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0005 労苦せよ、走破せよ
You play with the cards you’re dealt …whatever that means.
(配られたカードで勝負するしかないのさ…..それがどういう意味であれ。)
―― スヌーピー
気を取り直す、という選択肢しか俺には無かった。
むしろ、それならそれで「蟲?」などと中途半端にぼかされていたことと比べれば、これはこれで随分とらしいではないか。
これは【強靭なる精神】と【欲望の解放】の2つの技能の合せ技、といったところか。
――そうではないとも言えた。
俺はすでに、どうしても果たしたい目的のために、既に「手段を選ばない」道を歩んだはずだったのだ。
ただ、それを「異世界に迷い込んでわけのわからない"種族"に改造された」ということのせいにしたかったのかもしれない。そういう後ろめたさは、あったのかもしれなかった。
俺は開き直って、目の前に誕生した異形の生命体の進化形態である労役蟲をじっくりと観察した。
労役蟲は、全体的に言えば昆虫のような頭部を持ったザリガニのような姿をしていた。
幼蟲時代の背中を覆っていたキチン質の外骨格が、胴と腹まで覆っていた。体色はラルヴァと同じく外骨格が黒色であったが、その間の柔らかそうな部分は、濃い赤みがかった筋肉であった。進化する前の存在であるラルヴァよりは、ずっと、頑丈そうだなという印象を俺は受けた。
そして、そんな筋肉と外骨格に支えられた、頑丈な肢が8本。
その中でも最も特徴的であるのが、北国のずんぐりした大型犬と同じぐらいの体長、その実に3分の1もの大きさを誇る長大な鋏脚だった。
――俺の父方の祖父は地元の大工達の棟梁だったが、使い込まれ職人の技が刻み込まれたその大きな手は、骨からして太く大きくゴツゴツしていたが、労役蟲の鋏脚の無骨さもまた、それに通じるものを感じさせた。
殴るのにも叩き潰すのにも役立ちそうに思われたが、それだけではない。
鋏の間には様々な角度で、可動する突起が2本ほど枝分かれしており――ちょうど、それを器用に動かすことで、レイバーの鋏はその見た目以上に、複雑な"掴む"動作をすることができるようだった。
試しに、新たに生み出していた幼蟲卵を運ぶように命じると、薄膜を傷つけないように、丁寧に運んでみせたのだった。
然もありなん、といったところだ。なぜなら、【情報閲覧】を労役蟲に対して発動したところ、次のようなステータスとなっていたことがわかったからだ。
【基本情報】
種族:エイリアン
名称:労役蟲
位階:3
【コスト】
・生成魔素:60
・生成命素:80
・維持魔素:5
・維持命素:7
【スキル】
・掘削適性:2
・運搬適性:3
・凝固液噴射:1
【存在昇格】
・胞化:揺卵嚢
・胞化:凝素茸
・胞化:???(更なる因子の解析が必要です)
いくつか気づいたことを記す。
まず、労役蟲の魔素と命素の「生成コスト」は幼蟲時代のコストからの累積が表示されているようであった。ラルヴァが魔素40、命素40であるので実質的な労役蟲の追加の生成コストは、命素20と魔素40ということだ。
次に、ラルヴァからの変化の2点目としての労役蟲の技能。
こいつは見た目通りに"掘る"ことと"運ぶ"ことが得意であるが、この世界を貫く重要な超常の法則である「技能」においても、それが保証されていることがわかった。
そして最後に、俺の【エイリアン使い】としての本質であるところの――眷属達の進化分岐について。
労役蟲は、俺の予想に反して「進化」ではなく「胞化」であり、変異するものも「蟲」ではなく――「揺卵嚢」だったり「凝素茸」だったり。そしてそれらの名称から予想できる役割は、迷宮システムにおける魔素と命素によって生み出す存在であるところの――『施設』そのものだった。
――労役により、様々な役割を持った「建物」を構築す。
なるほど、そう考えれば、いわば労役蟲の"系統"とは、そういう「エイリアン」であるとも言えた。まだ仮説だが……実証はすぐに可能だ、と俺は考えた。
実際に今からこの労役蟲を『揺卵嚢』に胞化させればよい。
