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デジタル活用の先の「先生の存在意義」

今や、映像授業が、簡単に、無料でも見ることのできる時代です。
便利。便利なんだから、どんどん活用すればいい。効果的であれば、使えるものは使う。


先生の都合なんてどうでもいいのです。


先生自身の、リアル授業の存在意義。これが問われるのですから、問われれば良いのです。


当然のことを書きますが、学ぶのは学び手、です。主体は、学び手である。
だから、先生とその授業は、学び手のためにあればいいだけのこと。
先生の都合、例えば、「自分の存在価値はどうなるんだ(やばい)」なんてどうでもいいことなのです。


ここで、先生自身の存在意義を見いだせない、同時に、学び手側から存在意義を見出してもらえない、そんな場合は、辞めればいいだけの話です。

厳しい話を書くのは、我々はプロだから。そして、時代の流れには逆らえないから。さらに、学びの主体はあくまでも学び手だから


だから、先生の都合なんてのは、ただの欲であり、エゴであり、どうでもいいのです。


しかし、です。


一方、現場で、子どもたちの特性や学び手としての姿をしっかりと見つめるとき、先生の意義はそう簡単に失われない、ということもはっきりと見えてきます。


便利なもの、効果的なものはどんどん使えばいい。デジタル上の、ドリル問題なんてのも、各社、かなり増えてきましたから、うまく使えば成果は出る。
しかしだからこそ、先生が授業において何をすべきかもまたはっきりと見えて来る。

先生が、授業において子どもたちの何をサポートすべきなのか、映像授業やデジタル教材では得られないものは何なのか、それもまた見えて来るのです。


で、言い方を変えれば、すでにそれが見えず、デジタルから逃げることでしか自分の授業の価値を守れない人は、早くやめたほうがよい。


ともかく、公教育の責任は重いのです。食える食えないみたいな個人的な事情で公教育に関わってもらってはやはり困るわけです。
デジタルの活用は多くの先生の従来の授業を淘汰して行くことになるでしょう。AIの進化も著しい。


しかし、どんなにAIが子どもたちへの個別最適化をうたっても、AIがどんなものであるかを知れば、先生がすべきことは逆にはっきりするのです。
しかも、それが子どもたちの学びにとっては、最重要な部分にすらなり得るのです。
最重要の部分を先生と先生の授業が担う。そんな未来が来ようとしています。

(多くの場合まだ先生が担うべき最重要部分が現場レベルでは理解されていません。ひたすら旧来型指導と授業を守ろうとすることの終始しているのが現状でしょう)


だから僕は、映像授業もYouTubeの無料映像も、デジタルドリルも、AI教材も、学び手にとって有効ならどんどん使って欲しい。
そして、その上で、僕とのコミュニケーションと授業が、子どもたちに最も重要で必要な学びを与え得る。ひとまずここまでのことがいま、僕がわかっていることです。


先生のエゴで、旧来の授業や学び方にこだわり続けることは、子どもたちの学びを奪う行為になる。


ここでは、そのことをお伝えしておきます。


(おわり)


デジタルをフル活用しながらも受けてほしい"賢くなるための授業"をしています。




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本田篤嗣(Master Honda)
記事を気に入っていただけると幸いです。NPOまなびデザンラボの活動の支援に活用させていただきます。不登校および発達障害支援、学習支援など、教育を通じたまちづくりを行っています。