なぜ、親介護の体験からネットビジネスに取り組むようになったのか
はじめまして。
マッサンといいます。
アラフィフでサラリーマンやってます。
生命保険会社勤務のどこにでもいる
普通のオジサンです。
マイファミリーは妻・子2人で4人家族です。
30代後半に親と二世帯住宅で同居すること
になり、同居の気苦労もありつつ、
フツーに暮らしておりました。
平和なある時から、状況は一変します。
親がある病気が原因で介護を要する状態となり、
生活が180度ひっくり返りました。
・・・
ここからの記事は
「両親の介護体験を通じて、
アラフィフのぼくがなぜネットビジネスに
取り組むことになったか」
をお話します。
なぜなら。。。
「親介護で、今と将来をどうしたらいいか
分からなくなっていて、自暴自棄状態の人を
救ってあげたい」
まさに自分がそうだったからです。
しんどくて、逃げたくて、
どうしたらいいか分からず、
考えることさえも放棄してしまっていた
からです。
なので、こんな人に読んでもらえれば
いいなと思っています。
こんな人たちが今の悩みを解消することが
できたり、
少しでも前に進むことができたら、
うれしいです。
そして、
この記事を読んでみて、自分のビジネスの
きっかけにしてもらえればうれしいです。
※この記事は2分で読めます。
お急ぎの方は1~3は飛ばして、
4から読んでいただいても構いません。
1.介護発症までの日々
ぼくが30代後半で2世帯同居することになり、
子どもたちは当時小学生になったばかり。
妻は義理の親と同居に困惑しながら毎日を過ごしていました。
父親は60代半ばでサラリーマン現役、
母親は50代後半で息子夫婦と孫との同居に
「毎日が幸せで感謝している」と心の底から
喜んでおりました。
ぼくも親孝行ができたかなと感じていました。
両親は老後の安心感を手に入れて、毎日を謳歌しているようでした。
年に何回かは海外や国内旅行に行き、趣味の絵画や陶芸などこれでもかと言うくらい、貯めてきたお金を使って楽しんでいました。
理想の老後の過ごし方だと感じていました。
そんなこんなで20年ほどが経過しましたが
・・・
2.まさかの介護が始まった【母親編】
ある時、母親の様子がおかしくなってきました。
お箸が持ちにくい、物を落とす、することを
忘れるというのです。
最初は年寄り特有の症状だよと
笑っていましたが、頻繁になるようになった
ので、大病院で脳の検査をしてもらったら、
聞いたこともない診断が付けられました。
「グリオブラストーマ(神経膠芽腫)」
悪性脳腫瘍の一種で、治療の施しようがない
と言われました。
小心者の母親にはもちろん告知しませんでした。
主治医の言うには今後、うつ状態、右手が不自由になる、右足から動かなくなる、そのうち両手、両足が動かなくなり、食べ物も飲み込めなくなる・・・(腫瘍領域が左側だったので)
最悪でした。。
要は脳の運動機能、嚥下機能を司る領域が冒されていく恐ろしい脳の病気だったのです。
初めての介護。
ケアマネージャーに来てもらい、訪問看護を
手配したり、役所に申請に行ったり、
介護用ベッド、車椅子の手配、介助の仕方を
ネットで調べまくったり・・・
と、ほんの1か月でどんどん症状が悪化する
のです。
母親は自分の急激な劣化に恐れながらも
懸命に生きようとしていました。
ぼくは1%の望みでもと思い、
遠隔での気功療法を試したりと
家族、妹夫婦総動員でサポートしました。
もちろん交代で夜も隣に寝て
トイレの介助もします。
懸命な介護も空しく、4か月後には在宅にて
息を引き取りました。
亡くなる2週間は点滴のみでしたので、
やせ細ってしまいました。
享年78歳でした。
母親を囲んで、家族みんなで泣いたのを
今でも思い出します。
ただ、思い残すことのないくらい、
全力でサポートしたので
不思議なくらい悔いは残りませんでした。
3.次の介護が始まった【父親編】
母親の四十九日の法要を終えて
ホッとしたのも束の間、
永年の連れ合いを亡くし、
精神的に弱り切った父親を
本格的に世話をしなくてはと感じていました。
父親は母の7つ年上であるため、よく冗談で
「あの世に行く順番間違えたなあ」
といっていましたが、
自分もその自覚があるのか、
連れ合いに先立たれ、