そして、先ほど孵化したばかりの新たな幼蟲を次は『走狗蟲』に存在昇格させればよい。
そこまで判断して、俺はレイバーの"胞化"先の最後の一行を、もう一度「ステータス画面」から確認した。次に、俺自身の「ステータス画面」を【情報閲覧】から開いて、両者を重ねて並べてみた。
光の粒子からなる窓は、まるで何者かに操られたかのように俺の意図に答えて"最適化"され、1枚の「画面」となって情報の比較がしやすい配置となっていった。
俺が注目したのは次の二行だった。
・因子の解析:1<俺のステータスより>
・胞化:???(更なる因子の解析が必要です)<労役蟲のステータスより>
技能【因子の解析】という、まだ【エイリアン使い】に未知の、そして強大な可能性を秘めた力がある、ということを、俺は強く意識したのであった。
***
俺が"胞化"を命ずるや、労役蟲は、ピンと弾かれたように四肢を引っ込め、丸まった姿勢をとった。そのまま、体皮が硬く変性していき――その身体から、外骨格の間から、無数の微細な血管のような、繊毛のような触手がみるみる這い出してくるのが見えた。
それらはわさわさと地面を這い、周囲にじわじわと、まるで植物が根から根毛を伸ばすのと同じように伸びていった。よくよく観察したところ、それは魔素と命素の仄光の明滅が、少しでも盛んな箇所を目指しているようにも見えた。
やがて労役蟲の本体は、体皮が完全にゴム状の分厚い膜に覆われてしまったようであった。そしてラルヴァ=エッグの薄膜と同じく、この被膜はある程度の透明度があり、内部で泡立つように蠢き始める肉塊が透けて見えた。
その肉塊を、鈍い錆のような赤光を湛えた、濁った体液が包み込んでいた。肉塊はよく見ると、労役蟲がちょうど外骨格を脱いで、二周りほど小さくなったような蟲型の体型をしており、つまりあれが労役蟲の肉としての本体部分なのだろうと俺は考えた。
ゴム状の"容れ物"と化した中で、その蟲型の影が蠢くたびに、赤光の体液がどろりとかき回される様がありありと目の前に広がっていた。蛤虫介酒という、トカゲだかヤモリだとかそういった類の爬虫類を漬けた酒が元いた世界にはあったが――そんなゲテモノを連想させるような有様だった。
最終的な"胞化"の完了まではどれほどの時間がかかるか気になり、俺は【情報閲覧】を発動させた。
【基本情報】
種族:エイリアン
名称:労役蟲
位階:3
【状態】
・胞化中(揺卵嚢)
・胞化完了まで残り29時間54分52秒
・残り必要魔素:240
・残り必要命素:180
ステータス画面に踊る「29時間59分」という文字を見た瞬間、俺は即座に放置を決断した。
一応、俺が直接魔素と命素を注入し続ければ短縮はされるだろう。しかし、それではその間俺はずっと集中しっぱなしとなり、新たな幼蟲や、存在昇格の比較のために走狗蟲を創生することが、遅れてしまう。
――ましてや、外へ探索にいよいよ出ることを考えている現状では、どう考えても労役蟲の系統よりは、名称から言っても「走狗」する方が供には相応しいと思えた。
そこまで考えて、俺は冒涜的な肉の苗床と化した労役蟲に背を向けた。
この間、さらにもう一つ生み出していたものと合わせ、並べておいた2つの幼蟲卵と向き合った。
そして試みに、2体同時に魔素と命素を注ぎ始めるよう、右手と左手をかざして技能【魔素操作】と【命素操作】を諳んじ、念じ始めた。
***
それから経過すること、きっかり1時間48分12秒。
2体の幼蟲が生まれ、己を包んでいた肉塊である卵殻を食み始めていた。
俺の事前の狙いと異なり、2つのラルヴァ=エッグに同時に魔素・命素を注入した場合、孵化完了までの時間がどちらも1時間にできる――ということではなかったことが明らかとなった。
ラルヴァ同士が戯れる様を目で追いながら、俺は狙いが外れたことの理由について考えた。
幼蟲卵が完全に幼蟲に孵化するために必要な資源は、魔素10に命素30。それを注ぎ込むのに、破裂しない"ちょうどいい塩梅"は、1体は約1時間かかり、2体では約2時間であった。
これはおそらく、俺自身から送り出せる魔素と命素には"流量"があり、そこには限界があるということを意味していた。
仮に俺が「1時間で30単位の命素」を送り出すことができるとする。
