モール,eastern youth,志賀直哉 【単色日誌 250106】
TikTok や youtube とかさ、少しでも退屈したらスワイプですっ飛ばすのが当たり前になってるわけでしょ今って。なんかね、紅白レコ大筆頭に年末の音楽特番たくさん見て流行りの音楽聴いてて思いついたんだけどね、スワイプされないようにド頭からサビに入って退屈させないようにどんどんアレンジ重ねていってなんなら曲三つくらい合体させて一つにしたみたいなさ、とにかく聞く側を飽きさせない、そういう楽曲が受け入れられる時代なのではないかな?ずとまよとかミセスとかAdoちゃんとかさ、まさにそれでしょ?これはなかなか聡い眼力ではないかね?
そう妻に問いかけたら彼女は「そのとおりだと思うよ。ただ、それとほとんど同じことを誰かが X で書いててバズってたよ、最近」と少し申し訳なさそうに教えてくれた。
最近って、どのくらい最近?と妻に尋ねた。その質問になんの意味があるのか今を以ってしても全く分からない。「うーん...…体感的には二週間以内くらい?ただ、まあその種の分析ってもう何年も前から色んなところで言われてると思う」妻がそう答えるのを聞いた僕はその話題を打ち切り、子らとショッピングモールに出かけた。子らにとって今日は冬休み最後の日で最後の日といえばモールで間違いないのです。ゲームでも映画でも、ゾンビが蔓延した世界で人々が最後に集うのはモールなのです。
子らは文字通り子供なのでおもちゃ屋やゲーセンにも赴くのだが最近ではそこらへんは結構さっくりとスワイプして楽器屋と本屋で一番時間を使う。おかげで付き添いの僕もそこまでストレスがかからない。
フードコートでおのおの好きなものを食べて帰宅した。
リビングで適当にプレイリストを流す。二週間ぶりにランドセル準備をする子らが歌い出したのは eastern youth『時計台の鐘』
冒頭で妻に自論を披露した(そして恥をかいた)今どきの流行歌とは対極にある無骨曲を歌ってる姿に少し安心する。その安心になんの意味があるのか今を以ってしても全く分からない。
子らが歌うのを横目にソファーに寝そべり『志賀直哉随筆集』をぱらぱらとめくった。美しい文章とは何かを思い出すため時折目を通すのだが、昨日から日記を書きだしたこともあり縋る気持ちで手に取った。自分が文章を書く上で何かの参考になればと。
こんなの参考になるもんか。散文の極致じゃないか。
下のコンビニに消しゴムを買いに行く。子供というのは何故ああも簡単に消しゴムを失くすのだろうか。