えつつ、どうにか抜け出したい…でも今は、まだその渦中にいる。そんなシチュエーション。
これですよ。
あぁ…あぁ…
スガシカオ成分で脳が満たされる音がするよぉ…!!
すみません。少々トリップしました。
…しかしこれこそ、彼の必殺パターンだ。
煮え切らない状況。
ダサい僕。
そのくせ変に冷静な視点…
これ、もはや彼の癖(ヘキ)と言っても良い。
思うんだけど、彼の人生でこの浪人時代の体験が強烈だったからこそ、彼の描く物語の「僕」はいつまでも青くて、未熟で、痛々しいのではないか。まるで当時の冴えない彼自身をそのまま真空パックにしたかのように。
…ちなみにこれは余談だが、この反動で彼は社会人時代は「女の子大好きー!」と陽の方向に爆発してしまったらしい。いや本当に何してんの???
…ということで、彼のこの時期は「音楽的な」というよりはむしろ「人生経験としての下積み時代」と言えそうである。
2.音楽性について
次にスガシカオの音楽性について。
彼の音楽性を語る上でポイントになるのが、彼が「相反するいくつかの要素を併せ持つミュージシャンである」ということ。
例えばここまで紹介したように、彼の書く歌詞は未熟な若者の鬱々とした感情を描写したものが多く、どこか文学的な香りがする。
当初の彼の佇まい(目深に被った帽子にアコースティックギター)も相まり、どこか「四畳半フォーク」的なものを連想させる。
…しかし彼が主に好むのは、「プリンス」「マーヴィン・ゲイ」「スライ&ザ・ファミリー・ストーン」といったブラックミュージック。ジャンル的にはファンク・ソウルと呼ばれる音楽である。
これよにり、「アコギと文学性の高い歌詞」+「ブラックミュージックのリズム」という一見ミスマッチとも思える組み合わせが誕生する。
…そして、個人的にはこれこそが彼を日本の音楽界において唯一無二の存在として決定づけた特大の要素だと思っている。
彼がデビューした当時(1990年代後半)にはすでに「米米倶楽部」「FLYING KIDS」「ゴスペラーズ」といったブラックなサウンドを鳴らそうとする若きミュージシャンは存在したけど、この「ブラックなグルーヴを引用し、その上に文学色の強い自作曲を乗せる」という個性は、あまりに唯一無二だった。
もっと言うと、ファンクっていわゆるパーティ要素の強い音楽なのにも関わらず、彼は「打ち込み」「宅録」などほとんど一人でやっていたことも個性的だった。こうした制作法により彼独自の世界観がいっそう際立つのはもちろん、同時に、えっファンクなのに一人でやるの??友だちいないのかな??と思わせられて、個人的には推せるポイントだった。
孤高のミュージシャン。
いいじゃないか。
ミュージシャンたるもの、暗い部屋で一人ギターを弾く寂しい男であれ(偏見)。
そんな僕の最も推すソングライターはそう、スガシカオの盟友でもあるこの人↓です。以後お見知り置きを。
(オーガスタ時代の2人の共演大好きだったなぁ…)
話が逸れました。
戻します。
…さて、彼の音楽を語る上で、最後に避けて通れないのがその声質について。
ザラつきながらも無機質さも感じさせるその声は天性のもの。まさに神様がくれたギフトと言うべきもの。シンガーソングライターでこれがあるのと無いのでは、楽曲の届き方が全く変わってくる。
特に彼の場合、その歌詞は目を背けたくなるほど生々しいものも多いのに、この声で歌われることによってどこか無機質で現実味のないものとしてスッと入ってきてしまうというのは特筆すべきことだ。
「この女の濡れた装置は生活に汚れすぎている」なんてキツい歌詞も、彼の声で歌われるとまるで村上春樹の描く性行為みたいに、どこか現実味がない空想上の出来事のごとく煙に撒かれてしまう。
「楽曲の個性と、声の相性が抜群に良い」。
これって、ものすごいことだと思うのである。
(結構エグいこと言ってるよ…)
余談だが、村上春樹とスガシカオは両者とも自認する互いのファンであり、その創作物には確かに一定の「相性の良さ」とも言うべきものが見出せる。
そんな村上春樹がスガシカオを語った文章が、こちらに収録されている。
興味のある方は、ぜひ読んでみてほしい。
3.楽曲紹介
さてここからは僕が独断と偏見で選ぶ、おすすめの楽曲を紹介します。
多作な人なので苦労しましたが、絞りに絞って全4曲。
それでは、参りましょう!!