幼蟲卵が1体なら「1時間で30単位の命素」を受け取ることができるが、2体ならそれを分け合って、1体ごとに「1時間で15単位の命素」しか受け取れない。そして、孵化に必要な命素が30であるため、この場合は孵化までは2時間かかる――と、こんな具合なのであろう。
俺はそう結論づけてから、本来の検証作業に戻るべく、2体のラルヴァに即『走狗蟲』への進化を命じたのだった。果たして【情報閲覧】を発動させ、孵化にかかるコストと時間を確認すると、必要なものは「命素80単位と自然進化で5時間」であった。
リソースの消費という意味では、労役蟲と比べて命素の消費に偏っているが、進化完了までの時間は早いといえる。そこから、先ほど計算した俺の魔素と命素の操作の"流量"を加味すると――結論としては「走狗蟲は3時間で1体」生み出すことができる。2体同時ならば6時間かかることになる。
しかし、と俺は気づいた。
放置していれば5時間で2体とも、進化が完了するのであった。
もちろん、現実には片方だけでも先に3時間で進化完了させ「2時間」という時間を無駄にしないという判断が必要な場面もあるかもしれないが、今はまだいいだろう、さすがに。
そう考えた俺は、急速に訪れた眠気に意識を刈り取られるように、横になって体を丸めて眠ることにしたのだった。
***
仮眠を取ること、4時間。
魔人族――ルフェアの血裔が混じった体となった俺は、疲労に対して強い耐性ができていたようで、実に2日半もの間、ぶっ通しで現状把握に務めていたこととなる。だが、疲れにくいだけであり、疲労自体はしっかりと蓄積されていたため、夢すら見なかった。
いつも俺を苛む、しかし同時に懐かしい、とある少女の幻視。それが夢の中に現れないことは、もう何年ぶりのことだったのだろうか。
代わりに、死んだ先輩が現れたのだった。
黒ぶちの分厚い眼鏡の奥に、侍のような鋭い眼光を秘め、微笑を浮かべた✕✕✕先輩が――俺の足元を指差して意味深な笑みを作った。
俺の足元で、蟻が巣を作っていた。巣から這い出した蟻達が、蜘蛛や蝶や、しまいにはトカゲや猫、何の生物の一部かわからない、わかりたくない、前足だとか耳だとかを次々に巣に運び込んでいる、そんな夢だった。
俺は先輩に呼びかけようとして、それが声の出ないタイプの夢だと気づいたのだった。
――先輩の名前が思い出せなかった。先輩の名前を無理やり、音の出ない声帯からひねり出そうとした時、先輩の顔が虚無に塗りつぶされていたことに気づいた。
その虚無の向こう側に、俺を「せんせ」と呼ぶあの子が隠れているような気がした。
そんな、夢だった。
「最悪の寝覚めだ」
起きて早々、俺は自分にそう言い聞かせた。
だが、考えないようにしていたことを一つ、突きつけられたということがわかった。
俺はぐっしょりと汗で濡れたTシャツを脱ぎ捨て、水滴であまり濡れていない適当な岩の柱に引っ掛けた。
自分自身に【情報閲覧】を発動しようとして、すぐにその必要は無い、と俺は首を振った。
――名前を亡くした。
先輩も。
俺自身も。
俺を「せんせ」と呼ぶあの子も。
その他の俺の人生に関わってきた色々な人も。
誰一人として、俺は"元いた世界"の、知己の「姓名」を思い出すことが、できなかったのだ。
あるいは、死に損なって異世界に迷い込んだことと合わせて、これは俺に与えられた罰だったということだろうか。何年もかけて準備をしておいて、台無しにした挙げ句、死んであの世で待っているということもできずに。
だが、今の俺は――「あの子の願い」に縋るしか無かったんだろう。
そう言い聞かせて心を保つしかできなかった。
結局そのまま、2体の走狗蟲が進化を完了させ、その姿を現す時間まで、俺はぼうっとしていたのだった。いつまでも夢想に耽っていても仕方がなかったので、俺は自分に言い聞かせるように、
「【欲望の解放】、【強靭なる精神】、発動せよ」
と無理やり諳んじた。
――技能位階の上昇を検知。技能【欲望の解放】を[3]に上昇――
***
生肉を引き裂く音を二重に共鳴させながら、中身の羊水ともつかない黄緑色の液体を撒き散らし、2匹のエイリアンが這い出てきた。
俺の見たところ、小型の肉食恐竜と表現するのが第一印象としては一番近い。
