ブラジリアン・トップチームでのトレーニング 〜ムエタイ編〜
トップチームでムエタイのコーチをしていたのは、サンパウロのカンピーナスから来たパウロ・ニコライ。
ニコライはその昔、オランダのドージョー・チャクリキで修行していたことがある。
2002年当時、トップチームにはムエタイ専用のトレーニングルームがあり、リングとサンドバックなど、おおよそムエタイのトレーニングに必要な設備が整っていた。
その当時、いかにトップチームといえども、柔術だけでMMAを勝ち抜くことは難しい時代になっていた。シュートボクセのショーグンなど、ムエタイの打撃も一流で柔術も黒帯の選手がPRIDEを席巻したのはその翌年のこと。
それらも考慮しながら、このムエタイのトレーニングルームをトップチーム内に設立することとなったらしい。まだジムは出来立てで非常に新しかった。
ここで、日本とアメリカ、ブラジルのムエタイのトレーニングについて。
日本のムエタイのジムと言うと、好きな時間に行ってバンテージを巻き、縄跳び、ストレッチ、シャドーボクシングでウォーミングアップをし、その後リングに上がってタイ人のトレーナーの指導を受け、ミット打ちなどを行い、スパーリング、首相撲でそれをまとめる、と言う流れになる。時間はその日の都合によって決めることができる。私の場合は、だいたい2時間から3時間ほど。
アメリカではと言うと、イノサントアカデミーのムエタイクラスでは、音楽をかけてウォーミングアップであるシャドーボクシングを行い、その後2人1組になって、グル・ダン・イノサントの指示するドリルを行い、最後にライトスパーでまとめる、と言う流れになる。時間は1時間。
さて、ブラジルでは。基本的にはクラス形式。最初はみんなで揃って準備運動をし、その後2人1組でストレッチ。ニコライの指示により、2人1組でのドリルを行って、時間の流れによってスパーリングを行ったりする。ドリルが極めてスパーリングに近い形式のものもある。クラスの時間は1時間半から2時間ほど。
ニコライのコンビネーションの教え方には独特の癖がある。それは擬音(効果音)を多用すること。
例えばこんな感じだ。
ジャブ、ストレート、フック、ストレート、膝、回し蹴りのコンビネーションの時、「トン、ティン、ティン、トン、ボン、ボーン」。自分でパンチや蹴りの効果音を口で発してくれる。まるでカンフー映画の効果音のように。何かコミカルで笑ってしまうのだが、本人はいたって真面目に効果音を交えて説明してくれる。
さすがと思わせるところもある。それは相手と離れて蹴りの間合いになっているときはアップライトで後ろ重心で構え、相手の懐に飛び込んでパンチの間合いになった時は、前重心のクラウチングスタイルになること。
その切り替えは、さすがチャクリキで修行してきたことはあると思わせてくれる。
アメリカとブラジルではそれぞれアソシエーションの定める昇級試験と言うものがあった。試験を受けたのは、2006年のブラジルで1回のみ。
2002年の時にクラブの一頭地にあったトップチームの道場は、2006年にはクラブの奥まった場所に移動しており、柔術もMMAもムエタイも全て同じ場所で練習を行うようになっていた。2002年はプロ選手だけであったムエタイのクラスも、2006年は一般の人たちにも開放されていた。
試験では、スキルを指示されたドリルで確認し、最後に指定する相手とスパーリングを行う。
ブラジルでの昇級試験のスパーリング相手は、ペレジーニョ。彼は風貌がサッカーの神様、ペレに似ていることから、ペレジーニョ(リトル・ペレ)と呼ばれていた。黒人で混血という恵まれた血筋で、小柄ながらも手足が長く、フィジカルもスピードも兼ね備えていた。
スパーリングで受けたペレジーニョのパンチのスピードは衝撃だった。稲妻のような速さとはこのことで、全くパンチの軌道が見えない。スパーリングでこのような速さのパンチをもらったのは、私の人生の中で、後にも先にもこの彼しかいない。
スパーリングはおおよそ一方的な展開で終了した。
スパーリング終了後、昇級試験合格の証書をもらったものの、パンチが全く見えなかった悔しさから、涙があふれた。
でもペレジーニョには感謝しなくてはいけない。この時受けたパンチのスピードによって、その後すべてのパンチが見える範囲にとどまっているのだ。見えると言う事は避けたり、ブロックしたり、カウンターを入れたりすることができる。
後になって、武器相手(鞭)とのスパーを行った時、フェンシングの練習を行った時も、ペレジーニョのスピードの経験を充分に生かすことができた。フェンシングの剣先は充分に見えるスピードであったし、音しか聞こえない速さの鞭であっても、その出所だけは感じ取ることができた。
今となっては、あの時できたスパーリングの経験や練習での経験は、本当にかけがえのない財産となっている。
年齢なんて2回りも違うのに、ブラジルではそんなのは全く関係なく、同じ仲間として温かく接してくれた。
また近い将来、ブラジルで仲間たちと再会し、一緒にトレーニングできたらなと、強く強く願っている。