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父の人生を変えた『一日』その48 ~休日出勤~

その48 ~休日出勤~
 アメリカでも土曜日も日曜日も無かった。ある日曜日に子供2人を赤のブレイザーに乗せて港に木材の検品に連れて行った。港の近くで出材された木材を良く検品した。子供たちはすぐに飽きてしまう。木材などに全く興味もなかった。木材に印をつけるスプレー缶が沢山置いてあった。太い丸太の木口にやっと字を覚えた娘の有香が自分の名前を書いた。「ありか」とひらがなであった。息子も真似をして「もと」とひらがなで書いた。 
 日本からテレックスが来た。松山港に上がった「木材の木口に「ありか・もと」と書いてある木があるが何かのマークか?」全く苦笑してしまう。東京営業本部に事情を説明した。休みの日に子供連れで検品しているのはたぶん私だけであろう。しかし事実である。そのうち子供たちはお父さんは木材のあるところばかりに連れて行って動物園等には行かないと理解して一緒に検品には行かなくなった。子供たちは正直である。ただ総合商社マンがいかに働くかはこの頃から子供たちは父親の背中を見て育った。アメリカの大地での生活はどんどん過ぎていった。すばらしきかなアメリカ我が第二の故郷である。


~倅の解釈~
 親父は本当に仕事が大好きだった。子どもの我々にも自慢しているようにいつも仕事場に連れまわしてくれた。検品場は木材の山だらけだったが、道中のドライブは楽しかった。シアトル支店のオフィスは大きなビルの中に入っていて、よくコピー機や文房具で遊んでいた。大きくなるにつれて、ついていかなくなったのは事実だが、このおかげで親父がどんな仕事をどんなところでしているかを学べた。何よりも大事なのは、仕事が「楽しい」ということを教わった。
 今や働き方改革で日本の社会は大きく変貌を遂げてしまっている。残念ながら欧米の実力型権利主張がバブル崩壊後、萬栄してしまったからだと思う。この欧米型の働き方を日本は完全に勘違いしていると個人的には考える。確かに、プライベートを尊重して、大幅に休暇があり、更には働く側の権利を企業はしっかりと尊重するという文化がある。いわゆる、経営陣と働く側おパートナーシップ。ただ、実力主義のアメリカでは成果に対する厳しい判断基準がある。成果をあげなければ「契約違反」。減給、解雇、左遷は当たり前である。社会保険は自分自身で組み立て、医療保険制度も充実していない関係で自身で家族の健康も守らなくてはならない。「自由という権利」の裏にはこのような「責任」が必ずある。この部分だけ日本の社会は旧体質の終身雇用のままである。
 親父は、我々子どもたちを仕事場に連れて行ったのは「残業」をしないとダメだからとか、「休日出勤」をしないとダメだからというわけではなくて、ただ単に仕事が楽しく、子どもたちに自慢したいから。単純なこの心意気が今は少ないんではないかと思う。
 「どうだ!!俺の仕事場だ!!カッコイイだろう」という親父は今、何人いるんだろうか?


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