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小説「獄中の元弁護士」(12)            「移送」

 特大の濃紺のスーツケースを抱えて小型のバス車両を降りる男がいた。腕には手錠が嵌められているから尚更荷物を運びづらい様子だ。車両からは7、8人の手錠を嵌められた男たちと監視役の刑務官が4人ほど降りてきたが、それほど大きな荷物を持つ者はその男だけだった。

 その施設は小高い丘の中腹に広い敷地を確保し、周囲を高い塀で囲い、他から隔絶された様相で屹立していた。

 男は黒い上下のスーツに青いワイシャツという出立ちだがどこかそのサイズが合わぬと感ぜられた。きっと少しばかり以前より痩せたからに違いない。

 こうした施設としてはやや新しく感じる建物内に入ると、男たちは手錠を外され服を着替えるように指示された。建物内に入った彼らには皆同じ黄色のシャツと薄い茶色のチノパン、グレーの靴下がそれぞれ渡された。
 着替えた者から順番に長テーブルの向こうに座る刑務官から呼ばれ、荷物のチェックを受ける。刑務官は2つに分かれ対応している。
「名前は?」
「菅田公一朗です。」
「随分、大きな荷物だな。中は何だ?皆に迷惑掛けちゃいかんよ。」
 早速、小言を貰いながら菅田は重いスーツケースを両手で持ち上げると長テーブルの上に乗せた。
 スーツケースを開けると数十冊の本と5、6冊のノートが見えた。
「こんなたくさん本当に読むのかよ。まいったなぁ。こりゃ時間が掛かるわ。」
 菅田は「はい。すみません。」とだけ答え姿勢を正している。
「ノートは何が書いてあるんだ?うわぁ、ギッシリ書いてあるなぁ。日記風の文章とあとは勉強が主かな?」
「そうですね。はい。」
 このぞんざいな口振りや扱いも逮捕の後大分慣れて来ていた。
 菅田の荷物のチェックは一緒に施設に来た者の中で最後まで時間を要した。他の者は一つのテーブルの周囲を囲むようにパイプ椅子に座って、菅田の手続が終わるのを待っていた。
 そのテーブルの上には三切り皿と物相飯が人数の分だけ並べられている。これから昼食というわけだ。
「ほらっ。皆を待たせているんだ。早く座れ。」
 いよいよ本格的な臭い飯というやつを頂戴することになる。実際に食べてみると、美味くはないが覚悟していたわりには食えないことはない。もっとも菅田は美味いものを食べたいという欲求は既に失っていた。ただ生きるために食らっているというのが正しかった。
 その後は各々に宛てがわられた独房に押し込められた。
 菅田がややほっとしたのは、拘置所の入所の際にはあった身体検査が今回はなかったことだ。拘置所では下着を脱いて刑務官の前に立たされ、陰部を視認された。最後は陰茎と睾丸を指で上にあげて裏側を見せる。
「何も入れていないか?」
などとふざけたことを聞かれる。
菅田は思った。
(これも俺たちの心を折るための対応だ。こうして俺たちは世間の人より下位に位置付けられる人間として生きることを強要されていくのだ。そして、これを素直に受け入れれば、そいつは反省したことになるというわけだ。)

 菅田には多少の楽しみもあった。一体獄に落ちる人間とはどのような者たちだろう。これを見聞きすることはできる。そして、自分なら何か彼らにできることがあるような気がしていた。

 元弁護士だった菅田は司法試験を受験したとき、法律選択科目で刑事政策を選択していた。もう二十数年も前のことだが、その時代にこの栃木県内の刑務所が社会復帰のためのプログラムを組む運用を試行していこうとしていることは勉強していた。「改善・更生・社会復帰」モデルの思想が現場で具体的にどのように実践されているかも知りたかった。
(将来は刑事政策をもっと研究していくのもありだな。元弁護士で元受刑者で刑事政策学の研究者というのも社会的な貢献をしていくにも意義が見出だせそうだ。)
そんなことも考えたりしていた。

 持参した本はまだ検査中で手元に届かない。菅田は手持ち無沙汰に独房で自身のこれからのことを漠然と考えていた。

 

 

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