小説「獄中の元弁護士」(22) 破産管財人弁護士の面会
「先生、遠いところをお越しいただき申し訳ありません。」
菅田は刑務所の面会室で、アクリル板越しに対峙して座る下田智志弁護士に頭を下げた。
「いや、管財人としての職務ですから。」
下田弁護士は菅田の弁護士法人の破産管財人であった。
「業界全体に本当にご迷惑をお掛けしてしまい誠に申し訳ありませんでした。」
菅田は東京弁護士会から除名の懲戒処分を受けていた。事業譲渡による分社の後の菅田の経営する弁護士法人は社員弁護士が菅田一人の状態になっていたから、この処分により法人は社員が不在の状態となった。弁護士法第8条により、単位会を通じて日本弁護士連合会に登録をしないと弁護士としての活動はできない。同法第30条の23第7号により社員の欠亡は弁護士法人の解散事由となる。東京弁護士会は当該法人の清算の申立てをしたが、清算人が法人の状況を精査したところ、債務超過状態であることが確認されたので清算手続から破産手続に移行した。そして、破産管財人に下田弁護士が就任したと事の次第はそのようなことである。
「いや、あれだけ手広くやられていたのに、何が切っ掛けでこういうことに事態が陥ったのか、人の世というものは分からないものだなというのが率直な感想です。」
「馬鹿な暴勇を働いたんです。そのことで自分の依頼者の方にご迷惑をお掛けするという自家撞着を犯してしまったのです。恥ずかしことです。しかし、全国に支店事務所を展開した試みは事を急ぎ過ぎましたが、それは当時の弁護士業界の環境も大きく影響していたのも事実ではあります。」
「ふむ。」
「合名会社の規定を準用している弁護士法人を全国に展開することなど、当時は業界の人は誰も想定はしていなかったと思うんです。実際に支所事務所を地方に設置するときには地方の単位会は相当反発していましたし、算入の難しさを感じましたしね。そのような状況であるから、対応が追い付かないくらいに事を早急に進める必要があったんです。いや、あると私は判断した。ですから、一気に全国展開をしたのです。それが負荷を大きくしたのは事実です。」
菅田はやり取りの中で、下田弁護士は信用のおける人間だと思えた。
菅田は現場の交渉代理人としての自分のスキルに自信を持っていた。現場で人を見ながらその場その場で臨機応変に対応を変えた。そこにあまり理屈はなかった。しかし、事後において自身の対応を振り返ると必ず理屈に適っていたという検証は常にしていたし、その適合に更に自信を深める自分もいた。弟子の弁護士に対しても、依頼者に対する対応後に何故あのような対応をしたのか、全て論理的にその経過を説明することができた。つまり、頭より先に身体が動いた、否、身体そのものではなくも、瞬時に的確な対応が出来た。理屈は後から付いてきた。その菅田特有の感性が下田はありだと肯定していた。
「弁護士法人は破産手続に乗っていますが、菅田さん個人は対象になっていません。」
下田が言う。
「承知しています。」
裁判所は法人破産手続の際に、代表者個人の破産も事実上同時に求めることが多い。問題の終局的解決を考えてのことであろう。
「私個人は破産申立てをする気は全くありません。先生にお願いがあるのですが、本件の被害者である元依頼者の方々に対して、改めて深くお詫び申し上げます、そういう気持ちでおりますということと、私はまだ被害弁済の意思を強く持ち続けているということをお伝えいただきたいのです。」
「分かりました。お伝えしていいのですね。刑を務めることで全ての責任を果たしたわけではないと、そう考えられているということですね。」
「はい。勿論、そのように考えています。どうか宜しくお願いいたします。尤も、弁済についてはまだ刑期が始まったばかりでこれから5年くらいは務めねばなりませんし、また弁済のための収益を得る事業の構造を作るのにも一定期間が掛かると思いますので、実行は大分先になってしまうのは誠に申し訳ないことではあります。」
「もう一回、活躍なさることを祈っております。」
「有難うございます。ところで、ここからは別件の依頼なのですが…。お時間、大丈夫ですか?」
「何でしょうか。尋常でない展開ですね。まあ、面会室に入る前に時間は30分だと言われたので、そんなんじゃあ、全く足りないって言って大分押し込んでおいたので大丈夫でしょう。」
弁護士面会には刑務官の立ち合いもない。時々、扉のガラス窓から中を伺っている様子が後ろ手に感ぜられる。
「さすがですね。思ったとおりの方だ。先生、懐かしいです。正に弁護士らしい振舞いですね。」
菅田は、そう言うと口元に笑みを浮かべた。