敵は日本語ではなく、人間
こんにちは、日伊通訳マッシ(@massi3112)
関わったことがない言語は知識ゼロからスタート、というハードルが誰にでもある。時間とエネルギーをかけて、少しずつ前に進めば話せるようになる中で、進めば進むほどどんどんハードルが高くなる。僕もそうだった。そしてよく考えたら、現在も続いてる。
日本語のひらがな、カタカナ、漢字の壁にぶつかって、
イタリア語にならないオノマトペにぶつかって、
丁寧語、謙譲語、尊敬語にぶつかって。
ぶつかりながら気がついたのは、「敵」とは「僕」。
理解できない理由は「僕」、
うまく話せない理由は「僕」、
勉強をサボる理由は「僕」。
自分のバランスを取って、マイペースで継続することこそが勝てる道だと思っていた。でも実は、自分よりもっと恐ろしい敵がいた。
勉強している言語そのものは敵ではない。敵より、新しい仲間として、時間をかけて近づいていけば、最高の仲間になる。敵は自分だという部分もあるかもしれないけど、それは敵というより自分の弱さだ。
僕に関係なくてコントロールもできない、ラスボスのような敵は、実は第三者。要するに人間だ。同郷人だろうが、外国人だろうが、敵は人間。
例えば、日本語を勉強したいと言った時に、反対の人から文句を言った人まで何人いただろう。少し話せるようになっても、大学卒業しても仕事がないだろうという言葉が多かった。
マイナスな言葉が来ても頑張って選んだ道に進んだ結果、プロの通訳者になって日本語を操ったり、エッセイから記事まで日本語で書いたりできるようになったのだ。
日本語の勉強は止まらず、マイペースで続けて現在の僕は敵が少ないだろうと思っていた時に、また山の頂上から僕を落下させるような敵が出てきた。今年の4月にあった話だ。
ある仕事を引き受けて、その担当者は僕が書いたエッセイも読んだ。
長いメールのやりとりをしたり、リモートの打ち合わせ3件、いただいた台本2本を読んで確認したりもした。どう考えても、日本語を読んで理解できると認識されていたはずだ。特に問題がなくて、うまく進めると思いきや、敵からKOパンチが来て、僕は負けた。
その担当者からたった一言で負けたフレーズはこちら「日本語のカンペを読めますでしょうか」。プロの通訳者でもあり、日本語のエッセイを書いてずっと日本語でやりとりしてたのに、すごく悲しかった。というか、今更聞く?
この20年間の努力は1秒で消えた。そして、ムカついた気持ちもあった。
このエピソードで改めて分かったのは、人生の敵は言語ではなく、やっぱり人間。
自分のバランスを守るのが1番力になることもわかった。強くなった!自分の力で行けると思った時に、必ず敵が出てくるから心の準備が必要だ。
Massi