短編ミステリ1問題篇
最近、「マーダーミステリー」というゲームが流行っている。ゲームのメインの物語と個々のキャラクターの物語を読み、メインの物語の中で発生した殺人事件の犯人を複数人のプレイヤーが議論を行って見つけ出す。そんな話を聞いたのは、たしか一ヶ月ほど前だったか。刑事局が入っている建屋の喫煙スペースで、同期の猿渡(さるわたり)が熱く語っていた。プレイしたシナリオは両手で数えられる程度であるが、週に一度はマーダーミステリーの予定を入れているらしい。「鑑識の内容とか、結構ツッコミどころはあるんだけどさ、さすがに現職の鑑識官であるとは言えないよね。」と漏らしていたが、言ったとして何か問題になるんだろうか。
新型ウイルスの感染症が拡大する前、俺は観劇を趣味としていた。非番の日には、最低でも一作品は観る。特に好きな役者はいないが、脚本家はいる。彼女はどこかの劇団に所属している訳ではなく、劇団から依頼されて、主に小劇場で上演されるの芝居の脚本を書いている、らしい。らしい、というのはそこら辺の事情はよくわかっていないからだ。感染症拡大防止のため、多くの劇場で演劇の上演が中止になった。上演数が一気に減ったため、非番の日程に合う演劇も激減し、ここ数ヶ月は劇場に足を運ぶ機会がなかった。もう、観劇が趣味とは言えなくなった。
先週、SNSのタイムラインを眺めていると、「菊間カンナ(きくまかんな)」の名前を見つけて、スクロールする手を止めた。俺の「好きな脚本家」とは彼女のことである。劇場での上演自粛要請があった後は、ほとんど更新されなかった彼女のアカウントであるが、その新たな発信は彼女が制作した新作の宣伝だった。
予約した際に送られてきたメールに記載された住所に来てみたが、これはどうみても普通のマンションだ。しかも建てられたのはだいぶ昔に見える。向かうべき住所はこのマンションの一室だ。「営業許可」という言葉が頭を掠めたが、ここは警察官としての本分を忘れることにする。営業許可が降りてなかったとしても、これは地域課の管轄だ。捜査第一課の仕事ではない。エントランスには一人の男性と一人の女性が、沈黙の中でエレベーターが降りてくるのを待っていた。体感にして30秒ほど待って乗り込んだエレベーターの六階のボタンを押そうとすると、男性が既に押していた。もしかして、行き先は同じなのだろうか。女性も自らボタンを押す様子はない。古い建物とは不釣り合いな、新型のエレベーターの扉が締まりかける頃、その隙間に人影が見えた。急いで「開」と印字されたボタンを連打する。ゆっくりと開く扉から女性が息を切らして入ってきた。激しい呼吸の合間を縫って「ありがとうございます」と吐き出して頭を下げた女性には見覚えがあった。SNSでよく見る写真では大きいサングラスにボブカットが印象的で、顔がはっきり映るような写真は見たことがないが、耳の形でわかった。彼女が菊間カンナに違いない。目の前にいる彼女は、SNS上の姿とうってかわって、裸眼で短い髪を後ろでまとめていた。
初めて参加するので、「開演」という言葉が適切なのかわからないが、マーダーミステリー「不幸の手紙殺人事件」の開演12分前に、俺と菊間カンナとあと二人が606号室の前で待たされた。チャイムを押しても中から返答がないのだ。予約時のメールには、開演の20分前には開場しており、受付を行う旨が記載されている。チャイムを押して待たされた時間が体感にして一分を過ぎた頃、男性が「もしかして呼び鈴が壊れてるんですかね。」と言って、ドアノブに手をかけた。菊間カンナが「あっ」と小さく呟くのをよそに、男性はドアを開けた。鍵は掛かってなかった。
606号室に臨場した猿渡は「なんだよ、マーダーミステリー興味なさそうだったじゃんか。」とニヤニヤしながら小突いてきた。「今度さ、評判のいいいシナリオあるから、いかない?」という誘いを無視して「それで、遺体の状況は。」と返した。
俺たちが606号室で刃物で刺されて死亡した遺体を発見したのは、今からほんの一時間前の出来事だ。被害者は桜田夏夜(さくらだかよ)という20代の女性で、俺たちがプレイするマーダーミステリー「不幸の手紙殺人事件」のゲームマスターを務める予定だった。ゲームマスター用の制服を着て、血溜まりの中にうつ伏せで倒れていた。死因は背中から刃物で何度も刺されたことによる出血性ショック死。死後硬直の具合から、発見から遡ること1時間以内に死亡したと予測される。このマンションの6階は10部屋あるが、その半分はレンタルスペースとして貸し出されており、606号室もその一つ。元は居住空間なので、キッチンとバスとトイレもある。遺体のそばに転がっていた凶器と思われる血塗れた包丁は、606号室のキッチンに備え付けられたものだった。桜田夏夜の荷物からは、財布や自宅の鍵、身分証が発見された。部屋の奥側に遺体があり、金銭目的での犯行という線は薄くなったが、携帯電話やスマートフォンが見つかっていないのは気になった。マーダーミステリーに使用するシナリオブックやスピーカー、タブレット機器の他にはレンタルスペースの備品しかなさそうだ。
