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0012 現象の設計図
生き残る種とは、最も強いものではない。
最も知的なものでもない。
それは、変化に最もよく適応したものである。 ―― ダーウィン
たとえば、風車がくるくると回る様子をじっと眺めていること。
たとえば、鯉のぼりがたなびく様と、雲が変転して千々に分かれていく様を追いかけること。
あるいは、蟻が大型の甲虫を徐々に解体していき、やがて何も無くなっていくこと。
あるいは、そんな蟻自身が蜘蛛の巣に引っかかり、やがてぐるぐると糸で巻かれた白い塊と化すこと。
そういう有様を、ただじっと眺め注意力と集中力の全てをそこに投じている間、俺は頭の中でとぐろを巻いたように五月蝿い"思考"に静寂が訪れるのだった。
興奮する、だとか嗜虐的なテンションが高まる、だとかそういうものではない。
動ではなく静。
何かに集中して、全神経を持っていかれている間だけ、俺は全てが静謐になり安息が訪れるような心地を感じる、そういう頭をした子供だった。
その魂はきっと、本質的な部分では今も変わらなかったのだろう。
俺はただ無心で【エイリアン使い】としての作業を行っていた。
1時間かけて、俺自身の直接の【幼蟲の創生】で幼蟲を1体生み出す。その間に、最初の揺卵嚢が5体の幼蟲を生み出している。合計6体の幼蟲には、孵化したそばから『進化』と『胞化』を命じた。
5体は、8時間かけて労役蟲へと。
1体は、俺自らが【魔素操作】と【命素操作】で成長促進して1時間半で走狗蟲へと。
【幼蟲の創生】については、はっきり言って生成倍率10倍に設定した揺卵嚢の方が俺よりも早い。都合5倍の速度である。なので、俺が幼蟲を直接生み出すのは、他にすることが無い、この日最初の1体で十分だった。
最大倍率で稼働する揺卵嚢は魔素と命素の消費が激しいので、どこかで"枯渇"のタイミングが来てしまうだろうが――その時までに増やしまくり、その後は、生成倍率を落とせばよい。
その辺りの、言わば魔素と命素と時間を資源とする、俺の「迷宮経済」の基礎的な部分を確定させる、というのがこの作業を始める前に決めた今後数日間の方針だった。
ひとまずの目標として、
・揺卵嚢:5基
・幼蟲:50体
・労役蟲:30体
・走狗蟲:15体
を目指すこととする。その時点で、もしも魔素と命素の枯渇が起きていなければ、軍量の目標をさらに一段階引き上げる、という初動だった。
俺はたった今生み出した幼蟲を、迷わず走狗蟲へ進化させることを選んだ。
理由は「因子」である。解析率が、あとほんの少しだけ、たとえばあともう1体新たな"観測者"としての走狗蟲がいれば、解析が完了する因子があったのだ。第一にそれを確認して、俺の眷属達に新たな「進化先」が現れるかどうかを確認したかったのだ。
果たして1時間半後には、3体目の走狗蟲が誕生し、産声のような咆哮を上げた。するとどこからともなくベータがやってきて、どこか嬉しそうに3体目――ガンマにじゃれつくのだった。
「こらこらベータ、同類が増えて嬉しいのはわかるが、俺はちょっとそいつ――"ガンマ"に用事があるんだ」
外の探索での成果を現地で検分した際に、アルファとベータだけでは足りず、妖怪「2足りない」によって解析完了に至らなかった【因子:強筋】。ガンマが誕生したことで、やっと俺自身の【エイリアン使い】としての重要システムである「因子」への理解を一歩進展させることができる。
俺は1にも2にも先に、ガンマにまず、大柄なやつでも小鬼術士でもない方の小醜鬼の遺骸の一部を食わせた。
――間接解析による効率低下66%。『因子:強筋』の解析率100%に上昇――
――『因子:強筋』の解析を完了――
これまで何度となく俺の頭の中に流れ込んできた、様々な情報によって組み立てられてきた、混沌のジグソーパズル。
どれも途中まで、完成しそうで完成しないというところで、煙が風に吹き飛ばされるように白昼夢から強制的に醒めさせられていた。しかし、ガンマの"観測"によって、ついに『因子:強筋』が完成したのだった。
