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新たな通知表が暗示するもの/壊れた評価は入試をも壊す⁈

中学の通知表がマイナーチェンジ。

各教科の五段階評価と同時に、
項目に分けられたABC判定があるのですが、
項目数が減り3項目のみに。


付け方をみていると、この項目ABCは、
もう5とか、4とか、五段階評価とはさほど連動してない感が強まっていますね。
オールAでも5が付かないんだから、もう何が何だか、みたいな感じ。


基準があるのはわかるんですが、どこまでいっても主観であることは拭えず、むしろ、基準はそれをよりぼかす方向に働くように見えてきます。



何が起こっているかを考えておきます。


先生サイドの説明責任をもう果たしません、ということになりそうです。
項目ごとの出来を総じて、5や4がつくはずの部分が壊れると、そもそも細かい説明ができないということになります。

だから、ハナからこれは、いちいち保護者の人に質問されても、 「私が4だと思ったから4、3だと思ったから3」という以外に説明のしようがないはずで、つまるところ、説明責任の放棄宣言だと見えます。


そしてこのことが暗示するのは、内申点をより強力に学校が握り、入試および進学先にまで大きな影響を及ぼせる、ということになるでしょう。


もともと、内申点がどのように評価されているかが公表されることなく、密室での高校入試が続いてきました。
これに輪をかけて、内申点が力を強めることになるかもしれません。

少なくとも現状で、全くの恣意性を混入させることなく公平な入試が行われていると証明することは誰にもできません。
この点でもすでに説明責任は果たされていないわけですが、この傾向が強まると想像されます。


僕はすでに10年以上前から、他県とも異なりクローズドで行われている入試について、広告などの紙面を割いてでも問いかけをしてきました。
ちょっとこれは、ここでさらにクローズドになり公平性が見失われるのではないか?と思ってしまいます。


内申点の比重が大きすぎ、かつ客観的につけることが困難極まりない現状を考えると、子どもたちを真に教育しうると胸を張れるだけの状況か否か、改めて問うべきタイミングが来ているのではないかと思います。


最後に。

すでに内申点を人質に、授業や学校生活、宿題課題などを管理統制するというのが、多くの場での基本手法になっています。(僕は教室では学校関係なく多くの学校、ほとんどの小中学校を見てきているので、全体像を長年にわたり把握しています。その上で書いています)


このような状況が生まれたのも、長く発信している、「過去の手法が通じなくなった新たな特性を持つ現代の子どもたち」に起因します。
教育のプロと呼べる人たちが、子どもたちを理解することなく、素人同然になり変わってしまった。そして、制御する方法を、現在の内申点による制御に頼ったのです。
プロとしての怠惰とも言えます。


すべきことは、子どもたちの理解からの自分たちの進化であったのですが。


そのことを付け加えておきます。

(僕に関して言えば、ここまで発信してきたことがより確かなものになってきたとも言えます。ぜひ、動画シリーズや記事をご覧あれ)


(おわり)





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本田篤嗣(Master Honda)
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