606号室の壁に貼られている、レンタルスペースの管理業者に連絡してみる。業者によると、6階にある6部屋は全てその業者が管理しており、電子ロックを使って、遠隔で施錠管理を行っているとのことだった。部屋の中からドアを見てみると、鍵をかけるノブに機械が被さっている。ネットで部屋を予約し、クレジットカードによる決済が終わると、契約した時間に自動で解錠される仕組みだという。606号室は桜田夏夜の名義で借りられており、予約していた時間はゲーム開始一時間前から、ゲーム終了予定時刻から30分後までだった。電話を切って業者のホームページを見てみると、時間さえ空いていれば5分前から予約が可能で、気軽に使えることが謳い文句となっている。三十分毎に750円という価格は、高いのか安いのか相場がよくわからない。
「不幸の手紙殺人事件」は5人用のシナリオで、遺体を発見した俺の他に、清水武彦(しみずたけひこ)と金田千賀子(かねだちかこ)が参加予定だった。そして、立石勝己(たていしかつみ)と立石こずえ(たていしこずえ)の夫婦も参加予定だったが、電車の遅延で開演時刻から5分程度遅れて現場に現れた。開演20分前にゲームマスターの連絡先に電話したが、不通であったという。菊間カンナは原作者として、我々がプレイする様子を見学する予定だった。見学することは先週彼女がSNSで発言しており、俺がこの回の参加権を必死で取った理由にもなる。
被害者の桜田夏夜と唯一接点のある、菊間カンナから聞き取りを行う。ゆったりとした五分袖のサマーニットの裾を気にしながら、こちらの質問には淀みなく答えていた。このご時世にマスクも付けていない。あとで予備を渡してあげようか。
被害者の桜田夏夜は元々小さな劇団に所属しており、その劇団が上演する劇の脚本を菊間カンナが担当した際に、知り合ったという。演劇の自粛が始まる半年ほど前に、桜田夏夜が菊間カンナをマーダーミステリーの公演に誘ったのが、マーダーミステリーとの出会いだったという。その後、桜田夏夜はマーダーミステリーの店舗を立ち上げて独自のシナリオを作るべく、菊間カンナにシナリオの執筆を依頼していたが、菊間カンナは自身の仕事が忙しく断っていた。演劇の自粛が始まり、菊間カンナの仕事も減っていったタイミングで再度、桜田夏夜から依頼があり、「不幸の手紙殺人事件」の執筆に至ったという。執筆には数ヶ月の時間を要しただけあって、菊間カンナ自身の思い入れも強く感じた。こんなことになって、その力作をプレイできなくなったことが残念でならない事を伝えると、彼女は嬉しそうな表情を一瞬浮かべた。今日は見学するために、予定通りの時間に現場に来たという。
聞き取りを終えると、マンションの外階段でタバコを吸ってくたびれていた猿渡に鑑識の進捗を訊いた。「とりあえず人が触りそうな所の指紋を採取してるけど、何箇所は拭き取った跡があるし、採取できた場所に関しても、指紋の種類が多い。人の出入りが多いからね。指紋から犯人を割り出すのは難しそうだ。警視庁のデータベースとの照合もやってみるけど、時間がかかりそう。」とため息を漏らしていた。凶器の指紋は拭き取られており、その他特に気になる物証は見つかっていない。「部屋の入り口のドアだけどさ、内側のドアノブからは指紋が出てこなかったから、犯人は最低限自分の指紋は残してないかもね。」と眉間にシワを寄せて言う。俺はふと気になることがあって、レンタルスペースの業者に再度電話してみた。話を聞く限り、どうやら俺の推理は当たっているようだった。
読者への挑戦
・この物語の主人公は、犯人がわかったようです。
・犯人を特定するための証拠は全て文章に含まれています。たぶん。
・犯人を特定してください。いやさすがにわかるか、これは。
・主人公がなぜ、犯人を特定できたかを推理してみてください。
推理が終わったら解決編をどうぞ読んでみてください。
終わらなくても全然読んでいただいて問題ありません。