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人類はこれからも発展すべきだろうか?
現代において地球は様々な問題を抱えており、実は色々と大変なんだと事あるごとに話になる。そんな問題だらけの地球上で僕たちはこれからも発展を続けるべきか、それとも歩みを止めるべきなのか改めて考えてみる。
人類の発展について考える
人も地球上に存在する生物種の一つと考えると、人類全体が直面している問題の多くはホモ・サピエンスという種の大繁殖が根本的な原因だろう。地球上に存在する物質をこれまで予想もできなかったような様々な形で種にとって有効活用する事で今の繁栄がある。そんな知恵を積み上げる事によって今の人類の発展繁栄があり、そのおかげで本来の自然環境であれば生きれないような生命力の弱い個体や機能不全を持っている個体でも環境すら変えてしまう事で生きながらえる事が出来る。一方で生命力の強い個体がより強い力を得てより好き勝手生きれる環境を作っている。生命力の強い個体が自分の力をいつも種全体の為に何かをしたり弱い個体を守るとは限らない。
といっても弱肉強食の社会が自然だという気はなく、今後は今弱いと評かされている個体こそが次の新しい発見であったり、知恵の源になるかもしれないと考えている。質の高い才能を育むにはやっぱり命の数を許容する環境は必要だ。僕自身マンモスを追いかける時代に生まれていたら相当なおちこぼれだっただろう。今社会にとって必要とされる能力と数十年前に必要とされた能力、数百年前に必要とされた能力、想像してみた時恐らく全く異なるだろう。今現在成功できた人は本人の意思や努力あるだろうが、偶然能力を発揮できる位置に生まれ育ったともいえる。一見成功を約束されているような多彩な人でも実際には悩みの種はあるだろう。そんなこんなで僕らはその時々評価されてる人されていない人の発想をひっくるめて知恵として積み重ねてきた現代社会に生きているのだろう。僕らは過去の知恵や技術に頼って生きている以上、これまでの積み重ねや進歩を否定して、足を止める事はナンセンスだと個人的には思う所である。発展繁栄の陰にあった見たくないものには、いつも目をつむって進んできている。今だって誰だってきっとどこか不都合な事には目をつむり触れたくないものは避けながら、好き勝手生きている。そういう訳で人類を牽引するのは根本原理は生命本来が持つ発展繁栄しようという本能に根差していて、その中で多様な生き残り戦略が生まれてくるのであろうとそんな風に思う。
環境問題とどう向き合うのか?
人類の総数を抑制して資源を節約して暮らしたのなら、今よく言われるような環境問題的な話の多くは解決するだろう、一方で人権問題的な話は噴出しまくるだろう。大体にして問題とされている事のほとんどは僕ら人間のエゴであることが多い。同じ価値観を持って増えすぎた種は資源を奪いあって滅びへ向かう、それを予感して僕らはマズイぞマズイぞとみんなで警鐘を鳴らしているというのが本質の様に思う。毎日のように美味しく食べる肉がどのようにして出来ているか、気軽に使った便利な道具がどこにどう捨てられているか。そんな事に想いを馳せる事があっても、明日には忘れているか、まぁしょうがないかと割り切るかどちらかがほとんどだろう。来月の家賃が払えないけどどうしようとか、好きな人に振り向いてもらいたいとか、そういう問題の方が個人個人にとっては実は大事な事だろう。そんなわけで「環境を守るのが大事!」、「生態系のバランスは大事!」そんな風に教育としては教わるのだけれど、その実僕らにとって一番大事なのは自分やその周りが幸せになる事でしかないのではないだろうか。人間(または人間の心を持つ何か)を中心にしたストーリーでなくては共感するのは難しい。理想のビジョンとそのためのルールが設けられ、それに合わせて時に綺麗に時に歪んで時に壊れて人間社会が作られていくのかもしれない。
誰かが決めたルールをどれだけ順守するか
自分自身とその周りの幸せというのを考えてその他の事はまぁ良いかという人間ばかりでは、明日にでも自分達の生活が快適でなくなるであろうことは目に見える。だからこそ程度納得感のある所で理想やルール設定をする。ただしあくまでそれを決定する人達が納得する範囲内なので、これくらいなら自分達にも不利益がないでしょうとか、片手間で出来る範囲でという事にしか実際には進んでいかない。素直な気持ちで身を粉にする人がいる一方で、したたかに自身の幸せを追求する人がいる。世の中が日々変わっていくという事は常に新しいルールが作られるという事で、ルールだけでなくその裏側も読み解かなければならない。そう考えると革新側にいる方がいつも若干の有利があると言える。そんな中だけれどSDGsは個人的にはいいバランスのテーマ設定であるとは思う。制限するのではなく問題提起をする事で知恵を出し合い、目標を設定する事で達成すれば褒めてあげられる。誰かの決めたルールが誰かのエゴなのか、綺麗ごとなのか、本当に素敵な理想像を元に作られたのか、そしてそれが自分やその周りにとって良い仕組みなのか常によく考えていく必要がある。
人類はこれからも発展すべきだろうか?
上記今回のタイトルの答えとしては「各々が望む望まぬに関わらず発展していくであろう」でした。その流れを理解した上で抗うもいいけれど、個人的には流れを理解した上で自分はどう幸せになるか模索して行きたいですね。
あれこれ表題について考えてたら、
①幸福論とか功利主義、現代の幸福論について
②発展と衰退の狭間の時代における都市と田舎の役割分担
③発展繁栄のロジックを加速する資本主義
色々考えたい事が出てきたのでその辺もまた改めて書いてまとめてみたいと思います。