病院で聞こえてきた「ここはお国を何百里~」
渡辺白泉の俳句「戦争が廊下の奥に立つてゐた」を知ったとき、ギョッとして後ろを振り向きそうになった。それと似たような感覚を覚えたのは病院でのことだった。
歌いながら歩く人
何年か前、1泊2日の検査入院をした。ベッドでぼんやりしていたら、何やら歌声が聞こえてきた。パジャマ姿の男性が歩行器につかまりながら病室前の廊下を歩いている。
右のほうへ姿が消えてしばらくしたら、病院の廊下をぐるりと一巡りして左側からまた現れた。リハビリのために歩いているのだろうか。何度も通り過ぎていった。
「戦友」を歌うわけは
その人が歩きながら繰り返し歌っていたのは軍歌の「戦友」だった。「ここはお国を何百里 離れて遠き満州の 赤い夕日に照らされて 友は……」と戦死した友をしのぶ歌詞で知られる歌だ。声を張り上げるでもなく、ただ静かに歌っていた。歩行器に頼っているので、歩く速さも歌声もゆったりしたテンポだった。
年格好からすると終戦前後の生まれだろう。戦争に行った年齢には見えない。廊下をめぐる行進曲に「戦友」を選んだわけは何だったのか。歩くテンポにちょうど適しただけだろうか、それとも特別な思い入れがあるのだろうか。
子どもも知ってた
ネットによると「戦友」は、厭戦的な歌だとして戦時中は禁歌とされた。にもかかわらず、生き残った兵隊が友の戦死を悼む内容が共感を呼び、戦後まで広く愛唱されたという。子どもの時分に垣間見た大人の宴会やらたまたま見たテレビやらで覚えたのだろうか、戦後6年経って生まれたわたしも知らずしらずのうちに歌詞を覚えていた。
歌詞もメロディーも陰気な歌だが、「重い病気だろうか」と不安を抱えて検査結果を待つわたしは、見知らぬその人の歌に合わせて「ここわあ、お国を何百里~」とつぶやいていた。
傷痍軍人を見なくなった
後日、そんな話を晩飯時にしていると、「そういえば傷痍(しょうい)軍人をこのごろは見なくなったのう」という話になった。戦争で失った手足に義肢を着け白装束をまとって募金活動する傷痍軍人を昔はよく見かけたものだった。祭りの日の雑踏で彼らが奏でるアコーディオンやら歌声やらの曲目が「戦友」や「海行かば」といった軍歌だったような気がする。
間もなく70歳となるわたしらが子供の頃によく目にした傷痍軍人の姿を見かけなくなったのはいつごろからだろうか。今は軍歌を聞くこともない。病院の廊下で「戦友」を歌った人は、「戦争の傷跡は、ほっといたら知らぬうちに消えてしまうよ。いいのかね」と問いかけていたのかもしれない。