すっかり意気消沈していました。
父は自分でトイレに行ったりはできますが、
ご飯をつくる、洗濯することは、
もう自分では出来ません。
家にじっとしていても運動機能低下と
認知症になってしまう可能性があるので、
デイサービスを申し込むことにしました。
その時は足と股関節が悪く「要支援1」
の認定でしたが、
何とか通所することができました。
ある時、夕食を一緒に食べている際に手が痺れて
「お箸が持ちにくい」と言い始めました。
「母さんの時と同じだ。まさか」
と夫婦で一瞬目を合わせました。
しばらくして、室内で転倒をする回数が
増えてきました。
手の痺れのこともあるので、年のため
病院で検査をすることになりました。
検査結果はまたもや聞いたことのない
病名でした。
「進行性核上性麻痺」
難病指定の脳の病気でした。
パーキンソン病と似た症状が特徴です。
主治医によると今後、運動機能・嚥下機能の低下により動けなくなり、食事も自力でできなくなるとのこと。
「母親の時と一緒じゃないか」
目の前が茫然として真っ暗になったことを
今でも思い出します。
母親の時に精魂尽き果てた護サポートが、
また始まるのかと思うと、
妻と共に暗い気持ちになりました。
ただ、父親には責任はありません。
もう一度、気持ちを入れ直して
「やる」と決めました。
幸いなことに母親の時とは違って緩やかに
衰えていくので外にも積極的に
連れ出すことにしました。
休日は毎週出かけて、父親の気分転換を
図るようにしました。
それから1年後、転倒を繰り返すようになり、
食事ものどが詰まるようになり始めました。
妻は好き嫌いの多い父親に対して、
毎食柔らかいもの、細かく刻んだものを
なるべく栄養価が高くなるように
ネットで調べまくって提供してくれました。
ある時、
背中が痛いというので病院で検査をしたら
「胸椎骨折」と診断。
何度も転倒し、骨に亀裂が入っていました。
気が遠くなることがこれを機に多発します。
どうしても介護用オムツに用を足すことは
イヤだというので、
転倒の危険度が高くなる夜中のトイレ介助は
ぼくの担当です。
トイレの度に携帯電話で呼び出しがかかり、
介助サポートをしていましたが、
毎日2~3時間おきに介助サポートです。
呼ばれてベッドに駆けつけたら、
わざわざオムツを自分で脱いで
ベッド上に大や小を出していました。
ある時は、トイレに行く廊下の途中に、
大や小が落ちていました。
夜中にそれを全部処理し、シーツを替えて、
着替えもさせてということをやり続けました。
その“事件”のたびに、
「なんでオムツを脱ぐんや!」
「わからん・・」
「わからんて、自分が脱いでるんやろ」
と、同じ会話をして堂々巡りです。
この対応に半年以上やってきて、
ぼくの体に異変が起こり始めました。
「とにかく、だるい」
軽いノイローゼ症状だったと思います。
睡眠不足が慢性化し、会話にならない会話ばかりなので脳内がパニック状態を起こしていました。
妻もイライラからヒステリック状態が常態化し、
体調不良もピークに達していました。
そんなある時、デイサービスで父親の様子が
おかしいと連絡が入り、病院に連れていくと
「軽度の脳梗塞」
との診断で、即入院。
すぐに退院しましたが、再発して再入院。
その後は嚥下機能が低下し、
口からの摂食が厳しいので
経鼻栄養を行うも、院内で誤嚥性肺炎に罹患。
肺炎を繰り返すので、胃ろう増設術により
胃からの栄養補給に切り替えました。
コロナにより、家族との面会もオンラインで
3週間に1回程度に制限される中で、
父親は徐々に衰弱して帰らぬ人なりました。
死の直前、病院からの連絡で
意識はないものの、死に目に会うことができ、
よかったと思います。
享年87歳でした。
家族と共に本当によくやり遂げました。
父も感謝していると勝手に思っています。
4.“心の支え”はネットビジネスとの出会い
こんな介護体験記を読んでいただき、
ありがとうございます。
ぼくは50の大台になった時に、
突然眠れなくなったことがあります。
理由は「定年後、仕事もなくなり
どうしていけばいいのか」
といった漠然とした悩みでした。
その時は解決して眠れるようになり、
その悩みも忘れていたのですが、
父親の介護が始まった時に、
