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the pillows が解散発表して以来、何度も 【単色日誌 250204】

the pillows が解散発表して以来、何度も『アナザーモーニング』を聴いている。

1998年の曲。この年は僕がスタジオ修行してた時期で、その頃どれだけしんどい目に遭っていたかはここで何度も書いてきたけど、一言で表すと、毎朝死にたいなと思いながら出勤していた、そんな感じです。

他のスタッフが帰った後、下っ端の僕一人で残業するのだが、なにしろスマホも無い時代なので気晴らしはラジオだった。チャンネルは地元のとあるFM局一択で、その局が特段好きだったわけじゃないけど、そこは先輩お気に入りの局で勝手にツマミいじってチャンネル変えたことが後でバレたら比喩的な意味では無く物理的に殴られるのでそこしか聴けなかった。なんで殴られなきゃいかんのか今考えると謎なんだが当時の僕は考えることをやめた鉱物と生物の中間の存在だったので、さして疑問も持たず CrossFM を流していた。

その頃、パワープッシュとかなんかそういうのに選ばれてしょっちゅう流れていたのが the pillows 『アナザーモーニング』だった。ちなみに他のプッシュ曲はkiroro『長い間』とMISIAのデビュー曲。なんでそんなの覚えてんだろ? 海を真っ二つに割るような『アナザーモーニング』のメロディーがただただ心地よくて、とはいえ、鉱物と生物の(略)だった僕に歌詞は全く入ってこなかったので、言葉通り作業用BGMとして消費していた。

ブラック会社に勤める者にとって僅かでも息がつけるのは休み前日の夜だけで、休みの朝、目を覚ました瞬間から翌日の出勤を考えて鬱々となる。非人道的な労働は人間から朝を奪う。まあ、罪深いよな。

二週間連勤した後の久々の休みは、レコ屋の友人が赤坂のクラブでロックDJをする日だった。テクノやハウスと比べて曲が短いロックでDJする際は熟練のたこ焼き屋の如くひたすら動いてなきゃ繋がらない(CDJ や PCDJ では無くアナログ時代の話です)。翌朝の出勤を考えると外出は正直億劫だったが、普段、ローテンションなレコ屋が俊敏なたこ焼き屋に変貌する様が見たくなった僕は共通の友人と連れ立って遊びに行った。

たこ焼き屋なレコ屋を見て笑って久しぶりに楽しいと思えた。レコ屋は Teenage Fanclub から Echobelly (なんでそんなの覚えてんだろ?)と繋いだ後、『アナザーモーニング』を流した。大嫌いなスタジオで散々聴いた曲だが、不思議と作業場のことも明日の仕事のことも頭に浮かばず、初めて、曲では無く歌が聞こえてきた。

途方に暮れて泣いてた
オモチャ売場の隅で気がつけば
ママの姿は消えていた
知らない人がやさしく話しかけてくれるけど
そんなのまるで聞いちゃいなかった

こんな歌詞だったのか。
なんか暗いね。

今もまだ同じよく似た不安がつきまとう
耐えきれないような出来事は
確かにあるけれど
どんなに寂しくても誰も迎えに来ないよ
迷子の知らせ
アナウンスはかからない

この頃には踊るのをやめ、壁際のパイプ椅子に座り、歌を聴いていた。「誰も迎えに来ない」って救いが無い話だな。

扉の向こうには約束なんてない
でも行こう
生まれ変わる朝が来た

the pillows 『アナザーモーニング』詞:山中さわお


「あっ」と思った。そのまま何時間もパイプ椅子から立てずにいた。実際には数秒固まっただけなんだけど、そのくらい長く感じた。

翌朝出勤してすぐ上司に退職の意思を伝えた。冗談みたいな話だが、レコ屋が『アナザーモーニング』を流さなかったら、もう少しスタジオにいたのかもしれないな。

だから僕にとって the pillows といえば『アナザーモーニング』なのである。ありがとう the pillows 。あの夜、たこやき屋みたいだったレコ屋は広告屋を経て家具屋になった。君にもありがとう。心が壊れる前に朝を取り戻せたのは貴方たちのおかげだ。






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マスダヒロシ
インスタ( @masudahiroshi )やってます。ツイッター( @Masuda_h )もやってます。どうぞよしなに。