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師匠のように
俺は、超絶頭が悪いし素行も悪かった
今はそれなりの年齢だしSNSで痛い目に遭ったから
回避しなきゃって動けるけど
若い頃はなんでもありで酷いやつだったと思う
けど、そんな中3だった俺に師匠は真逆のことを言ってくれた
敏明は頭がいい
敏明は将来、指導者になれよ
嘘でしょって思ったわ
超絶問題児の俺が
超絶学校の先生と揉めてしかいなかった俺が
どうやって先生になれってんだってば?
俺が8歳のときに父親が首吊り自殺をした
母親が内緒でこさえてた借金にショックを受けたらしい
んで俺は、縁もゆかりもない札幌に引っ越してきた
母親の実家があった美唄市で生まれた俺は
父親が亡くなるまでオホーツクの紋別市で過ごした
ちなみに俺のルーツは興部町の酪農家
んで俺は、母親が再婚するまでの2年くらいの間に
小学校を6回転校した
紋別から札幌に転校して札幌から美唄転校してまた札幌へ
思いっきり学習障害だったと今だから思う
そりゃ素行も悪くなる
タバコと万引き以外の悪いことは中学生までで体験したはず
ホント今の俺から見ても可愛げも救うようもないクソガキだった
ただ、11歳から始めた柔道だけは楽しかった
どんなことがあっても道場の稽古だけは絶対に休まなかった
学校はクソみたいな扱いしかしてくれなかったし
クソみたいな扱いしかされない振る舞いしかしてなかったし
だから、道場は貴重な居場所だった
唯一、フェアに成長できたと自覚できた場所だった
柔道してる稽古してる時間が唯一フェアな時間だった
ど底辺な俺だったけど
札幌ではそこそこ上の方まで勝ち上がれるようになった
そんなときに師匠と出会った
んで、学校の先生達からクソミソに言われてた俺が
初めて褒められた
母親にだって満足に褒められたことがない
俺の母親は父親を自殺に追い込むくらいの毒親だったし
俺は紛れもなく褒められた生まれて初めて
それからいろいろあって
入学した高校も転校して師匠とも絶縁ってかいろいろあったけど
俺は大学に進学して教員免許も取った
なんなら大学院で自分の指導論を論文にまとめて修士も取った
今の俺、なんでこんなんやってんだろう?
って思うことがあって
よくよくつき詰めたら師匠のお言葉だったんだって
最後に遭ったときもマスターズで優勝したことと指導者してることを褒めてくれた
直接は聞いてないけど、北大で指導してることを喜んでくれてたみたい
んでやっぱ、最後に師匠から言われたの
敏明は頭がいいって
後にも先にも俺のことを頭いいって言ってくれたのは師匠だけだ
自惚れたいけどそこは自覚できないな
けど、その言葉があるから自分らしくあれると思う
だから今日も稽古する
稽古するために稽古する
もしかしたらどこかで誰かの役に立てたら嬉しいな