私の入院記録②を書く前に。

油断してる、って思う。


10月2日に入院記録①を書いてから、もうすっかり4ヶ月も経ってしまって。10月の中旬にひとまず今回の検査では転移がない、と言われて、気になっていた体調面も10月後半にはかなり戻ってきて、11月に入っても喉の違和感はあったけど新しく漢方を飲み始めたらそれもだいぶ良くなって、「自分はもう大丈夫だ」って思っていた。

いや、実際には「今の検査の段階では転移がない」というだけで、これから転移することも可能性が残っている。残っているのに、自分は早期発見で本当に恵まれていると自分で思い込んだし、内視鏡でとれる範囲だったわけだからやっぱり大丈夫のはずだ、と。

だけど先日、ある方の転移の話を聞いて、その方の経緯みたいなものをシェアしてもらっていたからそれを確認したら「内視鏡手術の後、3年過ぎた時にがんが見つかった」とありました。これを共有してもらっていたのは、2023年8月。自分はその時、ちゃんと読んでいなかった。いや、読んだし大切な方だからすごくびっくりした。でもその詳細の部分まで、そしてその詳細がどういう意味を持つのかということまでは全く分かっていなかった。

内視鏡で手術できるということがどういうことか、そして3年という時間がどんな長さか、など。

この事実を見つけた時、私はすごく動揺した。ほんとに正直にすごく動揺。数日前の朝に聞いた話だったから、その日はほんと、心ここにあらず、という感じだった。

「自分もまた、がんになるかもしれない。そしてその時はもしかしたら発見が遅いかもしれない。」

じゃあどうすればいい?


とにかく健康に過ごす?そしたら再発しない?お酒とかやめる?でも今は逆流性食堂炎の症状、例えば胸焼けとか胃酸の戻り感とか、そんなものは全くない。他には?予防的な薬を飲む?食生活を徹底的に調べる?

怖いけど、怖がっててもどうしていいかもよくわからないし、そんなことを気にしながら今も未来も楽しめないと思う。

がんになった時、早期発見だった時、処置が終わった時、転移してないって分かった時。いろんな感情があって、まだ終わりじゃないんだってことはわかった。世の中にいる「サバイバー」と呼ばれている方々のことをほんの、1ミリくらいは共感してもいいだろうか。

今、新しい生活をして思うこと


人生っていろんな縁が回り回ってると思う。

学校を辞めて海外に行った。行きたかったはずなのにいろんな理由をつけて日本に戻ってきた。仕事して時間がなかった時にはできなかった身体のケアをしよう、となんとなく?思って、胃カメラを飲んだらがんが見つかった。がんが見つかる前に遠方での仕事にアプライしてて、最終面接まで行ったのに、しかもそこで働いている友だちからは雇ってもらえそうな感じで話を聞いていたのに、結局2ヶ月も延ばされた挙句、結果はNOだった。でもそのおかげでがんの治療に集中できて、ストレスを感じなくて済んだ。がんの転移がない、とわかり転職活動を再スタートした矢先、いろいろあって引越しの話が出てきた。遠方に行きたかった私の思いが別の形で叶うことになった。その途中で昔から憧れていた会社にポジションのオープンがある、ってことを教えてもらってアプライして。

まあ、公開できないことも含めてたくさんのことがあるわけだけど、いろんなところで繋がりがあり、その縁のおかげで生かしてもらっている。

で、たまたまnoteを見たら「#推したい会社」なんてめちゃ興味深い投稿コンテストが開かれているもんで、それを投稿しようと思ったら、書きかけの入院記録が残ってて。これも縁だと思う。

40年生きてきて、もしかしたらこっからが私の人生かもしれない。いや、別に今までも人生だったから、ここからは英語で言うところのnew chapter的なことだと思う。

40年を振り返ると?


「うまく」生きることができたなら、
中学で生徒会長や学年委員長を歴任した私は(ここまでは本当)
高校受験をもっと頑張って自分の限界に挑戦したりして偏差値のいいところを目指して
きっと「いい」大学に進学して、「将来のためになる」勉強や経験を都会で積んで、「素晴らしい」会社に入ってそのまま勤続18年、今頃ポジションもあがっていい年収で結婚したり子どもがいたりしたのかもしれない。
(ぜんぜんそういう人を批判したいわけじゃないので噛みつかないでね)

でもわたしは、(書ける範囲で)
幼稚園で先生に怒られたことを今でも覚えているような子で、
小学校では学校の先生からの評価とは反対で、クラスの友だちからは、今の現場で言うともしかしたらいじめになりそうなことを言われたりもし、
逆に中学では強い自分、みたいな感じで強気でちょっと人当たりが強いところもあって強がって、でも生徒会活動はやらされてやらされながらも楽しんで、でも楽しんでるつもりが無理してて自律神経失調症になって10円ハゲを作って、
それに疲れて高校はもっと楽がしたくて生徒会もやらずに時々体調不良を装って学校を休んで、
学校以外の場所にバドミントンの練習を通して出会い、(そこが今でも仲のいいともだちがいる場所になっている)
大学には行きたくなかったけどアメリカ人の先生に言われて京都と大分にある大学に見に行って初めて「おもしろそう」な大学を見つけて
とにかくそのおもしろいに素直に生きてみて
その後いろいろあってもう4つの会社や学校を辞めている。
(ちょっと長くなったから割愛)
そして仕事やめてる間にがんが見つかって保険にも入ってなかった。

でもぜんぜん不幸せじゃない。
むしろ、少なくとも今は幸せだと思う。

入院記録②が書けるかはわかんないけど、でもその前に、今この人どうしとんの、をちゃんと記録しておこう、と思って昔大好きだったクリアアサヒを飲みながらキーボードを叩いている。

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