最後の1ピースが、ぴたりとイメージの中で当てはまった、その時。
俺は「強き筋肉」あるいは「強かなる筋力」という"現象"について、急に理解した。額に第3の眼が開眼したかのような、あるいは色を知らない人間が色を知ったような。あるいは、ヘレン・ケラーが水に触れた後に、手指の動きによって表される"語"を理解したかのような。
それは、蒙が啓かれたかのような、言葉にできない大きな「悟り」が訪れたかのような、静かなる衝撃だった。
力こぶ。力み。重量物の運搬。放たれる力。耐える力。密集する力。
「強けき筋力」とは、単なる生物学的な知識や、科学的な説明のみではない。そうではなくそれは――俺という観測者が「強けき筋力」という言葉を前にして、それが活用されることで「何が引き起こされるのか」という、現象そのものを示していたのだ。
ジグソーパズル、という喩えはあながち遠いものではなかった。
因子とは現象の設計図であったのだ。
強い酒気にあてられて酩酊状態になり、しかし急速に体からそれが抜けていって正気に戻ったかのような、茫漠とした覚醒感。
用は済みましたか、創造主様、と言わんばかりにベータがガンマに乱暴にじゃれつき、力比べをしているようだった。群れを成す野生動物にありがちな"序列付け"のようにも思われたが、アルファがそれを静観しているあたり、アルファとの間では既に終わっていたのだろう。
眷属達には眷属のルールがある。
そう考えて、俺はベータを止めることはせず、ガンマに【情報閲覧】を発動してステータス画面を表示させた。
【基本情報】
名称:ガンマ
種族:エイリアン
系統:走狗蟲
位階:3
【コスト】
・生成魔素:40
・生成命素:120
・維持魔素:7
・維持命素:28
【スキル】
・咬撃:1
・爪撃:1
・蹴撃:1
【存在昇格】
・進化:戦線獣(因子:強筋) ← NEW!!!
・進化:???(更なる因子の解析が必要です)
「……蟲、じゃないのか」
胞化によって「ファンガル」と化した揺卵"嚢"についてはまだわかる。
だが、走狗蟲が進化する方向性の1つが「○○獣」と表記されたことで、ますますこの系統は動物的な変化・変貌を遂げていくものであると俺は確信した。
そして「戦線」と書いて「ブレイブ」と読ませる名。
さらに、その性質を方向づける「因子」は、ずんぐりと小柄ながら筋肉の塊に思われた小醜鬼から得た「強筋」。
どのような姿になるかまではさすがに予想はできないが、その名の通り最前線に立って、矛となり盾となって「戦線を支える」ような、巨躯の盾役のようなエイリアンであろうと予想された。
「問題は、今"進化"させるか、だな」
力比べが割と本気の噛み合いと引っかき合いになっていたベータとガンマを、アルファが見かねて威嚇するように引き離した。俺が、彼らを見て思案していることに気づいたからだ。
創造主様から今にも声がかかるかもしれんのだぞ、お前ら、後にしろ――と"エイリアン語"で言ったかはわからないが、ベータとガンマは喧嘩を止め、アルファにならって俺の前に進んで並んだのだった。
だが、俺はすぐにアルファ達を『戦線獣』に進化させることは一旦見送ることにした。
まだ見ぬ"進化先"があることが窺えたし、「因子」に関する検証と作業は始まったばかりなので、いきなり「観測者」を減らしては意味がない。そして、労役蟲が揺卵嚢になるのに30時間かかったのと同じ程度の時間が、進化に必要だろうと思われたのだ。
それよりは、まだ今日は日も昇ったばかり。あと1時間半か3時間かけて、走狗蟲を4~5体に増やしてから、2回目の探索に向かうべきではないかと俺は考えていた。
その目的はいくつかあったが、主には2つ。
1つ目は亥象を狩って『因子:伸縮筋』を得ることである。念の為、亥象の長鼻以外の部位も持ち帰っていたのだが、おそらくあの「長鼻」でなければ因子解析はできない――「因子」が"現象の設計図"であると考えれば、「伸縮する筋肉」ではない部位を食わせても意味がない、という考えは確信に変わっていた。
