「変わらない」をいったん引き受ける
小学生の頃から「おじいちゃんっぽい」と言われていた。特に主張をするほうでもなかったから、のんびりしていると思われていたのだろう。若さがないのか、生気がないのか。
ある時のクラス文集では「10年後も変わってなさそうな人」1位だったことを思い出した。変化とは程遠い人と思われたのだろうか。
確かに自分は変化にはめっぽう弱い。自分の周辺で変わったことがあると落ち着かず、びびってしまう。
だから流行りや新しいもの好き、旅行好きには憧れていた。そんな臆病な自分を変えたいと何度も思ってきた。
変わることができればいいが、場合によっては変えないほうがいいこともあると思う。今の自分を変えてしまうと、今の自分に伴う副産物まで奪ってしまうことになる。
自分の経験上、「自分はそうは変わらない」と思ったほうが生きるのが楽になり、おもしろいことに豊かになった。良い悪いを超えて、それはそうだと真から思えると、かえって自分が変わるのだ。
溝口(2004)によると、心理療法においてクライエントが自己認識(自己洞察)を得る過程の最終段階は「居直り」だという。つまり「自分は自分」、「自分でいるしかない」という姿勢であり、それは自分への慈しみが含まれたプラスの意味合いを帯びているというのだ。
「変われない」という言葉は後ろ向きに聞こえるし、特性そのものは特に変わっていない。でも、自分の人生に対する構えが前とは違うように感じる。ただそれだけなのに、その人自身が「変わった」ように感じるのは不思議な現象だと思う。
つまり、“変えられなさ”と向き合うことで、人は変わるということなのだろうか。
しかし、自分は変えられないという悲しみを一旦は引き受けなければならないのだと思う。
引用:溝口純二(2004)『心理療法の形と意味』