1.アイタイ
2013年リリース。
10年以上在籍したオーガスタ独立直後の、ギラギラ期に発表されたシングル。…いや、この人がギラギラしてなかった時なんて無いんだけども。
大衆に受け入れられる続けるという地位を一度捨て、「まだまだ攻め続けてやるから、覚悟しろよ」という気概がこれでもかというほど滲み出ている。
これまでのスガシカオの集大成のような気合の入った重厚なトラックと、「いや…ちょっとえぐすぎん??」ってくらい匂い立つような歌詞が絶品。
特にこのサビのフレーズは、しばらく頭から離れないくらい衝撃的だった。
あなた以外誰一人、こんな歌詞書ける人なんていない。
そう僕は思う。
2.月とナイフ
1stアルバム「Clover」収録のアコギバラード。
意外にもシングルカットされていないアルバム曲…が、そんなの関係ない。正真正銘の名曲。それも彼の作品では珍しい、リズムトラックの無い曲である。
…でも、それが故に「僕」の抱える痛みがまさに抜き身のナイフのごとくこちらに突きつけられる。確かにこれにグルーヴがあると変に音楽として脚色され、このヒリヒリとした切迫感は失われてしまう。これで良い。この曲は、こうでなくちゃいけない。
曲中の「僕」は、この痛みに逃げ道なしで対峙すべきなのである。
一方、使っているコードは複雑で、これは実はジャズ界隈で頻出する下降ライン。カノン進行の発展系としてよく用いられるものだ。
この美しい進行を延々繰り返すことで、「僕」のやるせなさ、この痛みから抜け出せない閉塞感みたいなものも感じさせる。
シンプルでありながらエッジが効いており、ともするとこの痛々しさがどこか心地よくて、一種の中毒性を孕んでいる。
ギターを抱えたシンガーソングライターの作品として、完璧な一曲。
3.アシンメトリー
2002年リリース。
サウンド、詞、ビジュアル、世界観…全てが最高にクールで、マジで「格好良いとはこういうことさ」を地で行く一曲。
2000年代のスガシカオは、先に挙げたクセのあるソングライティングと重厚なグルーヴの融合という作風を完全に確立し、さらに大衆的・都会的なクールさも同時に獲得していたと思う。
この曲はその辺りのバランスが非常に良い。細部を見ればニッチなことをしているのに、同時に万人が理屈抜きに「格好良い!!」と感じる説得力も備えている。ある種、彼の一つの到達点とも言える曲。
個人的には、特に頭サビの歌い出しから、0:09の切り裂くカッティングへの流れが最高で、無限ループ不可避である。
4.愛について
1997年リリース。2ndアルバム「FAMILY」収録。
2ndアルバム収録でありながら、「アマチュア時代にデモテープを作り、各所に持ち込みをした曲」とのインタビュー記事があり、彼にとって思い入れ深い一曲と思われる。
彼にしては異色とも言える、明確に恋愛のポジティブなニュアンスを出した曲。ラブソングと言っても良いだろう。それでも単純な「愛してる」じゃなく、こんな言い回しをするのが実にスガシカオらしくて、にやけてしまう。
この「先が見えないのは承知の上で、それでも根拠のない肯定を試みる」ところに、スガシカオの人としての深みを感じる。
この曲を持ち込んでいた頃、会社も辞め、経済的にも困窮し、デモテープを持ち込んだ先からは心無い対応をされ…と、心身ともに厳しい状況だったに違いない。
そんな絶望的な状況にあった若者が、ここまで「人生と愛することの素晴らしさ」を赤裸々に歌っているという事実に、もうグッとくる。
ここに込められたエネルギーは、時を経ても全く色褪せることはない。間違いなく、時代を超越する名曲である。
4.総括
…ということでここまで語ってきたが、いかがだっただろうか。
彼がいかに魅力的なアーティストか。そして25年以上にわたり音楽でこちらを刺そうと試み続けている危険人物か。少しでも伝われば幸いである。
…さて最後に、ここまで執筆してきて一つ思い出したことがあるので、個人的なことだが書き留めさせてほしい。
というのも、僕自身も2年間浪人時代を過ごしたことがある。
さらに若い頃に転職したことも。
スガシカオと同じである。
そんな人生の局面において、きっと僕は頭のどこかで自身とスガシカオの人生を重ねていた。
彼が30手前にして脱サラし、ミュージシャンとして勝負をかけたこと。さらに10年以上在籍した古巣オーガスタを50を目前にして独立し、インディーズからの再出発を試みたこと。
そうした彼の攻めの姿勢は、結果として僕を勇気づけた。
年齢や安定といったものに捉われず、心に決めた勝負に次々と打って出る。時にはその責任に苦しみながらも最終的にはとんでもない景色に到達する彼を見ていると、たとえ自分史上一番ダサい時期であっても「自身もこうあれたら」と強く感じた。
スガシカオは、「相反するいくつかの要素を併せ持つミュージシャンである」と、先に述べた。
「クールに音を紡ぐ仕事人のようで、実はガムシャラに泥臭い勝負を続けてきた」という点もまた、スガシカオが孕む二面性だ。
そしてこれこそ、彼が「危険な存在である(=刺さる楽曲を生み出し続けられる)」その最たる所以だと思う。25年に渡り攻め続けているという事実は、生半可ではない。そしてそんな彼の姿勢は男として死ぬほど格好良いと、僕は思う。
最後に一曲だけ紹介して締めくくりたい。
2014年、事務所から独立して2年半。
戦い続けた彼が、極限状態で「前を向く」ことを歌った鬼気迫る一曲。
「アストライド」という曲だ。
以上です。
僕は彼みたいに格好良くは無いけれど、これからもファンとして彼の「攻め」を内心痛快に応援し続けます。
長文を読んで頂き、ありがとうございました。
Xやってます。↓
新着記事の情報や、ちょっとしたアーティスト分析など。
無言フォロー、いいね、リポスト、感想コメ、何でも大歓迎。
特に以下のアーティストに興味がある方は、僕と好みが合います。
お気軽にフォローしていってくださいね。
<(_ _)>
音楽の分析を主なコンテンツとしてブログを運営しております。
軽い読み物としてどうぞ。
↓
音楽の話をしよう ~深読み、分析、そして考察。~
↓また、こんな記事もどうぞ!