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「受け入れる」の道中

自分のいる分野では、「自分をありのままに受け入れること」「自分の人生を引き受けること」「自分のありのままの感情に開かれている」「真の自分自身になっていく」などの表現を見聞きすることが多い。では、自分をありのまま受け入れるには何が必要なのか。

理論的にも実体験としても、まずはありのままを受け入れてくれる(受け入れようとしてくれている)誰かが必要だと考える。それは一個人でも集団でもどちらでもあると思う。その誰かから「あなたはそれでいい」「そのままでいい」と否定されずに受け入れてもらう体験をすることが大事とよく言われているが、そのあとからが本番だと僕は思う。その認めてもらう体験を自分がどう受け取るかどうかだと思う。

僕は、誰かに認めてもらったという体験を少しずつ積み上げてきた。それで元気をもらえるし、安心して涙したこともあったように思う。その瞬間は、ここにいてもいいんだなと感じる。しかし、それでイコール「自分はそれでいいんだ」とはなかなか思えなかった。

それから何年か経った頃、僕を受け入れようとしてくれる誰かの前で気づくことがあった。それは「あなたはそれでいい」と認めていないのは自分自身だということだった。こんな話って小説や映画でもありそうなものだけれど、自分の身で起こるとなると一大事で、相当大きなことで、そのときはどうしようもなく感じた。
つまり、誰のせいにもできないのだ。

自分の中で世界を勝手につくってしまっていたことに気づけたのはいいけれど、そこから先がまた長かった。
自分のせいだと思っているから、さらに傷ついて落ち込む。「わかっちゃいるけど、やめられない」「どうすりゃいいのかわからない」の繰り返しで、最初の頃とは違う苦悩が続く。
相手の優しさをそのまま受け取ろうとしても、自分の中で「いやきっと」「そうに違いない」「でもこれって」と、いちいち思考にブレーキがかかる。こんな自分に嫌気がさす。

この苦しみは続いた。誰かが認めてくれても「そんなことはない」「勘違いするな」と自分が自分に言ってくる。自分が相手のために何かしたいと思っても「それは相手を不快にさせるのでは」「またダメな自分を晒すのか」と言ってくる。

でも、こんな自分のことを放り出すこともできないとも心のどこかで感じている。言い方をかえると、こんな自分を引きつれて生きていくしかないと心のどこかで覚悟のようなものができ始めているのかもしれない。前よりも心細くはないし、惨めな気持ちも少しだけ減った。

まだまだ自分をありのままに受け入れることはできていない。もう「受け入れられない」ということを受け入れたほうがいいのかもしれないが、それを諦められない自分もいる。

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