トリフィドの日が来ても2人だけは生き抜く

どうしても読破できないのです。
何回か挑戦しました、でもダメでした。
ページをめくる度に、心臓が重くなる感覚に襲われて、とっても怖くて、ひどく疲れてしまうのです。
なのに、どうしても、これを読んでいないと、大変困ったことになる気がして仕方ないのです。
知らないことは、怖い。
私は、あなたにお願いすることにしました。

「私、別に本読むの苦手じゃないですよ。知ってますよね?」
「ああ、知っている。」
「うん、そうですよね。ご存知の通り、私いっぱい本、読んでます。変な本ばかり。」

私は片手で胸の前に本を抱え、もう片方の手であなたの腕を引っ張り軽く揺さぶりながら、続けます。

「でもね、どうしてもこの本は最後まで読めないの、だから、お願いします。代わりに読んで、あなたにしか、頼めません。」
「……仕方ないな。借りていくぞ。」

あなたは呆れた様子でため息をついて、私が抱えていた、一冊の本をするりと抜き取ります。

「ほら、その手も離せ。」

私が縋るように掴んでいた腕は軽く振りほどかれてしまいます。
あなたは自由になった両手で、パラパラと本のページを捲ります。

「トリフィド時代か、なるほど。前に少し話したことがあったな。」
「そう、気になってそれで読んでみたの、だけど、私ね、やっぱりトリフィドが怖くて仕方ないから。」
「そうだったな。」

歩く植物なんて、不思議の国のアリスみたいに可愛くてもいいはずなのに、トリフィドときたら、ビュンビュン動く触手が人を攻撃することもある、獰猛で、人間が管理できているのが信じられません。
この「トリフィド時代」では、そんなトリフィドがついに人間の管理下から解き放たれて、そこらじゅうを歩き回り破壊する、人だって襲うようになる、恐ろしすぎる、話なのです。

「でも、どうしても、怖くて、どうしようもなくって。読み進めることが、こんなに辛い話は、初めてなんです。」
「それで俺に読まそうと思ったわけだな、怖いものを放置しておくのは、却って怖いと、そういうことだろう。」
「でもね、それだけじゃないの。ちゃんと読んでおかないと、後悔する気がします。なんだか、モヤモヤして。」
「俺に任せた時点で、ちゃんと読んだとは言えないと思うが。」
「それは、そうですけれど……私が知らないこと、あなたが知っていてくれるだけで、安心するんです。それに、私だって、ちょっとは読みましたよ。だから、どんなにキレイな流星雨が降っても、見ません。」
「それは惜しいことをするな。」
「あなたも見たら、ダメです。もし、トリフィドの日が来たら、私たちだけ、視力をふたりじめしましょうね。約束。あと、トリフィドの倒し方が分かったら、教えてください。」

あなたが読んでいてくれるなら、大丈夫。
私は安心して、いつも通り、あなたと放課後の教室で本を読んで、夕刻、帰路に着きました。

それから幾月かたった放課後、いつものように、あなたの教室で一緒に本を読もうと、荷物をカバンに詰めていると、私の教室まであなたが迎えに来てくれました、こんなことは初めてです。

「ふふ、嬉しいです。でも今日はどうして迎えに?カバンも持って、もしかしてもう帰っちゃいますか?それとも、本は読まずに、お外でデートに連れて行ってくれますか?他のみんなみたいに。」

私の質問にあなたは答えません。
先にスタスタ歩いていってしまうので、慌てて追いかけます。

「無視するなんて、酷いです。答えてくれないのなら、私だって、勝手に帰っちゃいますよ。」

それでも何も言わないあなたは、私が何を言っていても、結局は着いてくる事を、私の考えを、知り尽くしているかのようです。

あなた追いかけ続けて、人気がない渡り廊下まで来ると、あなたは私を振り返り、こう告げたのです。

「―――今夜、流星が降るぞ。」

振り返って私を見たあなたの目は、少し細められていたような気がしました。
冗談を言わないあなたの、妙な冗談であれば良かったのに。
そしてこの夜、本当に、町を覆うほどの流星が、空を切り裂くように、降り注いだのです。

その夜、私はあなたの部屋にいました。
突然の世紀の天体ショーの始まりに、町中みんな大騒ぎして、外に飛び出して、その目に流星雨を焼き付けています。
ただ、私だけが、顔を真っ青にして、あなたに撓垂れ掛かっているのです。

「誰も、信じてくれませんでした。相変わらず変なことばかり言うなって、あなたの言うとおり。だからもう、どうなっても、―――あなたを残して、誰も、要りません。」

するとあなたはすぐに答えず、また少し目を細めて私を見るのです。

「流星雨を見たら視力を失う、本で読んだ。そう言われて、信じる人間の方が少ないだろう。正直、俺も100%信じているかと問われると、頷けない。」
「あなたまで、そんなこと言わないで。」
「しかし、みんなが浮き足立っているおかげで、こうして今、2人でここにいることを、誰にも咎められない。俺だけはお前を信じている。今夜は共に、目を塞いでいよう。」

私はあなたの体にしがみつくように、更に身を預け、あなたの手はいつものように私を受け入れて、引き寄せます。
あなたの言葉と行動はいつも、消えそうな私を穏やかにしてくれる。
だけど、今夜のあなたは私を抑え込むようで、少し力が強く感じます、―――それはきっと私の恐怖がそうさせた、勘違いでしょう。