それならば、小醜鬼が小鬼術士を伴っていたとはいえ5体で亥象を狩れるならば、俺も走狗蟲5体で狩れるだろう。
そして2つ目は、この島を今後探索するに当たって、俺の邪魔になるかもしれない小醜鬼自体の動向を探ることだった。
たとえば集落のようなものは形成してるのか。人数の規模はどれほどであるか。
最初の探索で遭遇した奴らはその中でどれほどの戦力だったのか、などである。
最悪のケースだと、もし他の迷宮領主が仮に侵入してきて……そいつが【ゴブリン使い】なんかだったりすると、俺は詰んでしまう。知性がありもっと温厚な種族とかであれば、交渉したり協力したり――迷宮従徒にできる、という可能性もあったかもしれない。
だが、亥象狩りの様子を見ていても、あの生物達は気性が荒く粗暴で、何より小鬼術士の酷薄な喜色の笑みが印象に残っていた。本能的な部分で、あれを信用してはいけない、と強く警鐘を鳴らすものが、あったのだ。
懐柔ではなく制圧。対等の交流ではなく、征服による使役、を選ぶしかないのかもしれない。何年でも時間をゆっくりかけられれば、あるいは交流の道もあったかもしれないが――迷宮領主である俺がするべきことは、もっと手っ取り早い手段であると思われたのだった。
ただ、癪ではあるが万が一にも小醜鬼の勢力が俺の【エイリアン使い】でも手に負えないレベルであったなら、"異界の裂け目"を通って【人世】へ行くことも真面目に検討しなければならない。
そうした情報収集のため、俺はわざとあの狩猟部隊の小醜鬼達の遺骸を残してきた。
捜索部隊のようなものが現れるのか、現れないのか。現れるとして、その装備や規模はどのようなものとなるか、などを確認。そしてあわよくば、俺の戦力で再度攻撃を仕掛けることも考えていたのだった。
――目的は『因子:強筋』ではない。
俺はガンマに、今度は狩猟部隊のうち、特に大柄だった1体と、そして小鬼術士の"頭部"の遺骸をそれぞれ食わせてみた。
果たして、単なる雑兵に過ぎない小醜鬼と、明らかに異なる「因子」が得られたのだった。
――『因子:血統』を再定義。解析率3.6%に上昇――
――『因子:風属性適応』を再定義。解析率5.8%に上昇――
――『因子:肥大脳』を再定義。解析率2.4%に上昇――
最初の探索で【因子の解析】を発動してこれらを得た時は、同じ小醜鬼であるのにこの違いが生じるのはどうしてなのかは、わからなかった。
しかし、因子が"現象の設計図"であることを理解した今は、何となくだがその違いがわかる。
まず『血統』については、大柄ゴブリンからのみ解析できた因子だった。
この個体は、体格もそうだが身につけていたものも豪華であり、明らかなリーダー格だった。つまり小醜鬼達の中でも、特別な個体であった可能性が高い。もしも、この生物が部分的にでも、人間のような文化や知性を有しているならば――例えば群れのボスの"血筋"である、ということだと思われた。
すなわち『因子:血統』とは、同じ種族の中から"選り抜き"を生み出す現象、であるかもしれない。
同様に『風属性適応』については、小鬼術士からのみ解析できた因子だった。
こちらの方がむしろ"現象の設計図"としては、わかりやすいだろう。亥象の鼻先を何かの方薬のようなもので、しつこく風を操って覆っていたのは【風】属性による技であったのだ。
当然、これはその他の単なる暴力を振るうしかできない、雑兵ゴブリンから解析できるような因子でないことは明らかだった。
そして『肥大脳』については、雑兵からは解析できず、大柄ゴブリンとゴブィザードから解析できた因子だった。
逆説的に、小醜鬼の世界では「頭を使う」役割を持った個体が限られている、ということがうかがえる。動物である"猿"と"人間"を分かつ重要な違いが、高度な意識と知性を宿した「脳」の有無である――そういうことを表しているのが『肥大脳』なのだろう。
このように、小醜鬼からはまだまだ手に入れることのできる因子が存在するのであった。
