人を育てるプロである母の話
自分の家に帰ってきて、1週間ほどが経った。子どもも夫も私も、すっかりこの家の生活に慣れたように思う。
深夜の授乳で起きたら、そのまま目が覚めてしまうことがたまにあり、今日もそんな日のようだ。
今日は母の話を書いていこうと思う。話題があり余るほどあるけれど、笑 ひとまず、タイトルの話を。
母は高校で国語科を教える教員である。無論、人を育てるプロであることに違いはないが、そんな単純な話ではない。
教員免許を持ち、現場で実際に教鞭を取っているからといって誰もが人を育てるプロになれるわけではないと、個人的には思う。色んな先生いてるし。
私は母のことを、母としても、教育者としても、同じ社会人としても、女としても、つまりあらゆる側面から尊敬している。いや、尊敬してやまない。
大学生の頃、私は第二反抗期であった。原因は様々あったし、自分の中では理解しているつもり。とにかく、やや荒み気味であった。
実家暮らしなのに無連絡で終電帰りは当たり前、そのままオールなんてザラだった。カラオケしたり、友達の家を泊まり歩いたり。やりたい放題好き放題しまくっていた。
親からしたらかなり目に余る行動だった。自制がきいていなかった。
ある時、見かねた母が「せめて連絡をちょうだい。」と言ってきた、至極当然な流れだと思う。
それに対して、第二反抗期全盛期の私はぶっきらぼうに「じゃあ、門限を設けてよ。その時間までに帰ってくる」と回答。
今から考えたらありえない口答え。そんなこと絶対言わない。若いって怖いねえ。笑
まー多分、11時とかやろなー、と考えていた私。周りもそれくらいやったし。
母は言った。
「あなたの常識の範囲内で帰ってきなさい」
大学生の私、撃沈。二の句を継げず。こうかはばつぐんのようだ!
こう言われたら、もう返す言葉はない。その時、ハッと気づいた。自分は何をしていたんだ、と。
今考えても、名言というか。こんな言葉、なかなか考えられないし、言えませんね。
そう、母は怒らない人なのだ。私は何かを強要されたり、怒られた経験は記憶にはほとんどない。もちろん、幼少期の命の危険を感じるような時は別として。
母にこの忘れられないエピソードを話した時に教えてくれたことがある。
「門限を設定することは簡単。親が子どもを縛ることなんて、簡単にできる。
でも、それをせず自己の行動を省みて、自分で悪いことをしていることに気づくことが大事。
どれだけ辛くても、心配でも見守る。黙って見守る。自分で気づく時を待つ。それが一番難しい。それをできない親が多い。過干渉でいることは楽や。言ったらおしまいやもん。」
思わず、ため息が漏れた。母の考える「教育」がこの言葉たちに凝縮されていた。
そんな母も揺れかけたことがあったそうな。
弟が大学受験前の大事な定期テスト前日に深夜放送のF-1を観ようとしていたらしい。そのテストの重要性を知っていた母は、さすがに「今日は勉強したら?」と言おうと思ったが、踏みとどまったそうな。
「本人が夢中になっているものに対して、止めることはできない。自分が今、やってることが間違ってるのかもしれないって、その短い人生でどうやってわかるのか。そんなこと、わからない。
それを生きてる年数が長いだけの親が、わかったように止めるのはおかしい。それに、止めることがその子にとって本当にいいことかどうかはわからない。」
その後、弟は大好きなF-1を我慢せずに視聴し、大学の工学部からそのまま、大学院へと進んだ。今は車の部品メーカーから転職して自動車メーカーで技術職員として、日夜、研究開発に勤しんでいる。
母がホッとしたのは言うまでもない。
思えば私が3年半前に唐突に役所の臨時職員を辞めた時もそうだった。仕事と転職のための勉強の両立は不可だと悟り、一念発起して勉強に専念することにした。
正直なところを言うと、重圧に勝てなかった。大卒ながら臨時職員の職に収まっているという事実に。そのことで目が覚めることもあった。
今思うと取るに足らないことではあるが、とにかくその状況を打開したかった。
臨時職員を辞める、転職するために勉強する、期間は8ヶ月くらい。予備校に通う。
自分としては、このことを打ち明けるには勇気が必要だった。
でも、母は大して真剣に取り合わず、「そう。」とだけしか言わなかった。
呆気に取られた私をよそに、母は淡々としていた。でも、その実、母は心配していたに違いない。
悩みに悩んで今の職場を選んだ時に、
「あなたは優しいから、私たちに遠慮したところを選ぶんじゃないかなって思ってた。」
と涙ぐんで話してくれた。
その話を聞いて、自分は選択を間違えたのかな?とずっと気がかりだった。
「そうじゃない。いつも両親のことを心配して気にかけてたあなたが、本当に自分のやりたいことをする選択をしたことが、お母さんは嬉しかったんじゃない?」
と姉が言ってくれました(もちろん、2人で電話で話しながら号泣)。
時間はずいぶんかかったけど、兄弟全員が思い思いの分野で奮闘する姿を見て母は言う。
「私が一番嬉しいと思うのはね、時間はかかったけど、うちの子がみんな、自分でやりたいことを見つけて、それをやっていること。それが一番大事。」
回り道をたくさんして、両親を心配させまくった私もついに母親になった。
日々思うのは子育てに正解はないんだろうな、ということ。
それでも、自分を育て上げてくれた人であり、人を育てるプロである母から学ぶことは大きい。
ただ、温かく見守ろう。母が私たちにそうしてくれたように。
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