外を知ったからこそ
歩いてでも行ける距離のところで集まりがあった。
1ヶ月に1度行われるそうだ。
僕が住んでいる東側の集まりで、参加した人が言っていたが、やはりこちら側は日本人が多いようだ。
絵本を読んだり、絵を描いたり、カルタをしたり、輪投げをしたりするファミリーの集まりで、6組くらいが参加していた。
自分の子供がまだ小さかった頃を思い出した。
あの頃は本当に手がかかったが、とても楽しい時期でもあった。
その時は必死だったのであまり楽しむことができなかったが、振り返れば良い思い出だ。
今は多少なりとも時間があるので、自分ができなかった分をお返ししている感じがする。
昔には戻れないので、現状大変な親たちのサポートができればと思う。
特に大変なのは日本語だ。
片親が別の国出身だと、英語やその他の言葉が中心になり、日本語にまで手が回らない。
会話でなく指示が多くなる。
そうなると親側からの一方通行になり、自分は日本語で話しても返ってくるのは英語になる。
子供も日本語の会話をあまり知らないから仕方がない。
日本語での返事がわからない。
親の時間も限られているので、すぐに通じる英語で話してしまう。
するとどんどん日本語から遠ざかる。
これは日本語に限ったことではなく、他の言葉でも同じだ。
今のパートナーはイラン人で、子供が2人いる。
長男はまだイランでの記憶がある頃に国を離れたので多少興味があるが、次男はあまりイランでの記憶がない。
するとイランに愛着やつながりが感じられない。
両親ともにペルシャ語を話すが、気持ちはどんどんイランから離れていく。
学校の友達もほぼ現地の子たちで会話は英語。
子供たちは良くも悪くも順応性が高い。
よく話されることだが、日本人が他国出身の人と比較してあまり集まらないという話が出た。
日本人があまりお互いに関わり合わない理由は、日本がいやで出てきたからだと言っていた。
それも一理あると思う。
日本の変に堅苦しいところは僕もあまり得意ではない。
ただ僕が日本が嫌いかと言われれば答えはNOだ。
日本で育って良かったと思う。
一度外の状況を知った人は考えが変わってくると思う。
日本にいる時よりも、基本的な部分で助けが必要になることが多い。
日本の食材も手軽にリーズナブルな値段で手に入るようになった今でもそうだ。
子育ては手がかかるので当然だが、それ以外でもグループ内での動きや気の使い方、一体感、日本語を話している時の同一性や話す内容など、日本で育ったことからくるものが心地良いと感じることがある。
歳をとるともっと感じるようになってきた。
外で得た知見を反映してコミュニティーづくりができれば、日本で感じていた違和感をそれほど感じることもなく、協力関係を築いていけるのかなと思っている。
とにかくまた考えが深まった1日でした。