特に『属性適応』は――それが迷宮核の知識にある『シースーアの魔法』を指すものであるなら、知識によれば、
『火・風・水・土・雷・氷・闇・光・空間・精神・重力・混沌・活性・均衡・崩壊・死』
という16属性もあるのだった。
いずれも、神々の争いの時代に存在したという、人族の超大国の元で整理・分類された『魔法学』という体系が【闇世】でも継承されているとのことだった。
……さすがに、この孤島で、しかも小醜鬼からその全ての「因子」を解析できるなんてことは不可能だろう。数がそれほどいる、とも思えない。しかし、ゼロではない。『属性』にしても【風】以外にもう1つか2つは、手に入るぐらいは期待できた。
それに、別にすぐに因子化できなくてもよいのである。
それが魔法の技である、と確定するならば、俺は俺で"ルフェアの血裔"としての技能【魔法適性】があり、潜在的には、それを扱うことができる。小鬼術士をたとえばうまく生け捕りにできれば、そいつに魔法を空撃ちさせて、魔素と命素の流れを観察することで、俺も魔法を習得できる可能性がある。
それだけでも、初日の探索を上回る成果になることだろうと思えた。
だが、今はその準備。
因子に関する検証作業は、もう少しだけ残っていたので、俺は走狗蟲3体に意識を戻した。
「次はアルファ、ベータ。お前らもだ、多少は残しながらこれらを食ってみろ」
最初の探索では、日が暮れてしまったため、野獣との夜闇の中での遭遇を避けて【因子の解析】をしなかった戦利品がいくつかあったのだ。
俺は隅の方に乱雑に積んでいたそれらから、青い果実、小醜鬼の木槍、光る粉入りの袋、大柄ゴブリンが首飾りにしていた"牙"のネックレス、ゴブィザードが着ていた"鱗"の服、そして大事そうに持っていた何かの植物を砕いた粉末と思しき袋、を持ってきた。
それらに対して、俺自身が【因子の解析】を発動。
アルファ、ベータ、ガンマに食わせることで"間接"解析。それを立て続けに、一気に行った。
――『因子:酸蝕』を定義。解析率18%に上昇――
――『因子:猛毒』を定義。解析率7%に上昇――
――『因子:紋光』を定義。解析率5%に上昇――
――『因子:重骨』を定義。解析率6%に上昇――
――『因子:水棲』を定義。解析率3%に上昇――
――『因子:酒精』を定義。解析率11%に上昇――
様々な"現象"のイメージが無数のジグソーパズルとなって脳内を乱れ飛び――たちの悪い薬物でもキめたかのようなトリップ状態に陥って、俺は数分間、意識喪失状態になってしまったのであった。
だが、まだ終わらない。終わらせない。
気を失う前に、まだ確かめるべきことがある。
現実と混沌のイメージが綯い交ぜになったかのようだった。
俺は酔ってしまったように、出来の悪いポリゴンのような仮想現実空間に迷い込んだように方向感が無かった。歩いている感覚すら、雲の上をふわふわ歩いているようだった。
それでもかろうじて、五覚を越えた迷宮領主と眷属の特別な繋がりを頼ってアルファら3体に支えられながら、今も機会的に一心に幼蟲の生産を続ける揺卵嚢まで歩いた。
そしてその肉皮に右手で触れて【因子の解析】を発動。
さらに、左手で俺自身に触れて【因子の解析】を二重に諳んじた。
――『因子:拡腔』を定義。解析率25%に上昇――
――『因子:肥大脳』を再定義。解析率12.5%に上昇――
――『因子:魔素適応』を定義。解析率100%に上昇。解析完了――
――『因子:命素適応』を定義。解析率100%に上昇。解析完了――
最後の2つが一番効いた。
まさかいきなり100%になるとは予想だにしておらず、複数のジグソーパズルのピースが脳内を蝶の大群のように乱舞しながら交わりあい、また交錯しながら"現象"そのものを視覚的・共感覚的に表していく。
はっきり言って五感どころか第六感やら第七感だかを総動員しても、俺はそれをこれっぽっちも理解できず、脳を強引に拡張されるかのような、悪酔いするような浮遊感と共に、そのままぶっ倒れてしまったのであった。