スキマスイッチの「さいごのひ」は、死亡した被虐待児の歌では?
※この記事に書かれるのは個人の憶測です。また記事中では児童虐待を取り上げますので、苦手な人は要注意。
こんにちは。考える犬です。
スキマスイッチの「さいごのひ」という曲がある。
2011年1月26日リリース。
はじめて聞いたときから、僕はこの曲に強く惹かれた。
美しいメロディ。
ピアノとストリングスを基調としたサウンド。
そして何より、痛いくらいに切迫した歌詞。
この頃にはヒットメーカーとして既に一定の地位を確立していたスキマスイッチだけど、この曲からはこれまでの彼らに無い、何か怨念めいたものを感じた。
しかし、その正体が何なのか、これまで深く考えることはなかった。
しかし時は巡って2024年。
つい先日のことである。
「この曲って、親による虐待で死亡した子どものことを歌っているのでは?」
と、突然僕は思った。
きっかけはこの動画。
8:57~が問題の箇所。
この曲について二人は、以下のように語っている。
それで気になって当時の事件を色々調べている中で、ある事件に行き着いた。それがこちら。
先に言っておくと、今回僕は「この事件のことを歌っている」と断定するまでには至っていない。それを特定するには歌詞や二人のコメントは判断材料として少なすぎるし、そもそも当時から時間が経ち過ぎている。
しかし、
といった断片からストーリーを考えると、不思議とピタリと一致する部分が多く、これまで自分が感じていたこの楽曲を覆う切迫感が、少し氷解したのである。
ちなみにネットを探せば、同様に感じたという意見がちらほら見られた。なのでくれぐれも言っておくが、僕が誰より先にそう考えたわけではない。リリース当時からその考えに至っていたという鋭いファンもたくさんいたのである。
さて、では以下よりその理由を解説したいと思う。
1.「さいごのひ」というタイトル
最後の火。
最後の日。
最後の陽。
色々な捉え方ができるタイトルだ。
本MVは常田さんが蝋燭に火をつけるシーンからスタートする。
暗い部屋、一本だけの蝋燭、ごく小さな炎。
その画は、どこか鎮魂の意味合いを連想させる。
「火=命」というのは、我々日本人なら自然に連想できるイメージだ。
であれば、「最後の火が消える」というのは「命の終わり」であって、「命が終わる日」というのは「最後の日」とも言える。
そして終盤のシーン、暗い部屋から出た大橋さんが手を伸ばすのは、世界を照らす「陽の光」である
2.部屋の様子
二人のいる部屋は、暗くて狭い。
そしてどう見ても新しいものじゃない。
カビの匂いさえ漂ってくる気がする。
壁は経年で膨らみ、塗装が剥がれている。
こうした部屋の作りは、昭和後期〜平成初期にかけて建築された公営住宅等のアパートに良く見られる。そこに暮らす住民は、経済的に困難を抱える者も多かった。
二人のいる部屋は廃墟のようで、しかし実はそうではない。部屋の至る所には微かに生活の残り香が感じられる。
しかし、部屋は同時に経年も感じさせる。部屋には埃が積もり、観葉植物は枯れている。部屋の主は生活の痕跡そのままに出てゆき、もう長いこと帰っていないように見える。
そして時折、子どもの気配が窺える。
打ち捨てられたおもちゃは、どうやら男の子のものだ。
ここには子どもがいたのだろうか。
その子は今どうしているのだろうか。
壊れたカレンダーのようなものがある。
それは特定の日付を示したまま、床に投げ出されている。
「DECEMBER 19 FRIDAY」。
金曜日の12月19日とは、2008年の12月19日のことである。
その日付は何を意味するのだろうか。
その日に何があったのだろうか。
3.歌詞のこと
言うまでもなく、スキマスイッチの両名は優秀なソングライターだ。
二人が楽曲に描く色とりどりの歌詞は、ときに単一ではなく多角的な解釈をも可能とさせる。
例えば、それを巧みな仕掛けとして用いた楽曲が「君の話」である。
この曲は「君の話は退屈だ」という「僕→君」への苦言だと思いきや、最後の最後でその構造が逆転し、実際は苦言を呈していたのは「君」で、退屈なのは「僕の話」の方だったと種明かしされる。
こんな二人だから、多義的な曲なんて、息を吸うように作ってしまう。そして冒頭で触れたように、二人は「この曲がとある事件をモチーフに作られたことを、当時は公表していなかった」と語っている。
以下に当時のインタビューを発掘してきた。確かに「モチーフになった事件がある」なんてことは、二人は一言も言っていない。
つまり二人は「とある事件への思いを暗に込めつつ、ラブソングとしても違和感なく捉えられるような曲として仕上げた」と言える。
だから僕は今まで、無意識にこの曲における「僕と君」が、あたかも恋愛関係にある若い男女のように感じてきた。
…でもこれがもし、とある児童虐待事件をモチーフに作られた歌だとしたら?この曲は、子(=僕)から母親(=君)への思いを描写した曲なのでは?
