未だに”消滅可能性自治体”とかで騒いでいる残念さ
最近ニュースや知り合いのSNSなどで"消滅可能性自治体"の記事が出回っている、なんか短絡的に「田舎大変だ」、「うちの地域はどうだ」的な話で適当の盛り上がっていところを含め、個人的に色々と残念で釈然としない所があるので書いてみようと思う。
NHKはじめ各社やたら記事が出ている、危機感あおるのは注目は集まるようだ。
”消滅可能性自治体”の定義を再確認する
残念なポイント4点
①定義の条件を満たすとなぜ消滅可能性になるのか
20~39歳の若年女性が半数以上減るとなぜ消滅可能性なのか、その辺の定義が正直あいまいだ。確かにその条件を満たすと人口の減少が加速度的に早まって人口がいないと経済的にも色々維持できないという論理はわかる。しかしながらそれが直接「消滅可能性」とまで言っていいのか正直疑問である。定義の部分だけ考えて、うちは消滅可能性になったとか、消滅可能性を免れたとか、そういう机上の話で一喜一憂していないで、リアルの地域や社会をもっとよく見てよく考えて欲しい。ただし少子化対策を行って有効な取り組みが可視化されるのは良い事のように思う。
②別に人口だけが消滅可能性じゃないよね?
例えば3.11の震災と原発事故、あれが地域の消滅でなければ一体何なんだろう。今の復興の状況を見てみればわかるだろうけれど、そこにお金や資源を投下するのであればいくらでも”自治体”は再生する事が出来る。ただしそこにあった文化や営みは元には戻らない。人口問題だけで消滅可能性を論じているのが正直おかしい。逆に都市部で何らかの有事が起こったとして都市は消滅しないかもしれない、でも多数の人命や今の当たり前が奪われる事は問題じゃないのか。守るべきは”自治体”なのか、根本的な問題や大事な部分をミスリードしているように感じる。
③自治体の消滅ってそもそもヤバいのか?
今の市町村制を絶対の基準にしすぎというのが個人的な感覚だ、そもそも今の市町村というものの原型が出来たのは明治期、戦後自治体法の成立によりさらに合併が加速、昭和、平成の大合併を経て今に至る。自治体がなくなることを地方消滅というならば、国を挙げて地方消滅を促してきたとも考えられる。改めてここが社会の転換期なのだとしたら、今の自治体のサイズや運営形態についても再定義するのはむしろ良いことのようにも思う。
④まだその論理で考えているの?
上記の話はそもそも2014年に刊行された地方消滅の中の話がモチーフになっている。当時その本を読んだときにも感じたことだが、そもそも日本全体の人口が減って高齢化しているのだからこれまでと同じような地方自治が出来ると思っている事の方がおかしいよねってこと。実際の所これは国全体の課題であり、都市と地域の地続きの課題であり、地域ヤバい的な話になるのは筋違いではないだろうか。
全体を考える人は少子化に対するアプローチをどう広げていくか、地域で暮らす人は未来にも自分が住んでいる地域の文化をどのように紡いでいこうかと、いずれにせよ熱量をもって取り組むべき人課題だ。
振り返ってみたけど、個人的な意見は4年前とも変わっていなかった。
社会実装のためのメディア活用、デザイン構想をしてほしい
前述の話に繋がるが、危機感をあおってとりあえずなんかしなきゃっていうのをあおるのは2014年の段階でもう通り過ぎている。メディア各社飛ばしの記事書いてないで、一番対策すべき少子化の部分の政策をどうやって社会実装しそれを広げていくかという事に重きを置いた考えてほしい。提言する側はメディア活用、それらを包括したもう一歩メタな視点での社会デザインを構想してほしい。
せっかく国も関わる有識者会議のデータや議論を経てるのだからインプレッション稼ぎのようになるのではなく、本当に伝えたい課題は何なのか、それの解決に向けてどのような行動が必要になるか、危機感を感じた人たちが取り組めるような所まで企画構想してほしいというのは望みすぎだろうか。