父の人生を変えた『一日』その45 ~祖父祖母のトーメン訪問~
その45 ~祖父祖母のトーメン訪問~
米国に行って4年が経った。日本の本社の木材本部長からシアトルの自宅に電話が入った。
「ライオン、元気か?」
「はい、本部長何ですか家まで電話するとは?」
「いや、長岡の義理のご両親が私に挨拶に来られると言うのだが、なんの用だろう?」
「盆暮れ以外ご無沙汰しているので菓子折りかなんか持って挨拶に行くのだと思いますので30分でも会っていただけないでしょうか?」と沢田本部長にお願いした。
「解った、ライオン。何も特別な話は無いのだな」
と念を押された。
「はい、ありません」ときっぱり答えた。事実何も家から連絡無かった。
1時間してまた、本部長から電話があった。
「ライオン あのな、ご両親はお前を㈱トーメンから退社させていただきたいと言っているよ。」
と言った。なんで私に何の相談もなく。一体どうなっているのだ?と思った。本部長、私は何も聞いていませんので「断って下さい」と返事をした。一体何事が起っているのだと思った。
これまた人生を変える大きな1日になった。何か水澤家であったなと感じた。大江支店長にも話して大問題になった。困ったなと思った。
~倅の解釈~
この日が親父にとっても、私にとっても大きな『人生を変える一日』となった。父は母と結婚するとき、どうしても水澤家は女性3姉妹しかいないので、養子縁組を条件で結婚を許された。そのため、「鈴木」という旧姓を親父は捨てて「水澤」の苗字を名乗った。
父と母は獨協大学で出会い、熱烈な父のアタックの後、付き合った。新社会人なったときに多分結婚している。詳細にまで恥ずかしいので両親に聞いたことが無いので、いつ結婚したかはわからないが自身の年齢から逆算すると社会人になって間もなくのはず。水澤電機の次女が母である。どうしても結婚披露宴は経営者の娘と言うこともあり、また水澤3姉妹の初の結婚ということもあり、盛大に行われたと聞いている。東京のニューオオタニだったそうだ。そこで、トーメンにて生涯働き貢献するとお披露目をしたと聞いている。そして名古屋駐在中に私が生まれた。水澤家の初孫である。
この祖父祖母がトーメンを訪れるまでは父は商社マンとして世界と戦う気で人生を全うしていた。実は、両親の結婚後、3姉妹の一番下の叔母が結婚。その旦那様が水澤電機の跡取りとなった。なので親父は安心して、商社マンとして企業戦士としてアメリカで働いていた。この日が来るまでは。
私にとってもこの日は大きな日。この日が無ければ今、水澤電機の社長をつとめていない。
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