以下より、歌詞を一部抜粋して見ていく。
僕(子)は君(母)と出会った。
生まれたときには、名前すら無かったのに。
名前をくれたのは、君だったのに。
ありがちな「君の名を呼ぶ」というフレーズではなく、「君を呼ぶ声」としているのはなぜか。「僕」は「君」をなんと呼んだのか?
おそらく「ママ」と。
そう呼んだのではないか。
一人残された部屋で。
何度も、何度も。口癖のように。
それでも「君」が帰ってくることはない。
もう何度目かも知れない夕闇が、部屋を飲み込んでいく。そこにはかつて愛情があったのだろうか。今ではもう分からない。
昨日よりも今日の方が、より想いは強くなる。
より「君」に、会いたいと願う。
そうして発した言葉とは、きっと「君」への呼びかけの言葉。何度も何度も口にして、でもそこに込められた切実さに嘘は一つもない。
一人残された部屋で浮かべるのは、痛みを伴う記憶かもしれない。その痛みは身体に与えられたものか、それとも心に与えられたものなのか。それでも「僕」は「君」との思い出を優しい記憶として塗り替え、想い続ける。
カーペットの上。
横になる。
目をつむる。
もう、立つ気力さえない。
火は今にも消えようとしている。
それでも、最後の瞬間「僕」が思うのは、
大好きな「君」のこと。
温かい光のような「君」との記憶。
最後の瞬間に「僕」が想う人は、一人しかいない。
4.総括
…さて、ということで、見てきました。
どうでしょうか。僕の感じたことが少しでも伝わってくれたら嬉しいです。
ただしくれぐれも言っておきますが、あくまでこれは推測に過ぎません。過大解釈かもしれないし、完全に的外れという可能性もあります。
…でも、仮にもしもスキマスイッチが2011年当時、そうした意図でこの曲を制作していたとしたら、彼らは相当やばいなと思う。
何がやばいって、まず普通のラブソングに見せてこんなテーマを込めることが普通じゃないし、何よりそれをしれっとリリースして、全く説明しないまま10年以上経過させてるのがやばい。
普通アーティストって、自分の込めた真意を読み取って欲しいものかと思うんだけど…この曲に関しては「伝わらなくとも良いや」っていうある種の開き直りすら感じる。
ともかく、この件で僕はこの二人を「天才的なソングライターだ」と再認識したし、同時に「とんでもねぇサイコパスコンビかもしれない」とゾッとした部分もある。
でも結局、そんな二人が大好きなんだよな。
スキマスイッチ「さいごのひ」。
さいごの火が消える瞬間、人は誰を想うのか。
それぞれの思いを胸に、もう一度聞いてみるのはいかがでしょう。
今日はそんな話でした。
それでは!
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