しかし、たとえば映画やVTR映像なんかで再現されたような、しゅっとした爬虫類然とした機能美のあるフォルムと比べると、走狗蟲は"でこぼこ"していた。
血色と肌色が入り混じった皮膚に、全身を構成する筋肉がところどころ歪に発達しており、ラプトルやディノニクスなんかと比べるとごつごつした印象を与える姿だった。しかし、そうした小型肉食恐竜を模したかのように、異常に発達した後ろ足は強靭な鉤爪を備えている。
また、長い尻尾をぴんと伸ばしてバランスを取る前傾姿勢は、獲物を前にすれば反射的に飛びかからんばかりの攻撃性を実感させた。
体格自体は労役蟲とほぼ同じくらいであり――爬虫類と昆虫を混ぜたような頭部が強烈な印象を与える。黄色い眼に、縦に切れた黒い瞳孔は、「蟲」という割にはやはり強く爬虫類を連想させた。
だが、一番特徴的なのはその"口"だった。上顎と下顎が、蛇の鳴き声のような獰猛な音を鳴らして開くと同時に、頬の辺りから生えている2本の巨大な牙が、まるでクワガタムシのように左右に大きく開くのである。
しかもこの左右の牙は、根本を肉膜で覆われ、先端の鋭い部分が露出する形状となっており――正面から見れば、口を開いた時にまるで「十字に顎が割れ開く」かのように見えるのだった。
そしてそんな「十字顎」の内側には、ずらりと細かな牙が並んでおり、幼蟲の体液と同じ系統の酸いた刺激臭をわずかに漂わせながら、荒い息を吐き出すのであった。
「これはまた、想像以上に武闘派なやつが現れたな」
思わず俺はそう呟いた。
名は体を表す、という言葉はこの「思考が最適化」される世界シースーアでは、元の世界以上に当てはまるものなのかもしれない、と思わされた。
労役蟲と比較して、獣然とした走狗蟲は、たとえば子羊程度であれば、余裕でその喉笛に食らいついて生きたまま貪ってしまうだろう。また、名前の通り走るのに向いた太く発達した二本の後ろ足の筋肉の隆起、そして足の半分もの面積を占める大小3本の鉤爪を見るだけでも――戦闘向けの眷属であることは一目瞭然だった。
迷宮領主である、この俺に対して特に敵対心のようなものを見せているということは無い。しかし、たとえば俺が1対1でこいつと本気で闘おうと思ったならば……武器無しの現状では、腕の1本を犠牲にするだけでは全く足りないだろう。
だが、それはすなわち、求めていた"供"にこの上なく相応しい人材、いや、エイリアン材であるということだった。
吟味を一通り終え、俺は本題としていた事柄を確認するために【情報閲覧】をランナーに対して発動した。
結果は次の通りだった。
【基本情報】
種族:エイリアン
系統:走狗蟲
位階:3
【コスト】
・生成魔素:40
・生成命素:120
・維持魔素:7
・維持命素:28
【スキル】
・咬撃:1
・爪撃:1
・蹴撃:1
【存在昇格】
・進化:???(更なる因子の解析が必要です)
予想通り、労役蟲の「胞化」系統とは異なり、こちらは「進化」の系統であった。そして現時点では"因子"が足りず、一つも新たな進化と分岐はできない――ということがわかった。
俺が新たに手に入れるべき、この"因子"というものが何なのかを探るという意味でも、洞窟の外側に一歩を踏み出すべき時が来たと言えた。
俺の忠実なる下僕として生まれた走狗蟲の2体は、まるで犬のように興奮した様子で荒く息を吐きながらも、じっと俺の方を見ていた。それは指示を待つかのような様子で、幼蟲のように自由にもそもそ行動するということもなさそうだった。
彼らが一心に俺を見つめている、その4つの瞳は、種としての攻撃的な性質に比較して、意外にもつぶらなものに思えるのだった。
今後、この2体を供として外の様子を伺うこととなる。そうすると"名前"が必要だろう――と俺は考えて、2体の走狗蟲に名前を与えることにしたのだった。
「よし。お前はアルファ、そっちはベータと名付ける。2体とも、俺は今から外へ行くから、ちょっと供をしてくれ」
――こうして、何気なく俺がやった"名付け"。
その時は、それがどういう影響を俺の能力に与えるかなど全く考えてもいなかった。それが、俺の迷宮を性格づける上で、大きな大きな意味を持つことになると知るのは、ずっとずっと、後のことだった。