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小説「獄中の元弁護士」(19)          「これほど弁護士は接見に来ないものなのか」

「それにしてもです。その一罪でいきなり実刑になるというのも解せないですね。」
 菅田は新庄に率直な疑問をぶつけた。
「実は、僕は執行猶予中だったんです。」
「えっ…。あぁ、そういうことですか。前の刑はどんな事実でそうなったのですか?まさか同じようなことをしたわけじゃないですよね?」
「違います!違います!…ただ非常にお恥ずかしい話なのです。酔っ払って居酒屋で喧嘩してしまったのです。相手が軽い怪我をしてしまい…。」
「新庄さんはそういうことをしそうな人には見えませんね。粗暴犯のようなことをね、しなさそうですけどね。」
 実際、新庄は気弱そうな人の良さそうな人物だった。少なくともそもそも刑務所が似合う男ではない。そう見える。
「あまり覚えていないんです。相当泥酔していたと思います。」
「酔ってそうやって暴れたことは今までもあったんですか?」
「いえ、全くないです。その日は随分と仕事のことでモヤモヤするところがあって、酒に走ってしまったという感じでした。クドクド同じことをしつこく繰り返すので、一緒に飲んでいた友人も嫌気を指して途中で帰ってしまいまして。」
「すると、一人でその後も飲んでいたんですか。」
「はい。同じ店で。」
「あまりよい飲み方でないですねぇ。」
「そうなんです。愚痴が言いたくて友人を誘って散々飲んでという、そういう状態ですから…。」
「一人になってから誰と喧嘩になったんですか?」
「隣の席にいた男性だと思います。」
「何で揉めたかも分からないわけですよね。」
「警察で聞いたら、醤油を取るとか取らないとかの些細なことで僕が相手の方の態度が気に食わないと言って突っかかっていったとのことでした。」
「相手の怪我は大したことなかったということですか。」
「はい。そういう認識ですが、まあ、大怪我ではなかったという意味で.…。打撲と擦り傷とあと何かにぶつけて額から血が出ていました。」
「打撲と擦過傷と列挫創。全治はどのくらいでしたか。」
「全治2週間だったと思います。」
「軽いと言っていいかは微妙ですね。しかし、略式起訴、罰金刑という流れにならなかったんですね。示談はできなかったんですか。」
「はい。弁護士さんに依頼しましたが難しかったようです。」
「示談ができていれば、もしかしたら通常訴訟は回避できたかもしれませんね。示談はおそらく必須だったと思いますね。」
「弁護士さんが被害者に対して通知書を送って下さったのですがなしの礫だったようです。」
「書面を送っただけですか。弁護士は被害者の方に会っていないんですか。」
「連絡してもなしの礫だとだけ聞いています。」
「まあ、具体的な状況が分からないので何とも言えないですがね。被害者の方と会わないとまず事は動かないでしょうね。相手が怒っていたということもあったんでしょうかね。」
「そういうことはあったかもしれません。」
「しょうもないことをしましたね。こう言ったら何だけど、そういった普段はないことに遭遇せず、または少しばかり行動に気を付けて、普通に暮らしていたら2件とも起こっていない事件ですね。反省するところは勿論、反省しないといけないけど、それにしても新庄さん、あなたは何て運のない人でしょうか。こうした事件が2件とも続けて起きないとここに入ることはなかったわけですからね。」
 勿論、本人の自業自得の側面はある。それはそうなのだが、弁護士が各々のタイミングで適切なアドバイスをしていたら、少なくとも新庄はこうはなってはいなかっただろうと菅田には思えた。実際、いい加減な弁護士は多い。特に刑事事件の被疑者や被告人は身柄を拘束されていたら、弁護士にアクセスすることにも制限があるから、文句を言われづらい。まして、その依頼人は身柄拘束という不利益処分を現に食らって逼迫している者だ。弁護士としては精神的には楽な仕事とも言えた。一般の事件の場合に比して、精神的に依頼人に対してより優位に立ちやすいのだ。

 菅田は麹町警察署の留置にいたとき、同じ留置にいる被疑者達の弁護士がほとんど接見に来ないということに驚いたのだった。
(これほど、弁護士というものは接見にも来ないものなのか。)
 それなりに売れている弁護士は平日昼間の予定など直近では空いているわけがない。必然、接見は早朝か夜になるか、あるいは土日になるのが通常だ。昼間に一般の面会希望者と順番待ちする時間的余裕は一定レベル以上の弁護士にはないのも事実だ。平日昼間に来てすぐ接見ができるかは他の一般の面会希望者がいるかいないかの偶然に左右される。そうした順番待ちをするのはスケジュール的に無理だ。  

 大体、警察署は新しく庁舎を建て替えても接見室の数は増やそうとしない。それに意味なく同じ部屋に横並びで3人同時に面会できるかのような設えにしてアクリル板等の設備を設置しているが、一部屋に一組というのが事の性質上妥当で、そのような実際の運用にもなっている。
 結局、一組ずつしか接見をできない仕組みを維持しているのは、弁護人の接見交通権に対し、これを妨害する意図が疑われる。菅田は本気でそう思っていた。

 話を戻すと菅田は他の被疑者の弁護士があまりに接見に来ないことに驚いた。弁護士が既に定まったスケジュールの中で調整して、警察署に赴くのは思うほどには簡単ではない。それは分かるが、だからこそ、菅田は早朝やら夜の消灯後やら、警察には迷惑なことだと承知の上で、そんな時間に赴いていたし、また、土日に足を運ぶこともかなり多くあった。弁護士の接見というものはそうして時間をこじ開けないといけないものだった。
(こんなやり方しかしていないのが一般なのか。)
 麹町警察署の留置の土日は静かなものだった。誰も来やしない。
(俺はもしかしたらいい弁護士だったのかもしれないな。)
 菅田はふっと息を吹きながら口元に皮肉そうな笑みを浮かべた。
「新庄さん、これからのことを考えましょうね。」
 菅田は元同業の怠慢と至らなさを残念に思いながら、新庄に対して済まない気持ちでいっぱいになっていた。


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