父の人生を変えた『一日』 その32 ~ラーンモア 芝刈り機~
その32 ~ラーンモア 芝刈り機~
土曜日、日本から来たお客さんとゴルフであった。隣の家のジェーンおばちゃんはゴルフばかりしていないで庭の草刈りをしなさいと私を説教する。一軒前の家に高校生のボブ君が住んでいた。中庭と裏庭含めてラーンモア(芝刈り機)でアルバイトさせた。4時間汗びっしょりかいて終わる重労働だった。ご苦労様と言いて20ドルをボブ君にアルバイト代として渡した。4時間も汗だくになって芝刈っていただいたお礼であった。心から感謝した。
夕方になった。ボブ君のお母さんが血相かいて私の所に来た。
「ライオン Are you going to spoil my son?」
「お前は私の息子を駄目にする気か?」
意味がよく解らなかった。何か俺が悪い事をしたか?と問いかけた。お前は息子に20ドルあげた。何か間違っているか?そうじゃない。お礼はそれでよいが金額が間違っている。Too much多すぎるという。それじゃ、いくらが良いのだ?5ドルであった。15ドルを返しにきた。それじゃ4時間汗びっしょりかいて芝刈って5ドルか?私はうなってしまった。アメリカ人は子供のしつけにはかなり厳しい事をそれから何度も何度も経験し学んだ。こうして近所からもみんなに可愛がられ面倒みていただきすばらしいアメリカ駐在の経験をさせてもらった。
~倅の解釈~
家の前のボブ、懐かしい。私よりも7歳ぐらい年上のお兄ちゃん的な存在。住んでいたベルビューの近所は雰囲気がよく、近所付き合いも多かった。当時のアメリカはまだ日本人が少なく、珍しかったのかもしれない。
ボブはいつも芝刈りをしてくれていた。前と裏の庭。いつも4時間から5時間。それをいつも私は見ていた。10歳ぐらいの時、親父に聞いてみた。
「俺も芝刈りやりたい」
「いいぞ。やれ」
いつも5ドルもらっていたボブ。彼の仕事を取る気はなかったが5ドルがほしくて。ある日曜日、私の芝刈りをデビュー、アルバイトデビューの日を迎えた。必死にやったが、表の芝で8時間。裏庭は諦めた。でも綺麗になった庭の風景は覚えている。アメリカの芝刈り機はエンジン式。危険も伴うので、多分母は、庭の手入れをする振りをしてみていてくれた。そして、親父のところに行き集金。
「終わりました」
「おう。ご苦労さん」
「お金」
「は?なんでお前に払わなきゃいけないのだ?」
「だって、5ドルいつもボブに払ってるじゃん」
「お前はそろそろ家の手伝いをする年ごろ。アホか!」
親父に痛烈に怒られた。水澤家は貧乏だったので、お小遣い制度はなく、おもちゃも誕生日かクリスマスに買ってもらう程度。家計は苦しかった。その後は私の勘違いで始めた芝刈りは私の責任となった。いつもいやいややっていた記憶がある。でもいつも母は側で庭いじりのふりをして私を見守ってくれていた。このような子どもがお手伝いをすることをchores「チョアーズ」という。どの家庭も小学生になると必ず家庭の中で担いがあった。当たり前の事だった。ゴミ出し、芝刈り、皿洗い、トイレ掃除、犬の散歩、新聞を取りに行く、掃除。様々なチョアーズがあった。今振り返るとこの風土と文化がアメリカの暖かい家族の根底を支えているのではないのかと思う。