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非認知能力から学びの力を/言語化できないこと

非認知能力は、現代の子どもたちに欠けてきた力。
これが学習のあらゆる場面で足を引っ張るのはすでにわかっていることです。


僕のところにはすでに長く取り組んできた蓄積があります。
既に、結果も出してきた通りです。


ここ4、5年で改善や修正を加えながら、これまでの世代の子達に対しての一定の最適解を出せるところまでは来ています。


もちろん、安易にノウハウ化できないのが非認知能力の特徴です。

言語化そのものが難しいのですね。

ああすればこうなる、〇〇すれば絶対こうなる、というような操作主義的発想でも、子どもたちを導くことはできません。


場をどう作り、どうコミュケーションをし、(授業を含め)どう学習を進めていくか。

ここが肝心なのです。


つまり、言語化しえない領域での、場づくり、環境づくりが、子どもたちの非認知能力を引き上げるためには必要なのですね。


だから、スクールの広告やホームページでも、実は一番大事なところを「書くことができない」。

それと、競合さんから偵察や探りのようなものがあっても(この業界ではよくあること)、真似されたりミートされたりすることもありません。

単にコース設計や料金を真似ても、非言語のところこそが肝心なので、真に真似ることはできないわけです。どうぞ参考にしてください、という程度でしかありません。
(とはいえ、塾業界は点数や偏差値にのみ強い関心を寄せる業界、ここで述べることにさほど関心はないでしょうけれど)

非認知の力を向上させていく。

それに合わせて、認知の力、いわゆる勉学の力をあげていくことが可能になります。

そのための場や環境を作っていくことがとても肝心なのです。

さらに、スクールでは、僕の授業は、学びを加速させる構造になっています。

コミュケーション、会話と対話、思考の階段づくりが、授業の中に組み込まれているのです。
(残念ながらこれも従来のわかりやすく面白い授業を目指している過去の価値観では実践できないものです)

 
授業以外の時間も、会話や対話、場全体のつくりが、子どもたちを取り囲みます。
先生が教えていようが、教えて無かろうが、あらゆる場面で、子どもたちの力をのばすことにつながる何かが、構造的に組み込まれているのです。


先生が自分でしゃべって伝達する授業だけを主眼においていてはできないことです。
従来の知識伝達授業だけでは、現代の子の思考を導くのは難しいのです。

この点がわからないと、単に、家庭教師や個別指導、あるいはデジタル教材では、思考力をはじめとする子どもたちの学びの力が、まったくといっていいほど伸びないことが理解できないでしょう。
(これについては親御さんにとっては不幸な時代かもしれません。表面的なサービスを子に与えることに終始してしまうかもしれないからです)


非認知能力、認知の力。
これを両輪のように上げていく。


その場所が、僕の作ってきたこの場であり、かえのきかない場なのです。

なかなか言語化できないのではありますが、それはそれでよしとせざるを得ないでしょう。
非認知能力はそれでこそ養われるわけですから。


授業でも授業以外の時間でも。
勉学でも、直接勉学に関係のない場面でも。

あらゆる場面で、子どもたちが力を伸ばせる場をみなさんに。



全国唯一の場を。

(おわり)




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本田篤嗣(Master Honda)
記事を気に入っていただけると幸いです。NPOまなびデザンラボの活動の支援に活用させていただきます。不登校および発達障害支援、学習支援など、教育を通じたまちづくりを行っています。