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「幽囚の心得」第17章                                責任論(6)

 ところが、アメリカの政治哲学者であるアイリス・マリオン・ヤングは「個人が自らの占めている社会的立場とそこでの行為によって、構造的不正義の産出と再生産に加担しているということは往々にしてある」、「構造によって、位置づけられた各人が、社会的に惹起された諸条件に如何に対処したかについての責任はある」と論じ、「不正な結果を伴う構造上のプロセスに自分たちの行為によって関与する全ての人々が、その不正義に対する責任を分有する」という「責任のつながりモデル」なる見解を提唱している。「責任のつながりモデル」の下では、「構造上の不正義に関して責任があるということは、その不正義に対する責任を分有する他の人々と共に、私たちには、不正な結果を生む現在の構造上のプロセスをより不正でないものに変革する義務がある、ということを意味している」ことになる。その責任の在り方は、「過去遡及的ではなく、むしろ、主に未来志向的」なものとされる。

 私は、このアイリス・マリオン・ヤングの言うところの構造的不「正義」
の問題は「責任論」や「正義論」の問題ではなく、基本的には政治的選択の問題として考えるべきと思料する。
 それは外部から問われるべき性質のものではなく、自らの信条に従って自覚し認識する性質のものである。この構造的不正義の是正という課題は、自己統治の価値の具現化の一形態として民主的過程を経てその対応が現れるという性質のものと考えるべきである。
 そもそも「正義」の概念は、個人及び統一的な意思決定が為し得る実体を有する組織・集団が持つべき道徳観念と考えるべきであり、上記の構造的不「正義」の問題にまで外延を広げて用いるべきではない。そのような論は「正義」概念の中身を浮薄なものとし、最も崇高な道徳観念としての「正義」の位置を曖昧にしてしまう。「正義」概念の設定は定言的になされるべきものである。
 尤も、構造的不「正義」の問題にあっても、それが個人の尊厳を侵害する状態が表出している場合においては、「正義」に悖る特定人ないし集団の不善の行為が存しないか探索する必要が生ずるが、そこでの問題は不善なる当該行為と結果との間の社会的相当性を判断の基準とするところの因果関係の存否である。


 構造的不「正義」の問題が基本的に政治的選択の問題であるとしても、「責任論」と接点を有する場面として、立法不作為の問題に論及する必要はあるであろう。
 民主的手続の下で構成された我が国における国権の最高機関たる国会がいつ、いかなる立法をなすべきか、なすべからざるかの判断は、原則として国会の裁量事項に属する。
 しかしながら、(ⅰ)憲法の明文上一定の立法をなすべきことが規定され(憲法10条(日本国民の要件)、17条(国家賠償請求)、26条1項(教育を受ける権利))、あるいは、(ⅱ)憲法解釈上そのような結論が導かれる場合(憲法25条の生存権について抽象的権利と解した場合が典型例)には、国会はそのような立法をなすべき義務を負い、立法の不作為は違憲となる。これが立法不作為の問題に対する通説的な考え方である。
 もとより立法の作用は、複雑な政治的・社会的与件の中で行われるものであるから、立法についての不作為を単簡に違憲と断ずることはできず、その判断は慎重であることが求められる。
 また、上記(ⅱ)の憲法解釈上、立法をなすべきことが求められていると解される場合においては、その立法義務がどの程度明確といえるものか、その義務違反の不作為が直ちに違憲と断じてよいものかという問題がある。
 佐藤幸治教授はこの点、以下のように述べる。「一般的にいって、国会が立法の必要性を十分認識し、立法をなそうと思えばできたにも拘らず、一定の合理的期間を経過してもなお放置したというような状況の存する場合に、その立法の不作為が具体的に違憲となるものと解される。」
 なお、立法義務を一つ根拠付けるものとして、佐藤教授は立法者が憲法99条により憲法尊重義務を課されていることを上げている。

 立法不作為の問題はその性質上、政治的過程の中で対処されていくべきもので、その違憲性を裁判において決するには慎重な態度を要することは間違いない。特に立法不作為の違憲確認訴訟は抽象的違憲審査となり許されないとする見解もあり注意を要する。

 憲法訴訟における争い方としては、立法行為ないし立法不作為を理由として国家賠償請求訴訟を提起するという訴訟形態を選択することが一般であるが、この場合においても、具体的事件・争訟性を本質的要件とする付随的違憲審査制及び権力分立制との関係で一定の緊張関係を内包することは避け難く、これを認めるには厳格な要件の具備を要するものと言うべきである。
 即ち、(ⅰ)憲法規範上一定内容の立法をしない義務ないし立法義務が明確であって、(ⅱ)憲法に違反する立法行為ないし違憲状態を放置する立法不作為が国民の具体的権利に直接影響を及ぼす処分的性格をもち、(ⅲ)そのような立法行為ないし立法不作為と損害との間に具体的・実質的な関連性が認められることが必要であり、(ⅳ)立法不作為の場合には、更に違憲状態の放置というだけでは足らず、一定の合理的期間の経過という要素が必要となると解されている。

 なお、参考までに触れると、判例はその他、立法不作為の違憲を争う手法として、権利を行使しうる地位の確認請求という訴訟形態を認めている(在外国民選挙権制限を違憲と判断した最大平成17年9月14日判決)。



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