またフラッシュバックし眠れなくなって
しまったのです。
というのも、まもなく役職定年になり給料も
大幅にダウンになる時期が迫ってきていました。
定年というワードが再び不安を
蘇らせてきたのです。
そんな時、たまたま見ていたFaceBook広告の
キャッチコピーに目がクギ付けになりました。
「自由に使えるお金と時間を手にしよう」
「なんだ、これは?」
「自分で自由に使えるお金とか時間を
手にすることができるのか?」
リサーチにリサーチを重ねて怪しいものではないと確証を得た上で、ネットビジネス上で
会ったこともない方から商品を購入。
勉強がスタートしました。
半年くらい緩やかに勉強している時に
父親の病気と介護が発生。
勉強だけでなく、ビジネスをしていくためには
分からないことだらけなので、
“メンター”が必要だと感じていました。
あるメンターの方に
「介護が大変なのはわかりますが、
介護一色だとしんどいですよ。
ビジネスも並行してやっていた方が
心の逃げ道があっていいかもしれませんよ」
この一言でやることを決めました。
いま介護を頑張っている人に
ぜひお伝えしたいことがあります。
それは
「介護一色は介護する本人も介護される親も
いいことはない」
ということです。
介護一色だと、介護する側は親しか見えないし、
思い通りにいかないことばかりなので
イライラします。
時には声を荒げて親に当たったりもします。
これは介護あるあるですよね。
でも、他の自分のエネルギーを注げるものが
あると気が紛れるんです。これは本当です。
自分がそうだったので。
ぼくはたまたまそれがネットビジネス
だっただけです。
親の介護をする年齢層って、
50~60代が多いそうです。
現に、ぼくのまわりの友人の8割は
親介護で悩んでいました。
だいたい、親の年齢が70代後半から80代
になります。
その時期はまさに“定年”を目前にしている人が
多いのだと思います。
この時期は3つの悩みごとに集約されます。
①自分の体調に不安や異変がある
②自分の定年後問題
③親の介護問題
定年後のセカンドライフを真剣に考えないと
いけないタイミングで
親の介護が始まってしまう人も多いようです。
そして、当然のことながら
「親介護を最優先・自分のことは後回し」
となります。
親介護に“埋没”するのは致し方ないこと
ではありますが、
明日の見えない生活は精神的苦痛を伴うもの。
「どうせやらないといけない介護なら、
同時並行して、自分の欲しい未来も見ながら
介護やるべき」
というのが、ぼくのたどり着いた答えです。
5.なぜ、親介護とネットビジネスなのか
親の介護をすると、いままで感じたことのない
いろいろな感情が生まれてきます。
「なんで毎日、こんなにすることがあるんだ」
「なんで、こんなに思い通りいかないんだ」
「うちの親は自分の親の介護をしたことないのに、ぼくの気持ちなんてわかるはずがない」
「うちの親はぼくの年齢の時には、旅行に行ったりして楽しく過ごしていたのに、なんでぼくは介護をしなくちゃいけないんだ」
・・・
書き出したらキリがありません。
これも、親介護あるあるですよね。
でも、自分の欲しい未来に向けてビジネスの勉強を始めたらこんな気持ちに変わったのです。
「健康がやっぱり一番で、親がそれに気づかせてくれた。ありがとうお父さん」
「人はいつ死ぬか、いつ動けなくなるか
わからない。だからこそ時間は大切にしないと」
「お金は貯めとかないと、介護になって子どものお金を使ってたらダメだよね」
「やりたいことやって、死なないと
何のために生まれてきたのかわからないよね」
そして、最後にこの思いに至りました。
「お世話をさせてもらって、本当にありがとう」
これは、介護を懸命にやっていないと
辿り着かない境地だと思います。
この境地になると、親にもその気持ちが伝わり、温かい心の交流が生まれます。
「人が生まれ、生きて、死ぬ」という当たり前の事実に向き合えるのが親の介護なのです。
それに真剣に向き合い、人生で大切な
「健康・時間・お金・人間関係(家族)」
に心の底から気づくことができると、
自分の定年後のセカンドライフをどうしていくかを真剣に考えることができるようになるのです。
なぜネットビジネスがいいのか?
