暗黙の了解
ぼくは、月に何度か近くの神社にお参りに行っている。そこは地域にある小さな神社で、正月以外は参拝客も少ない。
その神社で、時々お目にかかる方がいる。ぼくのように適当ではなく、いつも長い時間お参りをしている。
邪魔しては悪いので、その方がお参りをしている間、ぼくは邪魔しないように、他の社を拝んだりしている。逆にぼくが先にお参りしている間は、その方が気を利かして、ぼくの邪魔にならないようにしてくれている。別に会話を交わして決めたのではなく、暗黙の了解だ。
ま、こういうのは参拝客があまり多くないから出来ることだ。メジャーな神社ではこういう悠長なことは出来ない。
例えばメジャーな太宰府天満宮だと、多くの人が横一列にならび、同時にパンパンとやっている。
ところで願掛けをやる時、参拝者が複数人いてもいいのだろうか。神様なのだから、人の多い少ないは関係ないに決まっているとは思うが、何か複数人が同時にパンパンやると、御利益が減るような気がする。これも人間の持つさもしい性なのだろうなぁ。
宗教戦争も、教理だの何だのと小難しいことを言っているが、案外発端は人間の持つさもしさにあったのかもしれない。人間はそこまで小難しい動物ではないのだから。