父の人生を変えた『一日』その46 ~ヒンショー本田~
その46 ヒンショー本田
㈱トーメンの船が木材を積んで日本に向けて出港する前に船に行って「手仕舞書類」にサインをする。船が行く途中1人の白人が船をじっと見ていた。
「貴方、船が好きなのか?」と聞いた。Very much「良し!」当社の船なので手仕舞する間船を見学させてやろうと案内した。その外人は非常に喜んだ。その嬉しさは顏満面に表していた。帰り際、家によってお茶を進められたが事務所に帰ってテレックスを打たねばならず丁寧に断った。数か月後、当社の帆船のウスキパイオニアーという大型船が入港した。港は珍しい船を見る為人でごった返していた。その時以前会った、あのおじさんがいた。彼だけ船に乗せてあげた。
日曜日だったので彼の家に立ち寄った。「驚いた。全く驚いた」アメリカの旗が家の前に翩翻と風になびいていた。部屋に入って更に驚いた。部屋が17個ある大きな家であり部屋、それぞれ壁紙の色が異なっていた。リビングに案内にされた。本田宗一郎と一緒に写っている写真があり井深大氏との写真もあった。
「お前は何者だ?」と聞いてみた。アメリカ本田、ヒンショウ本田の社長という。家の中にプールがあった。その電気代が月額私の家の家賃と同じ1000ドルかかるという。全くのアメリカの大金持ちであった。
アメリカンドリームを実現した人であった。それから、このおっさんの付き合いが始まった。見るからに腹をポコンとだしたTシャツを着た全く普通の人であった。しかも後で解ったことだがワシントン州で3人しか持っていないと言う無制限、限度無しのクレジットカードを持っているおっさんであった。すっかりと友達に成ってしまった。支店長もなぜライオンがこのような大金持ちと友人に成ったのか驚いていた。
~倅の解釈~
このヒンショーホンダのヒンショー社長には私自身も大変お世話になった。白髪でぽっちゃりとした着飾らない普通の方。ここには詳細にわたって記載がされていないが親父はこのヒンショーさんのコネクションをフルに使って商売をしたと聞いている。でも、私はわかっている。親父は商売以上のものをこのヒンショーさんから得ていた。一代でアメリカンドリームを成功させた秘訣、ノウハウなどもお付き合いの中で吸収していたに違いない。なぜこう思うかと言うと、とにかく良く一緒にいたし、よくヒンショーさんの話をしていた。親父は完全に経営者の大先輩であるヒンショーさんから帝王学を学んでいたのである。
私とヒンショーさんとの関係はシンプルです。高校2年生の時にホストファミリーのところを家出して、一人でシアトルのダウンタウンに住むことになったとき、私は日本に帰国するつもりは全くなく、国際弁護士になる夢をかなえるため必死だった。当時の私のステータスは「留学生」だったのでF-1というビザが必要であった。ただ、一つの高校で発行できる期間が1年間。なので高校1年、2年と別の高校に通わないといけなかった。3年の年は私が受け入れてくれる高校が高速を使って40分安アパートからかかる場所にあった。当時乗っていたフォード社の車は燃費が悪く、更に修理代にいつも金がかかっていた。そこで考えた。日本車は燃費が良くて、ほとんど壊れない。さらには長く乗れるので大学4年間も乗れると思い、アルバイトでためたお金と両親からお金を少し出してもらい、ヒンショーさんを訪ねた。
関税という制度をまったくわかっていない私はアメリカで購入する日本車の高さに翻弄され、正直、言葉も出なかった。ヒンショーさんはこれを見逃さなかった。
「Moe(私のニックネーム)how much can you spend」と聞かれた。予算は?と言う質問。日本円で約40万程度しかなかった。ほとんどの車は100万以上。勿論中古車で。
「Ok let’s make a deal on behalf of your dad」あなたの親父にお世話になったのでいい契約をしよう。
この一言で新古車のホンダシビックを販売してくれた。うれしかった。飛び上がるほど。夢に見た日本車。実は、このやりとりは両親はまったくもって知らないのである。
親子二代にわたって、ヒンショー社長からは大事なことを学んだ。私はこの御恩は一生忘れない。まさしく一儲けである。