2つあると思っています。
▶労働力提供型ではなく、半自動化が可能なビジネス
ちまたでは、メルカリや転売ビジネス、アフィリエイトやFX・株式投資などの副業ビジネスが
たくさんあります。
これらのビジネスは
✔時間が取られる
✔労働力がものをいう
✔リスクが一定数ある
といったマイナス面が立ちはだかり、
どうしてもぼくを前向きにさせてくれません
でした。
一方、ネットビジネスは初期段階では労働力も
必要ですが、ビジネス導線の仕組みを
ネットやパソコンで将来的には自動的に
回せるようにすること(仕組みの自動化)が
出来るという大きなメリットがあります。
▶自分の体験を生かすことができる
どういうことかというと、
「自分の経験に関心がある人、共感した人に対して自分の経験を教えるビジネス」が成立するからです。
例えば、
ゴルフのうまい人はゴルフを教えることが
できますよね。
絵を描くのがうまい人は絵画を教えることが
できますよね。
これと同じことなのです。
世の中には、このようにしてビジネスが
成立している案件が数えきれない程あります。
そして何よりもこのネットビジネスを
なぜ選択したかというと、
さまざまな方々とビジネスを通して
研鑽することで、
「ポジティブなビジネス同志=仲間が
作りやすい」
ということです。
ぼくにとって、お金はもちろん大切ですが、
定年後のセカンドライフを充実させていくのは、こうしたビジネス仲間との交流だと
思っています。
学生時代の友人の多くは、定年後の目標は
これといったものはなく、
せいぜい旅行に行ったり、ゴルフをしたりくらいです。
友人にたまに会っても、セカンドライフを
どうやって充実させるか、
真剣に考えている人は皆無でした。
そしてほとんど、前向きな内容はありません。
ぼくは前向きに生きていきたいと考えています。
中でも、目標があってポジティブな人に
出会うには拡散力が爆発的に高いTwitterでの
ビジネスを通して出会う人が一番いいと
考えています。
6.おわりに
ぼくの親介護の体験記、ネットビジネスに
取り組むことになった理由を最後まで
お付き合いいただき、ありがとうございました。
PCが苦手なので、ネットビジネスという
真逆の世界に入るとは夢にも思いませんでした。
(PCは、結論から言うと何とかなります。
若い人にみたいにはいかないですが、
文字が打てたらできるようになります。
当時のぼくは、文字しか打てませんでした。
練習して調べることを多くすれば、
必ずできるようになります)
でも、アラフィフ世代で親介護で悩んでいる人にとっては親和性の高い、そして自分の
セカンドライフの充実度を高めやすい世界だ
と思います。
ここで出会ったビジネス仲間を大事にして、
満足度の高いセカンドライフを
作っていきたいと思っています。
もしよかったら、ぼくと一緒にビジネスを始めてみませんか。
お待ちしています。
マッサン
≪マッサンの公式LINE≫
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