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「Detroit: Become Human」をプレイして
最近「Detroit: Become Human」をプレイした。発売前にトレーラーを見て気になっていたのだけれど、発売当初はなんか気が乗らず結構前に購入したまま未プレイだった。楽しみにしていたゲーム発売してすぐ騒がれている時にプレイする気が進まなくて、なんか落ち着いてからやりたくなるのがよくある。ともかく自分心が向いたときに空っぽの気持ちの時にやるのが一番好きだ。とても感動する部分が多く感想や考察書きたくなったので書いてみる。読んでもらいたい反面、ちょっとネタバレもはさむのでこれからやってみたいと思っている人はプレイ後見るのをオススメします。一週目の自分がストーリーを作っている感が一番楽しかったので。私はざっくり3週プレイしてみてないルートは動画とかで補完してます。
デトロイトについて
デトロイトはアメリカ合衆国ミシガン州南東部にある都市、「Detroit: Become Human」では2038年のデトロイトを舞台にストーリーが進む。人間と見分けがつかないほど精巧なアンドロイドの発明と振興により、自動車産業が栄えたかつてを超えるような反映を遂げる。しかしながらこれまでやっていたことをアンドロイドが取って代わり、便利になった反面様々な影を落としている。そんな近い将来起こりうる未来を舞台に様々な切り口での物語が展開される。
デトロイトは馬車から自転車製造の町として栄えたが、日本車の台頭や郊外での生産性向上のため産業の空洞化が起こりデトロイトは財政破綻、都市部は失業者があふれ貧富の格差が広がる。このゲームで取り扱われている、人種差別の問題、機械化と失業者の問題、再開発の失敗、それは実際にこの町で起こっている事で、社会の光と闇が色濃く映る舞台だと感じた。
もし機械が人間になろうとしたら
ゲーム中では人とロボットを見た目で判断するのは難しい社会になっている。区別するためにアンドロイド用の服を着たり、頭にLEDを付けて光らせたりしているが、着替えることもできるし、LEDを取り外す事が出来る。そうするとほとんどの人は区別はつかないようだ。作中でアンドロイドは新しい知的生命体として人間と同等の生命として扱う事を主張する。今で言えばスマートフォンやスマートスピーカーが突然自由と権利を主張してきたら誰しもバグだと思うし、そんな事を主張する機械は廃棄されるだろう。作中でもアンドロイドはプラスチックの塊と呼ばれ、物として扱われている事が多い。
作中ではアンドロイドは人間と同じ姿を模しているからプレイヤーはアンドロイドに共感でする選択を取りがちだけれど、果たしてそれが人ならざる姿だった場合僕らは受け入れるのだろうか、滅亡させようとするのか。とても興味深いテーマだ。作中ではアンドロイドも生きていると感じる人が出てくる。ハンクを筆頭にローズやルートによっては一般の人も理解を示して時には自分の身を危険にさらしてまで助けてくれる。はてさて自分は未知の存在に対して手を差し伸べられるのだろうか。正直私自身もどうするかはその時になってみないと想像できない、もしかしたらあっさりと残酷な選択をするかもしれないけれど、未知なるものとと出会った時理解や共存を選びたいですね。
差別と偏見、生きることとその権利
作中ではアンドロイドと人間の差別というのが露骨に出ている社会が描かれている。バスではアンドロイド専用の窮屈なエリアがあり、アンドロイドお断りの店も多い。序盤で町を歩く所で色々探索すると、反アンドロイドのデモに喧嘩吹っ掛けられたり、露店や宗教団体に怒鳴られたりする。なんとなく作中で起こる出来事はほとんど世の中で起こっているであろう出来事がモチーフなんだろうなと想像する。ヴァーチャルでリアルっぽい体験して考えさせられるのってなんか不思議ですね。
3体のアンドロイドの出会いと成長
コナールートではベテラン警官と新米アンドロイド警官の成長と友情、カーラルートではアンドロイド親子の共感と愛情、マーカスルートでは自由を求めるアンドロイドたちの葛藤と戦い。
それぞれのシナリオで自我に芽生えたばかりのアンドロイドが色んな出来事に触れて人間性を獲得するストーリーを描いている。誰かに望まれて生まれたわけでは無い意思が、愛情や友情、哲学に触れて成長していった時とそれを絶やそうとする人間社会の中で葛藤していく。実は既に結構論じられているだろうけれど「もし人間とほとんど変わりのない機械が人間になりたいという意思を持ったら」というテーマを最新のグラフィックと自身で選択するゲームとして今プレイしたことにとてもワクワクした。
ただコナーとマーカスはプレイヤーの選択によって人間性を獲得したり未来を変えたりするけど、カーラとアリスの行動は元々のプログラムに沿って一緒に居たいという意思に終始している。特にカーラは最初からアリスがアンドロイドだと知っていたわけだし、自我が芽生えたと言えるのだろうかと感じた所ではある。プログラムの壁を破った彼らの行く末を考えるとコナーはアンドロイド専門の弁護士や警察組織を作って仲間を守っていくような気がするし、マーカスはアンドロイドの指導者として新しい社会とアンドロイド文化や芸術を牽引していく。カーラとアリスは世話焼きが好きな家政婦アンドロイド、成長しない子供のアンドロイドとして一生成長せず親子のままの人間関係(アンドロイド関係)を続ける事には何か退廃的なものを感じるが、希望のあるストーリーを描くとしたらどんなものだろう?後日談が出るとしたらここが一番気になる。
隠れ住んでただ死を待つのを自由と呼ぶのか
中盤でマーカスはプログラムに逆らう事が出来たアンドロイドが隠れ住むジェリコにたどり着く。(ちなみにジェリコは旧約聖書にも登場する実在の町、城壁で外界から閉ざされた都市の名前、ジェリコの城壁は神の御業により脆くも崩れ去る)ジェリコに集まるアンドロイドは人間に見つかれば廃棄されてしまうため、生命維持に必要な材料を手に入れる事もできずに密かに息をひそめて終わりの時を待っています。そこでのマーカスの一言「隠れ住んでただ死を待つのを自由と呼ぶのか」。
生きるとは何かというテーマをアンドロイド側から問いかける大きなシーンと感じました。特に近代の日本だと命は何より大事、緩やかに生を全うするのが幸せ、そんな価値観が一般的と個人的に感じています。時にはリスクがあっても、命を懸けても勝ち取りたいものがあるだろう、はっとさせられるシーンでした。「隠れ住んでただ死を待つ命」は実社会にも沢山あります。社会に迷惑をかけないようにしようとひきこもる人々、自分の生命維持以外は可能な限り社会と接点を持たない生き方。僕らは実際にそんな風に生きる事もできる。リアルの選択はどれと自分に問いかけると色々考えちゃいますね。
因みに一番最初にやった時は・・
コナーは任務失敗で廃棄、カーラは無事家族3人でカナダへ、マーカスは平和的抗議の末デモ隊全滅。途中からコナー、マーカスの雲行きが怪しくなり、カーラ達だけは何としても生き延びようとそんな意思がプレイヤーに芽生えました(笑)
しかし思い通りにいかないながらもリアリティがあると思える物語になっていくのが、このゲームのすごい作りこみだなと感じた一週目でした。
書いてたら長くなったので、一旦区切り。
続きは↓でrA9とか変異体の考察してます。
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