見出し画像

自己紹介

こんにちは、増井です。
起業に至るまでの自己紹介をさせていただきます。

基本情報

増井啓祐(ますいけいすけ)
1980年12月17日生まれ
奈良市で育つ
大阪大学 工学部 応用理工科 卒業
2人兄弟の長男
実家は祖父が貴金属事業を営み、現在は父が社長を退任し解散。
趣味は読書、アウトドア、神社巡り、映画鑑賞、ビリヤード、ダンス、そして旅行(アメリカ、韓国、中国、シンガポール、カナダ、オーストラリア、フィリピン、日本各所)


学生時代

大阪大学 工学部 応用理工科に入学。
学生時代はストリートダンス、ビリヤードにのめり込み、色々な方から可愛がられ、様々な人生の目標に触れ自分の将来を真剣に考えるきっかけになりました。

昔からの夢であったパイロットになるべく学生時代にチャレンジしましたが、夢叶わず。

研究室に入ってから、教授、助教授に大変お世話になり、有限要素解析(FEM)を用いた卒業論文を提出し無事卒業。


経歴

ディベロッパー(不動産業)をしているリクルートコスモスに24才の時に入社。
経理財務部、情報システム課にて特に全社システム刷新プロジェクトのリーダーを担う。
その後、29歳から通信事業会社にで経営企画室、事業運用統括を経験。
31歳で不動産コンサル企業にてPM事業、システム周り、総務、オフィス設計を担う。
33歳独立して個人事業主として小売業の法人化に向け動き、本格稼働。
34歳の時にフリーランスに転身し会社員の収入の3倍となり、大手企業にITコンサルタント業務やPMO業務。

職歴として経験したのは、バックヤードを中心にシステム、経理、財務、総務、人事、IR、経営企画を従事。キャリアの中ではシステム導入におけるPMO歴が一番長く10年ほどです。

ITコンサルタントをする中で創業資金を1000万円作り株式会社Topを設立しました。
33歳から小売業を軌道に乗せながら、キャリア支援事業をしています。


起業を真剣に考え始めたきっかけ

国立の理系の大学を卒業し、大手不動産会社で仕事仲間にも上司にも恵まれやりがいを持って精力的に会社員として働いていました。
勤めていた会社はベンチャー気質で熱い人が多く、かけられる期待も質も高く、毎日が充実していました。
この頑張りは将来的に幸せに繋がっているものだと予感しながら努力を重ねていましたが、当時リーマンショックという事件があり、その1年後に日本の財閥系をのぞく不動産事業はかなりの影響を受け、私の勤めていた会社も例外ではありませんでした。
なんとその影響で事業規模が1/10に縮小をして生残りをかけた結果、多くの社員が別の進路を余儀なくされたのです。

ここから、当時の自分が感じたことは以下の通りです。

  • 会社は永久にあるものでなく、個人として力をつけたいく必要がある

  • 過去に頑張った経験は大事だが役に立たないプライドも心の贅肉としてついていた1円でも稼ぐ力は、まじめに会社員で業務をしているだけでは習得できない

ここから本当にどうなっていく必要があるのか、立ち止まって考える機会となりました。


起業をキャリアの選択に入れた理由

キャリアアップに特化するか人格形成ができるかで活動して最終的に経営コンサルタントの道と、IT企業で経営企画室の道の2つにご縁がありました。
最終は年収は低くなるがITの方が幅が広いと思い、入社を決めました。
ここで会社文化の違いや働いてる社員のエネルギーの違いを体感して、誰と働くのかがこれほどまで毎日の充実やその会社に対する期待やロイヤリティに直結するのかを感じました。
特に直属の上司となる方の人間性やビジョンは、キャリアを形成していく上でも人間的な成長をする上でも非常に大きいと体感しました。

ただ頑張る事は決めて腹括って転職したので、猛烈に働いてやる!!と、焦りを消すかのように気合いを入れて望みました。
自分の中での全力を尽くして、どんなこともやると決めてやり切った結果、展望がひらけてきたというより状況が悪くなり、メンタルを崩してしまいました。

その後3ヶ月間ほど休職して自宅に戻り治療に専念していたのですが、この期間が自分にとって何が大事なのかを問うとても大事な期間でした。
またこうなる直前に恩師となる社長との出逢い、一緒に起業する事となる良き先輩というか自分にとっては兄のような方との出逢いがあり、彼らの言葉が非常に助けになりました。
人生の大半を使って仕事をしていくが、何のために仕事をするのか?、仕事を通じてどうなりたいのか?と、もっと自分や自分の家族の将来が明るくなる事を期待したいと考え抜きました。
自分の中で、1人では経験値が少なすぎて結論に至らない。
実績を出されている社長から学ぶ以外に方法はないと考え、修行させてくださいと自己嘆願しました。
最終的に「食らいついてきなさい」と快諾していただき、ここから立上げに向けての準備がスタートしました。


動き出してから独立するまでに何をしたか?

起業するぞ!!と、思ってから、「では何からやっていけば良いの?」というのが全く分かりませんでした。
融資、事業企画書、ホームページの作成、会社員をやっていた時に会社に存在していた様々な事を1人で準備するとなると、素人の僕には完全にお手上げです(汗)。
コネも経験もお金も無い自分が、初めにやってきたのは、人脈を作る事と自己資金を作る経験に特化しました。

人に関しては集客とチームでは全く意味合いが違うから、商売やるならチームを作れと教わり、ある意味情熱のみの何も武器を持たない自分でチームを作る力はとてつもなく重要です。
特に自分を引き上げてくれる方がいるというのは、何よりも重要です。
活躍されている堀江さんや西野さん、他にも有名な経営者もやはりチームの重要性を言われており、会社員の時には全く触れてない分野でした。

次にお金ですが、会社員の時にはお金は稼ぐではなくもらうという感覚が強かった為、貯金の額や収入の金額の範囲で何ができるかという思考がなかなか抜けなかったです。
会社員の他にお金を作るとなると、バイトや副業など思いましたが、教わったのが近江商人の三方よしを実践する事でした。
買い手よし、売り手よし、地域よしを自分の生活圏内にあてはめると出来る事沢山あります。
商売する前なら、買い手はないので、友達や知り合い、会社の同僚が対象ですし、売り手であれば例えば好きな飲食店などです。
この対象となる方々をどうやったら喜んでもらえるか?を実践する事でお金を作ることが出来ます。

独立までの3年間

独立までは会社員と並行して、とにかくチーム作りと事業を着実に大きくして資金を作ってきました。
この並走期間中にリーダーシップ、タイムマネジメント、メンタルコントロール、ファイナンスの領域で最大限を繰り返す中で鍛え抜いていきました。

人が離れることも、お金がギリギリで何とかしたこと、時間がなく毎日睡魔との戦いだったこと、チャレンジする度に自分に期待したこと、細かなことは他にもありますが、独立した際に事情や状況につぶれることなく乗り越えてきた糧になっていました。

そしてこの三年の中で自分の人生の中でも記憶が定かでなくなるぐらいの努力をした2年間がありました。
こんなに努力してチャレンジしている自分が成功しないわけがない、そんな自負が生まれたのは、最大限の努力をしている中で更に限界突破してやり切った3ヶ月間の期間がありました。

真の意味での決断をして、行動し、その半年後にはお世話になった会社を卒業したのでした。
「人は本気になれば半年もあれば人生を変えれる!」
そのような信念が形成されました。

独立してからもチャレンジの連続ですが、この期間の信念が土台となっているのは間違いないです。
これからチャレンジされる方に少しでもエールになれば嬉しいです。

いいなと思ったら応援しよう!