カーテンを引き、全ての光を追い出した部屋で、家中から集めた毛布を、何重にも被りました。
外の冷たい空気すら隔ててくれる、2人だけの手作りの小さな密室。
それでも外からは、輝ける雨を喜ぶ、賑やかな歓声が、途切れることなく聞こえてくるのでした。

「明日になっても、あなたの姿を見られるのは、きっと私だけですね。」

暗闇の中で呟くように告げると、あなたは笑うように小さく息を吐きます。

「世界からはこぼれてしまうけれど、それでも、私、友達なんか作らずに、変な本ばかり、読んでいてよかった。」
「トリフィド時代は、俺に読ませただろう。」
「でも、あなたは読んで、教えてくれました。トリフィドは音に敏感なんでしょう。……今夜は目を塞いでいる代わりに、沢山あなたの声を聞かせてください。音に敏感なトリフィドに支配されたら、満足に、話せなくなるかもしれない。」

そう言うと、あなたの手が私の背中に回り、そのまま2人の距離を殺すように抱き寄せられます。
あなたはあやす様に私の髪を撫でて、少しだけ私の首筋を掠める。
くすぐったくて少し身じろぐと、あなたのその手は逃がさないぞとでも言うみたいに、私の髪に指先を絡めるのです。
そして、あなたは何事もないかのように答えます。

「では、ワイト島の話をしてやろう、トリフィドの居ない島だ。」

暗闇の中、間近で低く響くあなたの声を聞いていると、私たちの密室は、外の狂騒から、幻のように遠ざかっていくように、感じられるのでした。

次の日の朝、パチリと目が覚めました。
隣のあなたの姿を、私の目はしっかりと捉えます。

「―――よかった、視力、ある。」
「ああ、起きたのか。」
「あなたは、ちゃんと見えていますか?」
「安心しろ、俺の視力も奪われていない。」

安心しろといいつつも、私に安堵させる暇を与えず、あなたは続けます。

「しかし、問題は外だ、見なくてもわかる、尋常ではない事態が起こっているに違いない。この部屋を施錠しておいたのは正解だっただろう。」

あなたの言う様に、外はからは叫び声や衝突音、この世界の全ての悲劇が繰り広げられているとしか考えられない轟音が、すぐ近くからも聞こえてきます。

「やっぱり、トリフィドが……」
「その可能性は限りなく高い。」

次第に叫び声は減り、なにかが地を這うような、葉が擦れるような、そんな音が増えてくるのです。

「私たち、このまま、ここにいるのはダメですか?」
「今更、何を言いだすかと思えば……」

あなたは言葉を選ぶように、黙り込みます。

「だって、あなた、知ってるじゃないですか。私、トリフィドが怖くて、本も、読めないくらい、怖いんです。」
「……お前が本当にそうしたいのならば、それでもいい。」

低く落とされた言葉に、私の心臓が飛び跳ねます。

「だが、お前はなんのために、俺にトリフィド時代を読ませた。」

私はハッとしました。
あなたに、トリフィド時代を読んでと、私が読めない恐怖を、なんのために代わって欲しいと、頼んだのか。

「それは……この町がめちゃくちゃになってしまっても、トリフィドに捕らわれないように、2人で……」
「そうだろう。恐れることは簡単だ。だがお前はが俺に読ませたトリフィド時代には、生き残る術が書いてあった。俺たちはあの本の通り、生き抜くしかないのだろう。」

あなたの言葉は、私の恐怖を薄めてくれる、もちろん、まだトリフィドは怖くてしかたなないのです。
ただ、あなたとなら。
私の置き去りにした恐怖も引き受けてくれた、知っていてくれる、そばにいてくれる、植物に喰らわれた町で、あなたとなら。
それにあともうひとつ、あなたといる私には、とっておきの武器があるのです。

「本を読んでいたから、私はあなたと出会えました。そして、恋して。今日もあなたと見つめ合えます。―――本棚から、1冊、お気に入りを持っていってもいいですか?」
「構わないが、どうする気だ。」
「書を捨てよ町へ出よう、と、誰か言っていましたけれど、私は書を捨てるべ気きとは思えません、捨てたくありません。だから。」

あなたは少し驚いた顔をすると、そのまま沈黙します。
私には分からない、何かを見極めているように。
そんなに長くない時間なのに、どうしてか私はなんだかソワソワして、あなたの袖をつかみ、思わず話しかけます。

「ねぇ、どうかしましたか?ダメですか?邪魔になるなら、本、置いていきます。」
「いや、少し計算外だっだけだ。本は持っていくといい。書と共に町へ出るとでも言おうか。知識は……、本は武器になる。」

あなたそのまま数秒私をじっと見つめ、満足したように次は窓の外を睨むように見つめます。
「……そして、お前は俺といる。ならばそれは、更に強力な武器になるのだろう。」

そう呟いたあなたは、本棚の前に私を促します。

「あなたとなら、トリフィドの幹に駆け登って、星座まで行ける方法だって、掴めるって
、思います。」

私はあなたの本棚を物色します。
あなたの好きな純文学に混ざって、変なタイトルの背表紙が見えました。

「あ!これ、あなたの部屋に置きっぱなしになっちゃってたんですね。この、変な本は私のです。これにします。」
「決めたのか。」
「はい。これです。『神菜、頭をよくしてあげよう』!」


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