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父の人生を変えた『一日』その49 ~さらばアメリカ~

その49 ~さらばアメリカ~
 アメリカからの帰国する日が近づいてきた。アメリカの友人達がみんな「I will miss Lion」(ライオン、寂しいよ)と言って別れを惜しむ者がでてきた。色々な人が挨拶に来た。
ゴルフのピンアイの7番アイアンを持ってプレゼントだとある外人が来た。次は4番アイアン、次はピチイング、次々と挨拶に来ながらクラブを持ってきた。驚いた全部合わせるとフルセットになった。外人たちが結託してそうしたのであると後で聞いた。
アメリカ人の大の親友ジム・パスカルとラリー・バーガソンが来た。神妙な顔をしていた。製材工場の大きな製材機の歯を磨いてそこにアストリア港の絵を書いて㈱トーメンの船が木材を積んでいる絵が描かれておりこれが時計になっている。今でも家にこの時計がある。涙がどうしても止まらなかった。こんなに外人に親切にされた日本人もいないと思うくらいであった。会うは別れの始まりと言うが外人の友人は「へんてこりんな日本人ライオン」をこうも可愛がって親切にしてくれたのである。
 悪たれの外人ジム・エンゼレイは私が日本に帰ることが面白くなかった様である。プレゼントと言って木の箱を無造作に渡した。開けてビックリした。中にリボルバー拳銃のマグナムが入っていた。ジムは、これは駄目、日本に持って帰れないと説明した。すぐに家に帰り世界の銘木を集めた飾りをもってきた。100万円くらいの高価な飾りであった。今でもマンションの玄関に置いてある。そしてシアトルの町の写真の裏に良きアメリカ人のサインが書かれている写真があるが私の心の宝物である。さらばアメリカまた、来るよと言って涙を止めた。ライバル商社ニチメンと日商はライオンがいなくなったと祝勝会やったと後で聞いた。


~倅の解釈~
 我々家族がアメリカを去るとき、すごかった。空手道を通じて様々な友人が5年間でできた関係で飛行場には50名以上の方々が見送りに来てくれていた。懐かしい。悲しかったが、その時は別の感情が私には宿っていた。大好きな空手道を日本でできる。あこがれた日本に帰れる。悲しさと楽しみな気持ちと混合していた。
 親父は違った。夢だったアメリカにはもっと居たかったであろう。
 『製材工場の大きな製材機の歯を磨いた時計』ジム・パスカルとラリー・バーガソンからの贈り物
 『世界の銘木を集めた飾り』ジム・エンゼレイからの贈り物
「親父、しっかりと大好きな会社の会議室(元社長室)に飾ってあるよ。」
 3年前に親父が亡くなったとき、遺言などは一切なかった。母と16年前に離婚していたので、一人住んでいたマンションの整理をしたとき、親父があからさまに大事にしていたこの2品。他の物はぐっちゃぐちゃで。でも、この二つの物は大事に大事に飾られていた。
 我々がアメリカから日本に戻ってきたのは1990年。親父は1949年生まれなので、ちょうど40歳の時。青年会議所を卒業する年齢だ。この年齢で67歳まで大事に大事にとっておく贈り物をもらえるアメリカ人と出会えた親父。幸せ者である。自分自身にそんな悪友、親友がいるかを考えさせられる。小人数だが間違いなく『悪友』はいる。私も幸せ者である。


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